第七話 天眼なんて呼ばないで
世界で最初に悪が観測されたのは十七年前の冬、沖縄米軍基地キャンプ・シュワブ。
平和なご時世ではにわかに信じられないことだが、世界最強の米軍基地が奇襲されたのだ。最初こそ防衛に成功したが、地上の兵器にはない得体の知れない違和感があったと当時の司令官が語っている。
直ちに国際連合緊急特別総会が開かれて事実確認が進められる。しかしどうもおかしい。他国が軍隊を動かした形跡がどこにもない。どころか時間が経つにつれて他国の軍事施設でも同様の攻撃が確認され、次第に地上の兵器が通用しなくなり、ある大国の陸軍基地が陥落したのを契機に世界は悪に染まり始めた。
最初の観測から三ヶ月後、悪の親玉である「巨悪」が全世界に声明を発表した。
「一年以内にこの世界を統治する」
悪の侵攻で世界人口の三割が犠牲になった。犠牲者の多くは民間人。市街地ではゲリラ戦が展開されて世界中の都市が占領された。正体不明の悪は残虐の限りを尽くしたというのが通説なのだが、星峰女学園(現聖峰女学園)だけは例外だった。
世界統治を掲げる巨悪は人類の全滅をよしとせず、飴と武力を使い分けて世界を支配し始めた。日本でも北海道から沖縄まで十ヶ所に及ぶ地域が襲撃されたが、何故か辺鄙な山奥に佇む学校にだけは「悪と人間の共生」を敷いたのだ。
悪の考えることなんて到底理解できないのに巨悪は地上で最も繁栄した都市の一角を模倣し、そこを根城にした。さらに有象無象の手下には絶対に学園の関係者を傷つけてはならないという規律を定め、学園の生徒には普段の学生生活を過ごさせた。街とのやり取りは問題なく行われた。物資はもちろん情報も。当時は生徒を身代わりに悪と密約を交わしたんじゃないかというデマもあったと聞く。
当然ながらその話を信じなかった人もかなりいたそうだ。時には疑いを抱いた人物らが集って義勇兵を結成。学園解放を求めて巨悪に戦いを挑み、そして散った。
「巨悪が現れて四ヶ月経ったくらいでしょうか。摩天楼が築かれ『悪との共生』に慣れてきてしまった聖峰の空に突如、星が現れたのです。その輝きは縦横無尽に空を駆け巡り、難攻不落の摩天楼へと攻撃を始めたのです」
「え、七人の魔法少女でも巨悪に苦戦したんですか」
「巨悪ではなく摩天楼の突破に苦戦したのです。地上兵器を超越した魔法攻撃でも摩天楼はびくともしません。流れ星のように降ってきた人類最初の魔法少女『マジカル・パシフィック』は一度撤退。世界中の戦いを食い止めながら仲間を増やし、七夕に行われた『七夕決戦』にて初めて摩天楼への侵入に成功。そして巨悪を討伐——おっと、今日の授業はここまで。来週は小テストがあるので予習を忘れずに。ついでなのでこのままホームルームも始めちゃいます」
毎週水曜日は極楽だ。
一限二限は世界史、三限四限はロングホームルーム、五限は音楽で六限は魔法少女学。峠は午前中の二コマだけ。それさえ乗り切ると欠伸をしているうちに終わってしまう。特にホームルームなんてやることが決まっているから疲労なんて皆無だ。
「連絡事項は一点、明日がプール開きなので水着の用意を忘れずに」
あぁ、憂鬱。中学に引き続いて気が滅入る日常が始まるのか。
わざわざ更衣室まで着替えにいくのがめんどくさい。びしゃびしゃになった水着を毎回持って帰るのはめんどくさい。その日のうちに洗濯して乾かしての繰り返しもめんどくさい。周りは泳げて気持ちいいと喜ぶけど、いいことなんてどこにもない。水泳が楽しみなんて理解不能だ。最大限の権利を行使して最大限にサボるのは決定事項。
それはそれとして憂鬱のタネは別にある。疲れもしない今日に限ってやらなければならないことが重なってしまったのだ。
まずは巴さんに頼まれた買い物。毎日飽きもせず、どこぞの弟子があまりにも美味しそうに巴さんのパンを食べるから、なけなしのコインを投げ打って「私にも作って」と頼む人が爆増したそうだ。おかげで当初の材料では注文に追いつかなくなり、急遽忙しい巴さんに代わって仕事が回ってきた。当然ながら丁重にお断りしたのだが「材料が足りないと朱乃の分を減らす」と脅されてしまい、なくなく引き受けることにした。
