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第九話 敗北の通達



 始まりこそ会場のボルテージが高まっていたものの、戻ってきた頃には淑女の談笑会が開かれていた。「ございます」「おほほ」と上品な言葉遣いが飛び交う中、「オールイン」だの「トイチ」だのと物騒な言葉も聞こえてくる。親御さんが聞いたら心臓麻痺するぞ。自称お嬢様学校の裏の顔に呆れつつ、四つ折にした紙をテーブルに置く。



「置いても見えないよう、両手で隠そう」


「ずいぶんと念入りですね」


「ふふっ、『天眼』相手に隙は見せられないさ」



 ここは素直に喜んでいいのだろうか。深く考えるのはやめた。



「それじゃあアシスタントくん、よろしく」



 アシスタントに昇格した夏目はアイマスクを手渡してきた。仕事を押し付けられて辟易しているのかと思えば満更でもない笑顔。おまけに「頑張ってね」と無邪気な応援をもらった。目隠しをすれば視界は真っ暗。自分だけが孤立した世界というのもなかなか恐ろしい。手元の紙が誰かの手によって運ばれ、数秒後には新しい紙が手の中に入ってきた。夏目の合図でその紙を額にあて、おもむろにアイマスクを外した。


 あれだけ賑やかな空間だったのに、夜空に浮かぶ花火みたいに弾けて静まり返った。自分の胸の鼓動が耳を刺激する。これまでの勝ち星は売られた喧嘩を買っただけで、目の前の敵を淡々と片付けていたにすぎない。だけどこう、大勢の観客に囲まれながら用意周到な対戦相手を迎え撃つというのは存外に緊張するものである。



「それではテーマを発表します。発表した瞬間からゲームスタートです」



 さすがは卓上遊戯部の部長だ。緊張を前にしてもポーカーフェイスと余裕を崩さない。一瞬にして経験の差を思い知らされた。思えばこの学園に入学するまでは遊戯とは無縁だったんだ。それがこんな大それたイベントになるなんて世の中不思議なことばかり。胸の中で煮えたぎる緊張と興奮を息とともに吐き出した。


 新鮮な空気を入れても頭の中はまだ熱い。でも大丈夫。どんなお題でもかかってこい。



「お題は——あんぱんはこしあん派? それともつぶあん派?」



 …………ん? あんぱん? 聞き違いだよね? そう思いたい。


 一体全体どんな思考回路であんぱんの好みをテーマに選んだのだろう。いや、確かに食べ物の好みは話の種になるけれど、新たな火種を生みかねない。これには雨宮もぽかんと開いた口が塞がらない。そんなわたしたちとは対照的に室内には再び花火が打ち上がった。



「食べられないわけじゃないけど、口にしたのがつぶあんならハズレだと思っちゃう」


「あら、正気? たった今、わたしと正義の味方に喧嘩を売りましたよ」


「こしあんって食べてると飽きてこない?」


「そもそも糖質は遠慮してますわ」



 たかがあんぱん、されどあんぱん。正義の象徴なのに辺りは血気盛んになってきた。なんとなく世界から争いが消えない理由が見えてくる。政治と野球と宗教の話はするなというが、ここに新たにあんぱんを付け加えよう。



「他のテーマにしてくれないか?」



 無言で肯首。一言一句同感である。テーマにするならもっといいのがあるだろう。例えば夏休みをどこで過ごすかとか。二択にするなら山派か海派、インドア派かアウトドア派とかいろいろあるだろう。案外夏目って天然なのか。



「そうですか、なら、これならどうでしょう——付き合う時は告白したい? 告白されたい?」


「…………」



 言葉が詰まった。天然なのかは定かではないままだけど、金輪際この子に期待するのはやめておこう。

 告白、つまりは恋愛。恋愛という言葉の響きには乙女の正気を狂わす魔力がある。先祖代々、わたしのお母さんを含めた全員が人類最大の浪漫に魅了されたと思うと途方もない浪漫を感じる。


 が、それはそれ。これはこれ。外界とは切り離された淑女の箱庭では恋愛と関わる機会なんて無に等しい。どれだけ恋に焦がれようと手の届かない遥か彼方を漂っている。


 恋愛に興味がないとはいわないさ。いわないけど……話すネタがない。恋愛経験皆無の乙女には苦しい時間だった。



「ぶ、部長さんはどうなんです?」



 ここは素直に年の功に頼ることにする。理想と妄想を前提に話を広げても羞恥と虚しさに苛まれるだけ。勝負に負けるより悲惨な目に遭うのは目に見えている。


 わたしがこんな捻くれた考え方をするのは経験がないからであって、本来恋愛とは甘酸っぱくて最上のスイーツであるとタカラジェンヌなら熟知しているはず。この際だから昼想夜夢の自慢話を聞いてやるし『部長』がNGワードでも大人しく敗北を受け入れよう。だからどうか、この手の話題はわたしに話を振らないでくれ。


 窮地に陥ったわたしとは打って変わり、勝負を見守る観客らは今か今かと雨宮の次の言葉を待ち侘びている。その眼光は淑女の本能そのもの。もはや勝敗なんて二の次だった。



「…………夏休みのご予定は?」



 辺りから大きなため息が漏れたのはいうまでもない。でもテーマとしてはナイスパスだ。



「えっと、お盆は帰省しようかと」


「ほう、実家は東京かい?」


「生まれも育ちもそっちなんですけど、わたしの高校進学を機に父が家業を継ぐことになりまして、家を手放して今年から田舎暮らしなんです。早く帰ると家の手伝いをさせられるので今年はお盆の時期だけ。ひたすら惰眠を貪る計画がご破産ですよ」


