第195話 海からの使者③
霧の濃い真夜中の霧ヶ浜はとても静かで、まるで世界から切り離されてしまったようだと叢丞は思った。そして自分の考えを纏めるのにちょうどいいとも。
「ねえ、白銀」
一人と一頭の足音だけが聞こえる中、叢丞は悩みを打ち明けるように白銀に話し掛けた。
白銀は前を向いたまま、耳だけをピクリと動かした。
「さっき僕らが遭遇したあの小さい人影みたいなモノ。あれは……」
叢丞が何かを言おうとしたところで、急に白銀が足を止めた。
「白銀……?」
そして叢丞の顔をジッと見つめた。
「どうかしたの?」
叢丞は屈んで白銀と顔を突き合わせた。白銀は変わらずジッと叢丞の目を見ている。
その目は何かを訴えているような、叢丞の中の何かを見極めようとしているような、そんな風に叢丞には見えた気がした。
「……白銀と話が出来たらいいんだけどね」
すると白銀は申し訳なさそうにゥォ〜ンと小さく鳴いた。
「白銀は悪くないよ。今のは僕の我が儘だから」
そうして白銀の頭を撫でると、叢丞はすくっと立ち上がった。
「さあ、帰ろう」
そしてまた一人と一頭は霧の中を歩く。
叢丞はジッと前を歩く白い獣を見た。
言葉は通じていなくても、気持ちが通じ合えていると叢丞はたまに思う事がある。
叢丞は小さい頃、当時まだ健在だった父親と霊山・霧園山に出かけ、そこで怪我をした小さな獣を見つけた。
父親は獣がただの獣ではないと反対をしたが、叢丞は断固として譲らず獣を連れ帰った。
叢丞は連れ帰った獣に応急処置を施す為にいろいろと調べた。そして行き着いたのは八澄の結界術の一つだった。
それは結界の内側にいるモノの自然治癒力を高める結界であった。
当時の叢丞は神童と周りから持て囃されていた程才能を発揮していた。
なので術は問題なく発動し、日が経つに連れて獣の傷は次第に癒えていった。その間も叢丞は獣の面倒をよく看ていた。
獣の傷が完治する頃には、叢丞と獣は長年共に育った兄弟のようにすっかり打ち解けていた。
そして獣は、その輝くような白い毛並みから『白銀』と名付けられた。
八澄の屋敷に着くと白銀は叢丞の方に振り返った。
「キミも疲れたろう。もうお休み」
ワウッと応えるように鳴くと、白銀は軽々と屋根の上へと飛び乗った。屋根の上は彼の寝床だ。
白銀はもう一度叢丞の方を向いた。
「おやすみ、白銀」
真夜中なので囁くように言うと、叢丞はそのまま母屋に入っていく。
白銀は叢丞が中に入るまでずっと彼を見守っていた。
一人になって叢丞は改めて考える。
(あの小さな人影は……)
人影に直面した時から叢丞は何か予感めいたモノを感じていた。
(もしかしたら……)
───「龍を封印した陰陽師は月に一、二度程度だが暴れたという言い伝えもある」
咲夜も話していた〝龍神伝説〟の末路を思い出す。
(あの伝承が本当なら、あれは……)
叢丞の足は縁側に面したとある部屋の前で止まった。
「ん?」
その足元に違和感を覚えた叢丞はその場で屈んだ。
「これは…………土?」
その部屋の前は細かい土や砂で汚れていた。まるで裸足で外に出て、縁側から帰ってきて足の裏の汚れを落とさずに部屋に戻ってきたかのように。
「屋敷は常に妙さん達が綺麗にしてくれている。ということはこれは皆が寝静まった後に汚れたということか」
「叢丞……?」
「ッ?!」
不意に名前を呼ばれて、叢丞は口から心臓が飛び出そうなくらい驚いた。
「しぃ〜」
見ると颯季が口に人差し指を当てて立っていた。
「大きな声を出すと皆が起きてしまいます。こちらへ」
叢丞は颯季の後についていく。
やって来たのは颯季の部屋だった。
「近頃、毎晩のように出かけているようですね」
「それは……」
叢丞は自分達のしている事を話した。
「そうでしたか。まあ、咲夜さんと白銀がいるのなら問題無いでしょう。それより、叢丞。何故先程は凛さんの部屋の前に?」
「母上もご存知かと思いますが、今夜は大変濃い霧が出ています」
「そのようですね。こんな霧の夜は海から豊玉毘売の使いが来ると昔から言われていますが」
「はい。その豊玉毘売の使いかどうかは分かりませんが、僕達は怪しい人影のようなモノに遭遇しました」
「人影のようなモノ、ですか?」
颯季は眉間に皺を寄せた。
「はい。ソレは僕達の前からはすぐに姿を消しましたが、一瀬さんが襲われました」
「一瀬とは聞かぬ名ですね」
「一瀬誠司さんは水薙家に剣術修行で訪れた方で、咲夜に引けを取らない実力の持ち主です」
「あの咲夜さんにですか?!」
颯季ももちろん咲夜の実力は知っている。それに匹敵する実力の者の出現には驚きを隠せない様子だった。
「しかしそれほどの者が襲われたというのですか」
「幸い怪我は無かったようです」
「それは本当に幸いでした。ですがそれと彼女の部屋の前にいたのとどのような関係があるのですか?」
「〝龍神伝説〟には、龍を封じた陰陽師は月に何度か異形に変わり果て、やがて自らを封じたとあります。その身に龍を宿していると言った〝レイン〟が、龍神伝説の陰陽師と同一人物だったとしたら……」
「なるほど。遭遇した何モノかが彼女かもしれないと。それで何か分かりましたか?」
「いえ。調べる前に母上に声を掛けられたので。でも……」
「でも、なんですか?」
「彼女の部屋の前が土で汚れていました。まるで裸足で外を歩きまわってそのまま部屋に帰ってきたかのように」
「それは単に掃除が行き届いていないという可能性もありますが……」
使用人達の働きを知る颯季はその可能性が限りなく低い事に言葉を詰まらせた。
「あなたから凛さんの話を聞いた時にこういう事が起こり得るのは想定していたつもりでしたが、あまりに無邪気な様子に失念していました」
凛は目を覚ましてからずっと、叢丞や咲夜、その周りの人間を巻き込んで小さな子供のように無邪気に遊びまわっていた。だから自嘲的な笑みを浮かべる颯季の想いを叢丞は理解出来た。
「私は書庫で〝龍神伝説〟に関わる過去の文献を調べてみることにします。だから叢丞、あなたは……」
「はい。夜の見廻りを続けて被害者と、そして加害者を出さないように努めます」
叢丞は颯季の部屋を退出した。
そして二人の懸念はすぐに形となって現れた。
つづく