それから厄介なことに今日の夜はコインを賭けた決闘を挑まれている。コインはどうでもいいけれど勝負を挑まれたからには負けられない、負けたくない。どんなくだらない勝負だろうと挑まれたからには負けたくないのがわたしの性分。さらに今日は帰ったら水着を探さねばならない。あぁ、面倒。
だけどこの程度の忙しさにめげてる場合ではない。なんせ一生かけても侵入できそうにない摩天楼が聳えているのだ。これくらいテキパキと要領よくこなさないと、魔法少女でさえ苦戦した道のりなんて突破できない。わたしは一人の力で救世主を超えるんだ。
「どったの? そんなに渋い顔をして」
「え? あれ? ホームルームは?」
「とっくの昔に終わって解散したよ」
目の前のマナは肩をすくめた。ちんちくに心配されるなんて、これではいつもと立場が逆転している。たまには珍しい一日もあるようだ。
「ほら、これから出かけるんでしょう? 早くいこ」
「えと、なんのこと?」
「今朝、巴さんに買い物頼まれたでしょう? その時、あたしも隣にいたでしょう。……ひょっとして体調悪い?」
あぁ、そういや今朝は偶然時間が重なって一緒に登校してきたんだっけ。それで掃除をしていた巴さんに捕まったんだ。荷解きやら盗難事件の事情聴取やらで結局マナは街に行けずじまい。マナの童顔を見ているとふつふつと思い出してくる。もしかすると寝不足が祟って疲労が拭えないかもしれない。今日はさっさと面倒をこなして早めに寝るとしよう。
次のバスが来るまで時間がある。最近は夏が自我を押し付けてきてむさ苦しいし、時間ギリギリまで涼しい教室の中で時間を潰すことにした。
「それ、重くないの」
「慣れてきたから平気」
「首から下げるなんて縁起悪い」
あの一件からマナは反省したのか、大切な懐中時計を肌身離さず首から下げるようになった。クラスメイトからは「カッコいい」「主人公っぽい」「小学生みたい」と意外にも好評。一連の事情を知る先生からも暗黙の了解を得ていた。彼女の努力は尊重するけど、あえてあいつらの真似する必要はないんじゃないかと思う。
犯行を認めた園田は現在自宅で謹慎中。近いうちに処分が下されるようだが、退学は決定的。これには重い処罰を望まなかったマナでもどうしようもなかった。
「縁起は悪くないよ」
「周りに褒められたから?」
「バカね。成績はいいくせに中身はポンコツ」
「ポンコツっていわれるとアイツら思い出すからやめて。あれには温厚な麻奈ちゃんでも激おこなんだから」
盗みには寛容なマナでも、転入初日に先輩に嵌められコインを奪われかけたあの一件を未だに恨んでいるようだ。以来、あのポンコツカルテットとすれ違う度に「べー」と舌を出す。
「あ、そういえば今日は『天眼戦』やるんだよね。意気込みは?」
「天眼なんて呼ばないで! そんな厨二くさい名前はやめなさい。もう一度言ってみろ、みんなの前であなたに勝負を挑むから。もちろん全コイン総取りで」
「それだけはくわばらくわばら。神様仏様朱乃様」
なむなむと勝手に仏像扱いして拝むマナ。ははぁ、なるほど。どうやら勘違いしているようだ。わたしは神様なんかじゃなくて些細な恨みさえ一生根に持つ普通の人間なのだと、一度じっくり教えてあげないといけないみたい。
「なんだか今年はやけに早く進む。来週には七月だなんて信じられない」
「プール開き、終結記念祭、期末考査。なーんでわざわざ期末考査の前に祝い事をやるんだか。祝わせる気がないよね」
「終結をみんなで祝うって楽しいと思うけどな。それに祭りっていうからには屋台もでるんでしょう? 宿舎のご飯に文句はないんだけど久しぶりにお好み焼きとか焼きそばとか食べたい」
「でないよ」「へっ?」
「祭りというよりあれは式典だ。屋台なんかないし、勉強時間も睡眠時間も削られるから楽しいもんじゃない」
