第八話 天眼戦
「今日の天眼戦はどっちが勝つかな。なんでも今回の挑戦者、秘策があるとかなんとか」
「神様の気まぐれを味方にして、相手の心を弄んではへし折るあの天眼には無意味だと思うけど」
「でもうちの卓上遊戯部は全国大会常連だって有名だよ。今回ばかりは挑戦者の部長さんが勝つんじゃないかってもっぱらの噂」
「ほうほう。なら今回は部長さんにベットしよっかな」
「にひひっ、だよね。一緒に億万長者目指そうよ」
ただ食堂で夕食を済ませているだけなのに下世話な話が聞こえてくる。おかげで大好きなハンバーグなのに味がしない。三日月型のフライドポテトも塩っけ一つ感じない。すっかり食欲が消えてしまったので全部勝手にマナの皿によそった。巴さんの依頼を終えて帰ってきたわたしらを出迎えたのは期待と恐怖を混ぜた不気味な視線。慣れてるわたしは兎に角、無関係なマナを巻き込んでしまって申し訳なかった。そのお詫びになればいいと思ったが、本人は何も気にしていない様子だ。
天眼戦。誰が最初に呼んだのか。気づけば本人の許可なく宿舎の一大イベントとして祭り上げられていた。それもこれも金の匂いを嗅ぎつけた守銭奴、もとい優秀な資本主義者のせい。おかげでただゲームをするだけなのに派手に目立つわ、周りから妙なプレッシャーを押し付けられるわ、恐怖の対象になるわで散々。たった数ヶ月でブックメーカーを導入する手腕は認めるが、一人の日常を破壊したという意味ではやってることは巨悪と大差ない。
「天眼戦に向けて一言お願いっ!」
と、こんな風に一人で考え込んでいる時に無礼な輩が割り込んでくる。たとえクラスメイトだろうと放送部の取材だろうと語るものはない。
「いやー、どんな相手が立ちはだかろうとちぎっては投げ、ちぎっては投げ。賽の河原に勝ち星を積み重ねていこうかと」
「わたしの声で勝手にアテレコするな。意気込みなんてない」
「さすが百戦錬磨の天眼だ。強者の余裕ってやつだね」
「天眼なんて呼ばないで! ったく、どいつもこいつも」
ほんと、いい迷惑。
今の立場にしたって夢にしたって、当初思い描いていた青春とあまりにも乖離している。
理想と現実。生まれ持った才能。その全てが噛み合わない自分がもどかしい。
心の中ではさっさと天眼の看板を下ろして重圧から解放されたい自分がいる。一方で勝負事には絶対に負けたくない自分もいる。どちらかを捨てれば悩みの一方から解放される。面倒を片付ければその分前に進める。だというのに強欲な自分は得たものを何一つ捨てられなかった。
これから始まる大勝負に興奮するバカどもを放置して、約束の時間より早いが先に決戦の場に向かった。特に何も考えずに会場でもある談話室に足を踏み入れると、眼前には予想だにしない光景が広がっていた。
普段なら淑女の憩いの場に相応しくシックなテーブルが並んでいるのに、今は部屋の中央に折りたたみテーブルをくっつけて形成された対戦テーブルが鎮座している。さらに逃げ道はないとでもいわんばかりに周囲は対戦を見守る観客席で埋めつくされていた。
「天眼とあろう御方が緊張してんの?」
と、こちらが呆気にとられていると部屋の隅からポンコツカルテットその1が焚き付けてきた。
「天眼なんて呼ばな……あぁ! いちいち否定するのも面倒になってきた」
「いい加減諦めなって。うちらはもうあんたの名前なんて覚えてないんだから」
その言葉、そっくりそのままお返ししてやる。あんたはポンコツカルテットのリーダー格の、名前は田中だったか鈴木だったか、ありふれた名前だったので覚えていない。その証左か、これまで何度も勝負を挑まれては返り討ちにしてきた仲だけど、とりわけ仲がいいわけでもない。言葉を交わすのなんて勝負をする前だけ。完膚なきまでに叩きのめせば絶望に駆られて閉口しているし学舎ですれ違っても挨拶なんてしないのが普通。
それが今日に限って向こうから話しかけてきたのはどういう風の吹き回しだろう。いささか不穏に感じたわたしは適当な椅子に腰かけ、彼女の作業を黙って眺めた。
