第192話 凛⑦
「そんな所で何をしていた? まさかあのお坊ちゃんに言われて何かを探っていたのか?」
咲夜が威嚇するように宗十郎に訊いた。
「い、いえ、わ、私は叢丞様が本日の剣術の稽古をお休みしたというのを耳にしたので、どこかお加減でも悪くしたのかと訪ねようとしたのですが……」
「それで今の話を聞いちゃったんだ」
「は、はい……」
宗十郎はシュンと縮こまってしまった。
「それでどこまで聞いた?」
咲夜が尋問のように訊ねるので宗十郎はますます萎縮してしまった。
それを見た叢丞は宗十郎に歩み寄り、目線の高さを合わせるように屈んだ。
「怒らないから、言ってごらん」
すると宗十郎は恐々と叢丞の目を見た。そして叢丞の優しげな目に安堵したのか少し表情を和らげた。
「あ、あの……、あまりよくは聞き取れなかったのですが、……妖魔が出るかもしれないから夜の見廻りに行こうということくらいしか……。何かあったのですか?」
宗十郎の目や表情を見る限り、嘘や隠し事は無さそうなのは叢丞には分かった。叢丞は咲夜に目を移すが彼女も同じ意見のようだった。
「どうしようか?」
叢丞は咲夜に訊いた。
「あのお坊ちゃんならいろいろやりようはあるんだが、宗十郎は叢丞と同じで人畜無害だからな」
乾いた笑みを浮かべる叢丞。
「だから叢丞に任せる」
「……この家にいたらおそらくすぐに凛と鉢合わせることにはなるんだ。どうせなら全部話しちゃおう」
それを聞いた咲夜は盛大な溜め息を吐いた。
「分かった。じゃあ俺は、また誰かが盗み聴きでもしないか見張ってて…………ん?」
咲夜は何かの音に耳を傾けるように虚空を見た。
「咲夜?」
「今誰かに呼ばれたような……」
とそこへ……、
「兄様。沙耶ちゃんが咲夜ちゃんを迎えに来てますけど、咲夜ちゃんいらしてるんですか?」
「ッ!?」
涼香がやってきた。
そしてその涼香の言葉を聞いて宗十郎がピクリと反応した。
「邪魔してるよ、涼香」
「咲夜ちゃん、いらしてるならお茶くらいお出ししたのに」
「叢丞が事情があって今日の稽古を休むというから、詳しい話を聞きにな。内容が内容だけに早急に聞いた方がいいと思ってな」
「あ、凛さんの事ですか」
涼香は合点がいったようだった。
「凛さん? どなたですかその方は?」
宗十郎がそう訊いたところ、
「咲夜様ぁ〜!!」
「ッ!!」
建物を回って沙耶が姿を現した。それを見た宗十郎がまたピクリと動いた。
「どうした、沙耶? わざわざ迎えに来たのだから、それなりの用があるのだろう?」
「は、はい。咲夜様にお客様がいらしてます」
「客? 今日はそんな予定は無かっただろう?」
陰陽道の家系である水薙家には、仕事の依頼等で来客が度々ある。次期当主である咲夜も水薙家としての仕事に慣れる為にそれに同席する事が多くなった。
「それがお仕事のお客様ではなくて、こちらの方で……」
沙耶は竹刀を構える振りをした。
「剣客か。このご時世にまだいるのか」
咲夜は一瞬楽しそうな表情をしたが、すぐに真剣な顔に戻った。
「悪いが今日はそれどころではない。明日仕合うから今晩は水薙家に泊まってもらえ」
「わ、分かりました!」
そして沙耶が踵を返したその時、
「さ、沙耶殿!」
宗十郎が彼女を呼び止めた。
「何ですか、宗十郎様」
「そ、その、今から帰られるのなら、私が、送っていきます」
彼が耳まで赤くしているのを叢丞と咲夜は見逃さなかった。
「い、いいですよ! 谷曇家のご子息様に送ってもらうなんて恐れ多い。それにこちらにいらっしゃるということは咲夜様や叢丞様達とお話をしていたんじゃ……」
ハッと我に返ったように宗十郎は二人を振り返った。すると二人は優しく微笑んでいた。
「話は今度にしようか。だから行っておいで、宗十郎」