非情な現実を知ってしまったマナの目にはうっすらと涙が溜まっていた。頭の中では盆踊りみたいな、さぞかし愉快な祭りを想像していたのだろう。真実を教えてあげただけなのになんだか罪悪感。まるでわたしが極悪人みたいじゃないか。妙に居心地が悪くなったので無理矢理話を逸らしてみた。
「部活はもう決めた? 思い出したんだけど、うちには料理部があった気がした。ほら趣味は料理だって自己紹介の時に言ってたでしょう。運動部は華やかだけどマナはエプロン巻いてクッキー焼いてる方が似合ってる」
せっかくマナの好きな話を振ってあげたのに、何故か顔色がますます青ざめていく。
「うぅ、その、出来心といいますか、あの時は少し盛ったといいますか、もっぱら食べる専門でして」
なんとなくそんな気はしてた。なんでも美味しそうに食べるし、そもそも荷造りを手伝った時に料理道具を一つも見かけなかった。わたしの倍以上食べるくせ、全体的にちんまりしているのだから現実は残酷……や、食べる割には太ってないから才能なのか? 現実が残酷なのだと見せつけられているのはわたしらなのか? 人生って難しい。
「ならこれまでどうしてたのさ」
「作れるのはカレー、チャーハン、ペペロンチーノ。基本的にはレトルトとカップラーメン」
偏った栄養に原因がある気がする。でもその割にはちんちく。栄養が全て脳みそに注がれているんじゃないだろうな。
「じゃあ料理部は無理だね。あそこは本気でプロを目指してる子が多いから。他にマナに似合う部活というと——」
「放送部なんてどうかな」
「放送部? よくそんなニッチな部活見つけたね」
「現在部員募集中! みっちゃんも入らない?」
違和感がある……気がする。声はマナなのに中身がずる賢くなったような口調。でも目の前にちんちくがいるんだし疑う余地がない。
「昼休みに音楽を流すだけの楽な部活って思われがちだけど、体育祭ではアナウンスをしたり聖峰中を走り回って取材して番組を作ったり、意外とやりがいがあるんだ」
おかしい。マナの部活を選んでいたはずなのに、なぜわたしが勧誘されているのだろう。
他人の心配よりも自分の心配しろと目を細めるも、どうしてかマナは両手で口を押さえて小動物みたいにぷるぷると身体を震わせている。どこからどう見ても様子がおかしい。
「住めば都ともいうでしょう。試しに見学だけでも」
手を押さえたまま、ぶんぶんと首を振るマナ。目の前で不気味なことが起きていた。声は確かにマナなのに声の主はマナではない。異変を察知して周囲を見回してみれば廊下に不審な人影を発見。恐る恐ると近づくと、そこにはクラスメイトの姿があった。
「どう? 私の声真似上手でしょう」
「さすが放送部のエース。けど盗み聞きはよろしくなくてよ? 古賀翼さん?」
古賀はばつが悪そうな顔をしていた。悪戯に対してなのか、それとも盗み聞きがバレたことに対してなのか。どちらにしたって淑女がやることではないだろうに。
学園の淑女を分類すると一般人が六割。三割ほどは名家出身の本物ご令嬢で、残りの一割が将来を有望視された推薦組。推薦組はいわば学園の顔で広報担当として重宝されている。そんな一芸に秀でた彼女らの才能は家柄が優れたご令嬢の嫉妬の対象でもある。ゆえに推薦組は派閥から忌み嫌われているアウトロー的存在。ただこの古賀翼だけは例外で、クラスメイトにちょっかいをかけては鈴を転がすような声で人を面白がらせてくれるムードメーカー。他人を避けているわたしにも分け隔てなく接してくれる稀有で憎めない存在でもあった。
「これから仕事?」
「ううん、今日はお休み。明日明後日が東京でお仕事。それが終われば連休なんだけど式典の司会を頼まれちゃって。胃に穴が空きそう」
「ま、お仕事なんだし頑張って」
「それが部活動の一環なんだよね。部活は部活でゆるりとやりたいから、仕事スイッチが入らなくてやりづらいんだ」
