第五話 風紀委員長 鷺谷彩葉
魔法の発動条件は未だに確立されていない。魔法の残滓が濃ければ濃いほど発動しやすいというのがこれまでの定説だが、昨今の研究では魔力の濃度より生まれ持った人間の素質で左右されるという説が有力らしい。どちらにせよ魔法少女から譲り受けたレリックは貴重な研究材料。それが消失したとなれば学園内外に与える影響は計り知れない。
榎本に促されて授業中の教室に戻るも室内は薄暗い雰囲気に包まれていた。異様な空気の中で居心地悪そうに授業する先生にいささか同情してしまう。授業が終われば重苦しい嘆息があちこちで湧き起こる。わたしがケアするまでもなくマナの周りには人だかりができていた。各々で励ましの言葉を投げるもマナは俯いたまま口を開かない。心の整理ができていないうちは無闇に話しかけない方がいいだろう。周囲の視線に憚られながらまずはパパッと制服に着替える。
「ねぇちょっと」
着替え終わるといきなり、前の席の子に声をかけられた。髪をブロンドヘアーに染めた彼女は確か都議会議員の一人娘とかでプライドが高く、自己紹介でも風紀委員に入りたいと常々と宣言していた。しかし実際は書類審査の段階でアウト。噂によれば品行面がダメだったとか。以来プライドをへし折られた彼女は風紀委員を恨み憎しみ、上から目線であれこれと文句を呟く高飛車で面倒な存在へと成り果てた。正直、話す時間すら惜しいから名前すら覚えていないし、向こうもわたしを恐れて話しかけてこなかった。それがどうしてか今回は怪訝な表情で見つめてくる。
「あんた、こんな大変な時にどこ行ってたの」
「事務室」
「へぇ、あんたはすぐわかったんだ。麻奈の大切なものがなくなったって」
「何が言いたいんです?」
「あんたが盗んだんじゃないんでしょうね?」
気づけば周囲から敵意を剥き出しにされている。はぁ、なるほど。あの状況で最善の選択をしてしまったことで却って怪しまれたようだ。おまけに海琳朱乃は担任から直々に世話係を指名されている。他のクラスメイトでさえ存在を知らなかったマナの宝物を、海琳朱乃なら知っていても不思議ではない。周りはそう推理したようだ。
「ならいつ、わたしが盗んだと?」
「そんなの教室に誰もいない隙に……」
残念ながらその推理は崩壊している。さっさと反論してしまおう。
「いや、海琳さんは犯人じゃないよ」
——と、わたしが反論する前に助太刀が現れた。頼れる2組の学級委員、小野田が間に入ってきた。
「うち、鍵係だから最後に教室の鍵を閉めたんだ。その時までずっと海琳さんといろいろ話してたけど怪しい動きはしてなかったし、紺野さんの席にも近づいていなかった。絶対に盗んでないとこの小野田莉音が証明しよう」
クラス代表の堂々とした証言で荒唐無稽な仮説が否定された。だが否定された彼女は面白くないのだろう。逆に彼女の怒りを買ってしまい、顔を真っ赤にして今度は怒鳴り散らす。
「なら廊下に出る直前に」
「あのさぁ、海琳がクロだと思うならその証拠を見せてくれる?」
さすが小野田、2組の厄介な連中を束ねるだけある。言葉と振る舞いだけで口うるさいを圧倒した。またもやプライドをへし折られた彼女は悔しそうに唇を噛み締め外に出ていった。
その後彼女がどうなったというと恥辱で耐えきれず、計画性の欠片もない行き当たりばったりな旅程で実家に帰ろうとしたそうだ。もちろん即刻警備に捕まり反省文の刑。さすがの学園も停学にはしなかった。
「ありがと。助かった」
「うんや、冤罪をみすみす放っておくわけない。それよりお前、結構熱いやつだったんだな。事務室まで確認に行ってくれたんだろう? このクラスにそこまで頭が回るやつはいなかった」
同じ陽キャでもマナとは少し異なる。ひたすらに明るいのがマナだとしたら、バレー部に所属している小野田は熱血系の爽やかスポーツマン。ショートヘアーの前髪をかき分ける仕草も様になっている。
「友達が困っていたら助けるのが当たり前です」
「そーいうの仲間思いっていうんだぜ。ただの根暗だと思ってたけど見直した」
だけどわたしの無実が証明されたのは大きな一歩。これから本腰を入れて犯人捜索をするのに余計な疑いは邪魔だ。そういう意味では心優しい小野田が「なにかあれば協力する」と公言してくれたのはありがたい。これで疑いの矛先は向かない。これで心置きなく動ける。これで多少の無茶もできる。そうこうしていると教室に榎本がやってきてホームルームを始めようとした。けれど騒然とした空気と一つの空席に気づくと、ぴくぴくと顔が引き攣っていた。
