第193話 海からの使者①
その日は朝から、水薙の剣術道場で仕合が行われていた。
「エイヤァァァァァァァァァァァァッ!!」
裂帛の気合を発したのは、前の日に水薙家を訪れた剣客の男。
対するは水薙家次期当主である水薙咲夜。
仕合を始めてから三〇分程経ち、一進一退の攻防を繰り広げているように見えるが、わずかに咲夜が圧していた。
そして一合、また一合と撃ち合って鍔迫り合いになった。
「なるほど。噂以上の腕ですね」
「一体どんな噂が流れているのやら」
その噂の内容がなんとなく想像出来た咲夜は、剣客の賞賛に苦笑した。
「鬼神の如き強さ、阿修羅の様に腕が六本もあるような太刀捌き、そして七尺を越える大女だと世間では噂されてますよ」
「あ、あはは……」
傍らで仕合を観ていた叢丞は、そんな乾いた笑いしか出てこなかった。
咲夜の身長は一六〇センチ強。尺貫法に直すと五尺四寸程度で、(当時の)女性としては少し高めである。
初めて咲夜を目の前にした時剣客の男は驚いた。何せ〝噂の剣の達人〟は自分の鼻くらいの身長の、何処からどう見ても少女だったからだ。
ちなみに叢丞と咲夜を比較すると、叢丞の額のくらいの高さに咲夜の頭がくる。
だが咲夜の場合身長は関係無かった。
外見は普通の少女に見える彼女だが、一度剣を交える為に対峙すると一回りも二回りも大きく見える。
彼女の気迫と実力、つまり〝心〟〝技〟〝体〟のうちの〝心〟と〝技〟が相手にそういった幻覚染みた錯覚を起こさせる。
「噂通りでなくて不満か?」
「め、滅相もない。噂を越える剣の腕です。しかし───ッ!」
剣客は鍔迫り合いの状態から床を蹴って間合を取った。
「この『一瀬 誠司』。例え剣を交える相手が少女であろうと、我が刃、曇らせはしない」
「聞いている分には大人気ないな」
剣客『一瀬誠司』の口上を、咲夜はそう茶化すように言った。
「貴女にはそれだけの技倆があります」
そう応えると、一瀬は腰を落とし、左手に持った木刀を目の高さで水平に構えた。
そこには一片の驕りも侮りも無く、ただ〝勝つ〟という気魄だけがあった。
「ほう」
瞬時にそれらを悟った咲夜の目から驕りは消え、ただ目の前の一人の剣客に集中した。そして正眼に構えた。
その自然体の構えに端から観ていた叢丞は隙が見つけられない。ああ構えられた時はどう撃ち込んでも掠る事すら叶わない。
それは対峙している一瀬も同様だった。
頭の中でどう試行錯誤をしても彼女には届かなかった。肌で感じた彼女の技倆から導き出された結果がそれだ。
(……とても少女の技倆とは思えん。一体どれだけの修練を積んだというのだ)
それに反して綻びそうになる口元を必死に抑えている。
(本当に世の中は広い。剣の道も深い。こんなご時勢にも拘らずこんな強者がいるのだから。それも歳下の少女だぞ。嬉しくて笑わずにはいられない)
そして改めて気を引き締める。
(今の私にはどう足掻いても敵いそうにない。なら敬意を持って、最高の技で締め括るとしよう)
一瀬は全身に気魄を漲らせる。
(いい気魄だ)
一瀬の発する気魄に咲夜は感嘆した。
(叢丞も腕を上げているが、如何せん気魄が足りない。まあ元々あいつは〝剣客〟ではないからな)
改めて一瀬に注意を払う。
その目に漲る気魄から次が最後の一太刀であろう事が伺える。そしてその構えから予測出来るのは〝刺突〟。
(ただの〝刺突〟ではあるまい。おそらくは一撃必殺の〝刺突〟)
剣の達人は、相手が仕掛けてくる瞬間を見極める事が出来るという。
呼吸なのか、経験なのか、はたまた直感なのか。それらすべてなのか。
そして水薙咲夜もその域に達している者の一人である。相対している者に気魄が漲りつつあるのを肌で感じていた。
やがてその気魄が臨界に達したのを咲夜は察し迎撃態勢を取る。が……、
「なっ───?!」
気づくと咲夜は、そのすぐ目の前まで一瀬の接近を許していた。
そして繰り出される刺突。
「くッ!!」
受け止めきれないと瞬時に悟った咲夜は左に躱す。刹那、咲夜の背筋が冷やりとした。
そしてその剣士としての直感通り、一瀬は突き出した木刀を右に、咲夜が躱した方へと薙いだ。
(この技はッ───!!)