古賀翼は俳優事務所に籍を置く芸能界きっての若手。学園を卒業すれば芸能界入りが既定路線。将来はお茶の間の報道番組から彼女の声が聞こえたって何の疑問もない。将来を有望視されている子に部活動の延長線だからと無報酬で働かせるのはいかがなものかと思う。
それはさておき、古賀がどうしてここにいるのだろう。まさか本当に勧誘しに来たのではあるまいな。
「実は人手を探してて。ちょーっとだけ相談に乗ってくれないかな?」
予想外の人物の出現から、予想外の相談に思わずマナと顔を見合わせる。
日々、天眼だとか血が通ってない殺戮兵器だとかシャイロックだとか、無茶苦茶なあだ名をつけられるが一応は人間。誰かに頼られるのは悪い気はしなかった。相談を聞いても買い物なら夕方からでも間に合う。今は目の前を転がる細やかな友情を拾うとしよう。
茶髪のおさげをリズム良く揺らしながら話す古賀はなんだか楽しそうだった。クラスメイトとはいえ耳にする機会が多いのは校内放送にのる感情を押し殺した無機質な声。いつもと対照的な感情剥き出しのその声が新鮮だった。
プロである彼女にとって放送部なんて所詮はお遊び。適当に活動したって彼女の進路に影響するわけじゃない。なのにプロとしてのプライドからか妥協を許さず、期末考査直前の今学期最後の昼休みでラジオドキュメントを放送するようだ。
テーマは『蒼月の時計塔』
その時計塔は聖峰に現存する最古の建物。智の象徴として明治期に建てられた木造の時計塔はこの世に悪が出現するまで現役だったと言われている。歴史の一端からくり抜いてきたような趣きある建物。なによりも際立つのは世にも珍しい群青の文字盤。蒼月という愛称はブルームーンのような見た目から。朝になれば異国から伝わった天上の音色がこの地に鳴り響き、学園のシンボルとして長い間親しまれていた。しかしその伝統も巨悪がこの地に根城を構えたことで潰えてしまった。平和が訪れた今でも時計の針は止まったまま。あの摩天楼同様、危険が未知数あるとして未だに近づくことさえ禁じられている。
「ダメ元で取材を申し込んでみたらなんと許可が下りたの! とんだ奇跡だよ!」
彼女がはしゃぐのも無理はない。というかわたし自身、その言葉が本当なのかと疑っている。だけどここで嘘をつく理由は見当たらなかった。
「それでカメラマンとかアシスタントとか、若干二名ほどお手伝いさんが欲しくて」
「それが『ちょーと』だけの相談なんだ」
なははと笑って誤魔化す古賀。個人的にここで話を打ち切ってもいいと思ったり。浪漫というのは目には見えないからこそ魅力的なのであって、下手に触れて解き明かしてしまうと火傷では済まされない。
お腹いっぱい夢いっぱい。それでおしまい。めでたしめでたし——とはならないのが現実の嫌なところ。「時計塔」「立ち入り禁止区域」「群青色の文字盤」などと刺激的な言葉を並べられて興奮しないお子様がいるのだろうか。
あぁ、わかってるさ。たとえ面倒事が待ち構えていると気づいても、一端の感情を携えた人間が好奇心を抑えきれるわけないって。それに赤べこみたいに何度も何度も頷く隣人を止められる自信がなかった。
「あたしに手伝わせてっ!」
「もちろん! みっちゃんはどうかな」
「し、しょうがないなぁ」
かくいうわたしも人間なのだから人並みの好奇心はある。マナがいてくれたおかげで断る理由を探さなくて済んだのは本人には内緒だ。
それから軽く打ち合わせ。日時は学園の都合で来週の三十日の夜。特に異論はない。
にしても塔は塔でも違う方とはいえ、正式に許可が下りるなんて人生数奇なものだ。立ち入りを認めたということは学園側は安全性を確保したということ。
一体いつ、そんな大規模調査が行われたのだろう。少なくともわたしはそんな話は聞いたことがない。
……えっ、まさか、あれから手付かずのまま放置してる、なんてことはないよね。だとしたらわたしも相応の覚悟で挑まねばならないし、学園の管理責任を疑問視せざるえない。
いろいろ心配だ。一応念のため、わたしの方でも下調べをしておくか。