「風紀委員会が動いてくれるって。優秀な人ばかりだからすぐ見つかるよ」
ホームルーム終わりに食堂で買ってきたコーヒーを差し入れしたのに反応を示さない。居た堪れない空気に耐えかねたのか、わたしが食堂から戻ってきた頃にはマナ以外誰一人いなかった。でもここでならいつもどおりを振る舞う必要もない。マナが口を開くまでコーヒーを口にしながら待ってみた。
「目をつけられてたのかな」
「かもね。だけど悪いのは全部盗んだやつ。マナが悲観するようなことじゃない」
文武両道の彼女なら嫉妬に駆られた淑女どもの標的になるとは思っていた。淑女の箱庭なんていわれても集まるのは家柄と礼儀を弁えているだけの女子高生。世にありがちなトラブルは日常茶飯事、どころか風紀委員会に治安維持を任せるほど陰湿かつ大胆な事件が起こりうる。
だとしても疑問がある。転入一週間で目の敵にされるほど目立ったのかという点だ。マナが誰かの面子を潰したわけでもなく、側から見ていても悪さをしたとは思えない。言い換えれば「いじめのターゲット」にされる段階ですらない。
だからこれは嫌がらせが前提の事件ではない。標的がたまたまマナだった可能性もある。となれば話がだいぶ変わってくる。下手な推理よりもしらみつぶしに動いた方が早く解決するんじゃないか。
榎本はどこまで話を通してくれたのだろう。風紀委員はどこから手をつけるのだろう。
あぁ、こんな時にわたしが焦ってどうするんだ。今はあの執念深い連中を信じて待つべきだろうに。わたしの動揺が伝播したら元も子もない。
平静を装いながら待つことしばらく、閑静な廊下からコツコツと足音が聞こえてくる。誰かと思えばこの場に似つかわしくない人物だった。誰もが目を奪われる真紅の外套、人の心さえ見透かしそうな澄んだ瞳、晴天の雲のような白髪を靡かせた乙女、鷺谷彩葉が鋭い視線を投げかけてきた。
「あなたが紺野麻奈さんね。私は風紀委員長の鷺谷彩葉。事件についていろいろ聞きたいのだけれどいいかしら?」
凛とした立ち振る舞いは権力の象徴。よもや風紀委員長が直々に話を聞きにくるとは計算外。滔々とした声にようやくマナは顔を上げた。瞳は赤くなって頬には涙の跡が。けれども突然の来訪者に慌てて目を拭い、取り繕った声でぎこちない応対をする。
鷺谷は簡単な聞き取りを行った。いつ紛失に気づいたか、最後に見かけたのはいつだったか、どれくらいの大きさでどんな形だったか。榎本経由で話を聞いているだろうに被害者に聞き取りするとは相変わらず勤勉な性格である。
「了解しました。で、あなたと園田の関わりは?」
聞き慣れない名前にはてと首を傾げるマナ。唐突に現れた名前にわたしも困惑するが、先ほどの榎本との会話を思い出すと自ずとわかった。でも風紀委員長がいる手前、大っぴらに反応できない。
「容疑者はすでに確保した。でも本人は否定してるし件の懐中時計が出てきてないの。このままだと宿舎の夕食前に解放される」
「懐中時計さえ戻ってくれば犯人はどうでもいいです」
悲痛な声だった。弱々しいマナを見て風起委員長はなにを思うのだろう。タイムリミットがあるなら殊更、当てがなくても校内を探し回ればいいだろうに。
鷺谷は意味深に「そう」と呟いたあと、捜索に入ると思えば何故かわたしの方を向く。
「とある情報筋から一年1組の園田円の目撃情報が入ったの。証拠もない証言は門前払いしているのだけど、その園田円がきな臭い人物でね。我々風紀委員でも前々からマークしてたの。転入生さんはプエラ派って聞いたことあるかな?」
「プエラ、派?」
「ラテン語で『少女』とか『娘』って意味なんだけど、ここでは『魔法少女』を指す言葉なの」
その言葉に思わず息を呑む。バレたら一番面倒な人物の前で「魔法少女」の単語が飛び出してきた。わたしはいつものことなのでシラを切れるが、不慣れなマナは一瞬だけ怯んでしまった。その隙をめざとい鷺谷が見逃すわけがないのだが、今回は淡々とマナの疑問に答えていく。
「この箱庭に外の世界を持ち込んでくる馬鹿どもはどうでもいいとして、我々風紀委員が脅威とみなしている派閥の一つがプエラ派。十六年前の大戦で世界を救った魔法少女が人の子ではなく神そのものと主張する連中のこと。大戦の終戦地であり魔法の残滓が今のなお残る聖峰の地は魔法少女の所有物。人の子が立ち入る場所ではないと訴える過激な連中がプエラ派」