一瀬の技は、左手に持った得物の刃を水平に寝かし、そのまま刺突を繰り出し、そしてそれを躱されるとそのまま刃の方に薙ぐ。所謂〝平刺突〟と呼ばれる技だ。
かの新撰組副長土方歳三が考案したと言われている技である。
咲夜もその存在は知っていたが、実際の使い手には初めて出会った。
その咲夜の虚を突いた一瀬は一瞬勝機が見えた。……気がしたが、それは間違いだというのに気づいた。
咲夜は瞬時に右前の構えから反転するように身体を引いて左前に切り替え、木刀を左片手に持ち替えて、一瀬の木刀を一撃を斬り払った。
「くッ!!」
そのあまりに力強い返しに一瀬は木刀を弾き飛ばされてしまった。
そして次の瞬間には一瀬の首元に咲夜の木刀が突きつけられた。
「ま、参りました」
咲夜が木刀を下す。すると観戦していた門下生から歓声があがった。
「最後の〝平刺突〟は正直肝を冷やした。どこで会得した?」
「祖父から教わりました。祖父は今は亡き曽祖父から教わったと聞いています」
「余程名のある隊士だったのだろう。見事なものだ」
「ですが見事返されてしまいました。咲夜殿はもしかして両利きなのですか?」
その質問に咲夜は少し驚いた。
「ほう。さすがに見抜いたか。生まれつきは左でな。だが知っての通り剣術は右利き前提の流派が多い。水薙の流派とてそれは同じ。だから稽古で慣らしていくうちに両方使えるようになった」
左右変幻自在の異端の剣。それが彼女の強さの一つであった。
「なるほど。咲夜殿の強さも納得です。それにしても、あそこから瞬時にあのように動くなど、到底人間業には思えませんな」
「なに、水薙の剣は老大人の剣と同じく、必ず殺す剣だからな」
一瀬が剣呑な目つきになった。
「もっとも、相手は人間ではないがな」
「相手が人間ではない……?」
「咲夜」
そこへ叢丞が割り込んだ。
「そうだったな。これ以上は表の世界の人間には関係の無い事だな」
「咲夜殿? 叢丞殿も? それはどういう……」
「沙耶。咲乃を呼んでこい」
一瀬の言葉を遮るようにして、門下生として観戦していた沙耶に咲夜が託ことづけた。
「は、はい!」
そうして沙耶が飛び出していく。だが、
「私ならここに居ますよ」
道場の入り口には、青竹色の着物を着た咲乃が立っていた。
「さ、咲乃殿……」
一瀬はまるで目上の人間にでも出会ったかのように、ビシッと背筋を伸ばした。
叢丞は一瞬、咲乃と目が合った気がした。だが気のせいだったのか、彼女の目は咲夜の方を向いていた。
「ちょうどいい。一瀬はお疲れだ。客間へお連れしろ」
「はいはい。本当人遣いが荒いですね」
そうボヤキにも思える事を呟くと咲乃は一瀬へと向き直った。
「私はそこに居ますので、ご用意が出来ましたらお声かけください」
「は、はい」
一瀬は頰を少し赤くして応えた。
「それと一瀬」
咲夜はそんな一瀬を呼び止めた。
「夜は出来るだけ出歩くな。この辺りは夜に霧よくが出る」
「霧、ですか?」
「その霧は人を惑わす。それは豊玉毘売がかけた山幸彦への罰。この辺りの伝承でな」
「……分かりました」
一瀬は身支度を整えると道場から退出していった。
つづく