「沙耶も遠慮せずに送ってもらうといい。俺は涼香がお茶を淹れてくれるというのでもう少しお邪魔させてもらうよ。いいよな、叢丞?」
「もちろん」
「じゃあすぐにでもお茶を淹れてまいりますね」
そう言って涼香は楽しげに台所へ向かった。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
沙耶は宗十郎に頭を下げた。
「そ、それじゃあ行ってまいります。行きましょう、沙耶殿」
そうして二人は母屋の角を曲がっていった。
「微笑ましいよね」
「しかしまあ、沙耶は気づいてないみたいだがな」
と、その時───、
入れ替わるようにしてドタドタドタドタと廊下を駆ける音が近づいてくる。そして……、
「そーすけ! あそぼっ!」
叢丞を見つけるなりそれは飛びついてきた。
「凛?! ちょっ……、いきなりどうしたのさ」
「つまらない」
「は?」
「そーすけ、ちっともあそびにこない」
「来ないも何も、凛はお昼ご飯食べたら寝ちゃったじゃ……ん? 凛、その着物」
凛は、叢丞と出会った時に着ていた洋装ではなく黒を基調にした着物を着ていた。
「さつきがきせてくれた」
「母上が……。そっか」
「それよりりんとあそぶっ!」
「……今から?」
「そう!」
何の躊躇いもなく元気に言った。
「ちょっと待て」
まるで自分の存在を主張するかの如く咲夜が制止した。
「叢丞、その子が〝凛〟か……?」
「ああ、そっか。話だけでまだ紹介してなかったね。この子が凛だよ」
凛は状況が飲み込めないのか、きょとんとしている。
「凛、この人は水薙咲夜。僕のいいな……友達だ」
今度は咲夜が呆けている。
「咲夜……?」
「え? ああ、水薙咲夜だ。咲夜で構わない」
「サクヤ……?」
「そうだ。咲夜だ」
「うん! さくや! リンはね、リンだよ」
「あ、ああ。よろしくな」
すっと咲夜が近づいてきて耳元で言う。
「まるで幼子だな」
「レインが言うには新しく出来た人格だそうだから、生まれたばかりだそうだ」
「なるほど、だから友達か」
咲夜が安心したような顔をした。
「ごめんよ。やっぱり気になった……?」
「え? い、いや、別にそんなことは……」
珍しく慌てる咲夜。
「許婚って言ってもわからないだろうからさ」
「そ、そうか。……って別にそんなことは無いだろうと言っているだろう」
さっきから咲夜の珍しい表情の連発だ。
「そーすけ……」
突然凛が二人の間に割り込んできた。
「ケンカよくない」
「別にケンカじゃないよ」
「ほんと?」
「ああ」
確認された咲夜が答える。
「兄様、咲夜ちゃん。お茶をお持ちしました」
そこへお盆にお茶を載せた涼香が戻ってきた。
「あ、凛さんもこちらにいらして……」
涼香は凛がいるのを見て、そして固まった。
「に、兄様……」
小刻みにプルプルと震えている涼香。その手に持ったお盆の上では湯呑みに注がれたお茶が波立っている。
「涼香?」
そこでようやく叢丞は涼香の様子がおかしいことに気づいた。
「な、何をなさっておいでですか?」
「何って、さっき咲夜と話をしてたっていうのきいたよね。それよりもお茶が───っ!」
涼香からお盆を受け取ろうとして叢丞は気づいた。自分の身体が重いことに。
それもその筈、重いのは凛が叢丞に抱きついているからである。
「兄様に抱きつくなんて、そんな羨ま……いえ、ふしだらなっ!」
「涼香、なに言って……」
「ふ、ふふ……、不潔です~っ!」
「あっ、す、涼香っ……!」
涼香はお盆にお茶を載せたまま、どこかへと走り去ってしまった。
「すずかどうした?」
状況を飲み込めてないのか、凛はきょとんとしていた。
「八澄の家は知らぬ間に賑やかになったな」
咲夜は何やら楽しげに皮肉った。
「騒がしくなった、の間違いじゃないの……?」
叢丞は頭が痛くなるような思いがして、深く溜め息を吐いた。
つづく