「今日の相手のこと、知ってるか」
「えっと、卓上遊戯部の部長の雨宮さん、でしたっけ」
「あの人は曲者だ。侮らない方がいい」
まさか、助言してくれてるのか? 意外性を通り越して耳を疑った。
「なに驚いてるんだよ。心配したっていいだろう」
「い、いえ。ありがたいなーと。それより曲者ってどういうことです? イカサマ上等とか?」
「そんな卑屈な人じゃないよ。どころかゲームに対しては誰よりも真摯に向き合ってる。無策で巨悪に挑むほど愚かじゃない」
「人を勝手に悪の親玉にしないでください」
「それは兎に角、ほら、今回の天眼戦は前回から間隔が空いただろう。気づかないところで罠を仕掛けているかも」
「罠、ですか。探りを入れられるようなヘマはしてないけどなぁ」
「あんたがいつもどおり勝ってくれれば文句はない。今回だけは応援してやる」
背筋に電撃が走った。今日のこの人、やっぱり様子がおかしい。わたしがドン引きするなんてよっぽどだ。
「勘違いするな。うちらの敗北が卓上部のデータになってるのが気に食わないだけ」
「ん……まぁ、ポンコツンデレの応援として受け取っておきましょう」
「生意気な後輩だなぁ。もう少し敬ったらどうだ」
それから程なくすると談話室が熱気で満ちてきた。ポップコーンを片手に友達と楽しく談笑しながら腰かける様はさながらライブ会場。マナや古賀はもちろんのこと、他のクラスメイトや風紀委員の夏目も見かけた。さすがに風紀委員長はミーハーなイベントには興味ないみたい。
「オーディエンスも集まったことだし、そろそろ始めようか」
卓上遊戯部の部長と聞いた時はどんな物好きなのかと興味を持った。こうして対面するのは実は今日が初。勝手にどんぐり体型の陰湿な人を想像していたが、会ってみればひっつめ髪で眼力が鋭く面長の八等身美人さん。どことなくタカラジェンヌという単語が頭によぎった。
◇
転入以来、紺野麻奈はゲームを避けていた。親睦を深めるのを理由にクラスメイトから誘われても片付けや課題を理由に断り続けてきた。初日に騙されたトラウマもあったが、それ以上に海琳朱乃の負担になることを嫌った。
学舎での彼女は教室の隅で黙々と読書に勤しみ、人と関わることを極度に避けて過ごしている。人付き合いが苦手なのかと思えば、実のところは話好きで世話好きな明るい人。もしもまた自分がゲームに負けてコインを取られたと聞けば、心優しい彼女は嘆息しながら取り返しにいく。勝てばその分、彼女の意思とは裏腹に目立ってしまう。それはこちらとして望まない。
しかし今日の勝負は自分が転入するよりも前に組まれたもの。いわば自分とは無関係で、純粋に勝利だけを祈って観戦できる貴重な時間。「天眼」と謳われる実力を目の当たりにする最初の機会だった。
「雨宮楓部長はゲームクリエイターとしてかなり注目されてる。ゲームのボイス収録をする時によく会社の人と話すんだけど、いろんな人からしょっちゅう名前を聞くよ。今年は東京のイベントでオリジナルゲームを頒布するみたい」
隣に座る古賀翼の解説がありがたい。放送部としての事情通の一面と本職である透き通る声、加えて最前列で見やすい席。こんな贅沢を独り占めしてしまっていいのだろうか。
「勝てるかな」
「今回は雨宮部長が選んだゲーム。でもみっちゃんはどんなゲームか知らない。普通に考えれば明らかに不利だよ」
「えっ! どうしよう、ムズカシイゲームだったら負けちゃうよ」
「んー、ただ勝ちたいだけならそうするかもしれないけど、雨宮部長にもプライドがあるはず。きっとフェアな勝負を仕掛けてくるさ」
と言うけれど心配だ。真剣勝負にプライドって邪魔だろうに。
あたしだったら勝つためなら手段を選ばない。大切な勝負の前に下剤を盛るくらいなら許されると思うのは自分だけだろうか。どんな形で勝利をもぎ取ろうと「勝てば官軍」なんて言葉もあるのだし。
そうこうしていると雨宮部長が口を開く。喋り出した途端、活気に包まれていた談話室もだんだんと静寂に呑まれる。