「休む時間があるだけきみが羨ましい。私なんて今年は勉強づくしだからな」



 あぁそうか。三年生は今年が受験生。普通の受験生でさえ苦労するのに、雨宮先輩のようなご令嬢は親からのプレッシャーもある。尋常ではないストレスを浴びながら過酷な試験を完走するなんてわたしには絶対に真似できない。



「ようやく高校生活が始まったのに将来なんて考えられません。いっそ、ポーカープロになっちゃおうかな」


「個人的には是非とも見てみたい」


「ジョーダンですよ」



 うーん? 気のせいかな。もちろんわたしの方が圧倒的な経験不足だから当然なのかもしれないけれど、すごく不気味。


 NGワードゲームは指定した言葉を吐かせるゲーム。互いに面識がないとなれば考えうるは学生生活で耳にする単語や都市の名前、所謂日常で多様するありきたりな言葉。『夏休みの予定』からスタートしたのでてっきり『宿題』とか『海』とか『山』とか、はたまた範囲を限定して『東京』なのかと警戒していた。言葉巧みな雨宮の攻撃をさらりと躱してみたけれど、雨宮部長は気にする素振りをせずに話を続ける。攻め込みすぎて警戒されないように一度退いたのかもしれないけど、こう、わたしの直感からすると一度退いたわけではなくて、ただのアイスブレイクにしか思えなかった。まだ雨宮部長は刀を構えるどころか抜いてすらいない。それが奇妙だった。



「雨宮先輩は大学、どこ目指してるんです?」


「第一志望は京大、併願で慶應」


「うっわ、頭の出来が違いすぎる。一年坊の後輩に向けて今のうちにやっとけ、みたいなアドバイスあります?」


「ん? うーん、睡眠に貪欲になれ、かな? 快眠できると授業の集中力が段違いだ。一度の授業だけで大体暗記できるから復習の時間を省ける。余った時間は他の教科に当てられるし、趣味の時間も作れる。健康も保てるし一石二鳥」


「同感です。わたしも十一時には寝るようにしてます。でも成績の方は不思議とさっぱりなんですよね」


「一年なら余裕で巻き返せるさ。もう進路を決めてるのか?」


「それがなーんにも。これといって趣味もありませんし、進路を見つけるのはまだまだ時間がかかりそうで。夢はあるんですけど」


「ほう、いいじゃないか。それを目指せば」


「残念なことに高校生のうちに片付く、いえ、片付けなきゃいけないんです。ですので卒業するまでに新しい夢を探さないと」


「それならこの学園はうってつけだ。しきたりや派閥争いが目障りだが、ここに集まっているのは将来の伴侶探しに苦戦する一癖も二癖もある厄介な女たち。少なくとも学生生活は飽きはしないさ」


「それも一言一句同感。わたしたち、気が合いますね」


「そうだな。このままずっと楽しい時間が続けばいいな」



    ◇



 率直なことをいえば今日まで待たずとも必勝法を生み出していた。されどこの世に絶対はない。不運に時の運が重なって勝機を逃すこともあれば、そもそもこの前提が根本的に間違っていることだってある。眼前の勝利を手に入れるにはあらゆる不安要素を排除するのが鉄則。故にこの一ヶ月は九十九パーセントの勝利を百パーセントに近づけるための精査期間だった。


 失望したとは思わないよ。ただ勝つためだけに自問自答し続けたこの一ヶ月は悪くなかった。久しぶりに挑戦者になった気分だ。楽しかった。



「そろそろ互いに腹のうちが見えてきたんじゃないか?」


「えぇ。たまには頭を使うゲームも面白いですね。かといって毎日はこりごりですけども」


「いいじゃないか。受験勉強の糧になる。どんな時間にも必ず終わりがあるんだから、ゴールが見えている時間くらい全力で駆け抜けても損はない。わたしも今日、きみに勝つために走り続けた。おかげで今は清々しい気分だ。海琳朱乃、いや、『天眼』に感謝するよ」



 ——わたしが指定した単語は「天眼」


 誰がそう言い出したどうかは不明だが、今は名も知らない誰かに感謝しよう。


 勝利はもう確定した。



「『天眼』なんて呼ばないで——」



 勝った。思わず勝者の微笑が溢れる。儲けたコインで勝利の美酒に酔いしれるとしよう。あの莫大な財産さえあれば卒業まで贅を尽くしたって……



「——そう、忠告してきたのだけど」


「はい?」



 声高らかに勝ち名乗りを上げるまでもなく会場は一瞬で沸騰した。

 どういうことだ。観客の興奮と賛辞は勝者ではなく敗者に向けられている。


 おかしい、だってわたしは確実に「天眼」と書いた。


 終始、その紙を凝視してきたのだから間違えるわけがない。それなのにどうして、このわたしが負けたことになっている?


 得体の知れない現実に不快な汗が噴き出た。手が震えた。逃げ出したくなった。現実から取り残されたわたしを嘲笑うように、眼前に敗北の通達が舞い降りた。



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