「今回のゲームは『NGワードゲーム』。聞いたことあるだろう?」
「相手が指定したワードを言ったらアウト、ってやつですよね」
雨宮は足元の鞄から一枚のルーズリーフとボールペンを取り出し、何も言わずにびりびりと三等分に破いた。
「ルールはそれだけ。ただ、ゲームを円滑に進めるためのルールを設けたい。まず私たちはNGワードを紙に書く。その間にもう一人……そこのきみ、手伝ってくれないか」
雨宮が選んだのは最前列に座っていた夏目雅。唐突に指されたからか風紀委員らしからぬ頓狂な声をあげていた。先の事件で顔見知りではあったものの、下手に仲間だと思われてもなんの得にならないので鉄仮面を貫いた。
「我々が準備している間に彼女にはトークテーマを決めてもらおう。小難しい内容じゃなくていいが、できれば私たちの会話が弾むようなテーマがほしい」
「ほうほう。なら議題とまではいかずとも、双方が対立する程度の話題が好ましいですね」
「物分かりが良くて助かる。で、書き終えたら互いに目隠しをしてNGワードが書かれた紙を交換。互いに受け取った紙を額にくっつけたところで目隠しを外してトークテーマ発表。それからゲームスタートだ。悪いけどアシスタントもしてくれるかい?」
「承知しました!」
「トークテーマがある以上、無言や適当な相槌は禁止。ただテーマによっては話しづらいこともあるだろうから、アシスタントさんにはいくつか候補を考えてもらう。NGワードを相手から引き出せないと思ったらそれ以外の話題を変えたっていい。ただし相応のリスクはあるけどね。何か質問は?」
「ならワードを書く時はそれぞれ別の場所に移動しましょう。わたしは食堂、夏目さんはエントランス、部長さんはここ。もちろん野次馬はなしで」
「構わないよ、それくらい」
天眼もまた堂々としている。盤上の向こう側に立つ彼女は人付き合いを避けている根暗でも友情に熱い友達ではなく、眼前の獲物を手中に収めようとする狩人。あれが敵でなくて本当によかった。
それから十分ほど待ち時間ができた。ゲームを選んできただけあって雨宮はスラスラと紙に書き、それを真っ二つに折ってテーブルに伏せた。ここまで彼女に怪しい動きはない。今のところイカサマの可能性は極めて低い。
雨宮は腕を組みながら口笛を吹くという、余裕たっぷりの表情で二人の帰還を待つ。そんな挑戦者の態度に感化されたのか、空気が張り詰めていた部屋の中が和らいだ。百戦錬磨の天眼を前にしても余裕を崩さない雨宮を見て「賭けるところ間違えたかも」と嘆く声もちらほら。
「ね、私らも試してみない?」
と、翼はポケットからメモ用紙を取り出してビリビリ。特に断る理由もないので暇つぶしに興じることにした。NGワードは彼女が言いそうな『取材』。互いに紙を額にくっつけたところでスタート。
「部長さんが選んだNGワードはなんだろうね」
「みっちゃんの口癖があればわかりやすいんだけど。あの子、人と関わろうとしないからよくわからない」
「なら挨拶とかかな。一発で決めるなら『よろしく』とか」
「うーん、でもそれだと最初に言わなかったら勝ち目がない。トークテーマがわかってれば誘導しやすいんだろうけどな」
それもそうだ。決めうちをするならもっと的確で効果的な言葉。
トークテーマを指定するのは理にかなっている。第三者に委ねたのはフェア精神の現れだろう。だけどあたしならもっと上手いことやって自分の優位に持ち込みたい。たとえばあらかじめ自分で候補を紙に書いておいてダンボールの中に入れておくとか。それならNGワードを決めやすい。引くやつを第三者にしておけばランダム性は担保される。むしろそれくらいしなければ勝ち目がない。
口癖がない彼女なら尚更————はっ!
麻奈は気づいてしまった。雨宮部長が選んだNGワードが。けれど気づいたところで真剣勝負である以上、それを伝えるのは禁忌。だけど教えないと、朱乃の敗北は決定的だった。