わたしも噂で聞いたことがある。聖峰女学園では創立以降プロテスタントのミッションスクールだが、歴史的背景もあって独自のカリキュラムに「魔法少女学」なるものを取り組んでいる。
教育理念との兼ね合いで、聖峰女学園においては魔法少女と聖典の関係性を否定している。魔法少女は単なる神の奇跡ではなく人類の新たな可能性。学園が魔法研究にお熱なのは一刻も早く魔法のメカニズムを解き明かして、魔法を科学の分野に位置付けたい側面もあるのだろう。
要は学園の方針とプエラ派の主張は真逆なのだ。敵対関係といっても過言ではなく、敵の本丸に諜報員を送り込むのは古来からの定石。もしもマナの懐中時計をレリックと知っての犯行なら、事態はわたしが考えるより深刻なのかもしれない。
さて、どう動くべきか。盗まれたものがレリックだと鷺谷が知るわけもなく。最悪な状況を考慮して鷺谷と情報を共有するべきだろうか。
いや、わたしから約束させたくせに、なにを馬鹿なことを。これはわたしにしかできない仕事。わたしが片付けないと。
「あら。あなたはどこに行こうと?」
「あなたたちに任せておくと日が暮れそうなので」
「ちょっと朱乃ちゃん! そんなこと言っちゃ悪いよ」
「構わないわ。『天眼』に考えあっての行動なら止める権利はないもの」
「天眼?」
コイツっ……! こんな時に余計なことを言いやがる。
「どうぞお好きにしてくださいな。今更知らない顔でもあるまいし、ね?」
わたしから一瞬たりとも視線を逸らさない鷺谷風紀委員長。ビスクドールのような無機質な表情には一種の冷酷さを覚える。「あなたの魂胆は全てお見通し。だから観念しなさい」とでも言いたげな鋭い視線。この願力こそ学園中の生徒が畏怖する理由なのだろう。
でもわたしは負けたくない。すかさず顔を背け、自分にしかできないことがあると強く言い聞かせながら教室を脱出した。
ここまでは良いものの、よくよく思えば行く当てがない。校内の事件が風紀委員の管轄である以上、たとえ教師といえど関与は許されない。こうなれば自力で解決するしか道はない。
鍵となる人物は園田円。昼休みにわたしが目撃した生徒。となればまずは1組の教室で情報収集。知り合いもいない他所の教室に立ち入るのはいささか勇気が必要だった。中にいた数人の生徒から彼女について訊いてみるも「プエラ派」という単語は出てこず、教室での普段の様子や所属している部活だとか、ありきたりな話しか聞き出せなかった。
淑女というのはオンとオフとで巧みに顔色を変える生物。もしかすると宿舎とでは印象が異なるかもしれない。なので本人がいないうちに宿舎で聞き取り……や、本人が風紀委員に捕まってるのなら今のうちに彼女の所属先を尋ねてみよう。
「園田? うーん、真面目なやつだよ。新入生はボール拾いしかさせてもらえないのに、やけに先輩の言うことに従順でさ。けどそれ以外の特徴はなにも」
「宿舎ではどんな感じ?」
「あんま会わないからよくわかんない。うち、すぐ寝ちゃうし」
宿舎の前に学舎に隣接されている部室棟に寄ってみる。三階建ての棟の一階が運動部、二階が文化部、三階が倉庫と同好会の溜まり場。わたしが向かったのは一階、バレー部の部室。部室の扉をノックすると運良くクラスメイトが出迎えてくれたのでスムーズに話を聞けた。
「そういやアイツ、今日は休むって連絡来てたな。事情知ってる?」
「実は——」
現状彼女は嫌疑をかけられているだけ。悪戯に話を広めるのは良くないのはわかっている。
けれど今優先するべきはマナの懐中時計。どんな些細な情報でも看過できない窮地にいる。クラスメイトの信頼を得るべく「あの件で風紀委員に事情聴取されている」とだけ耳打ちした。色眼鏡を持たれては情報が錯綜すると思い、プエラ派という単語はあえて隠した。
「えっ! 問題を起こすやつには見えないけどな。教室に入ったのもうちに用事があったのかもしれないし」
小野田は唖然としていた。衝撃の事実といったところだろう。
「園田って人見知りするタイプかな? わたしとぶつかりそうになった時、謝りもしないで出ていったからさ」
「うーん、海琳ほどじゃないと思うけど」
「ほっ?」
「ま、変な印象はないってこと。強いていえば指環を首から下げているくらいで……あ! すいません、もう行きます」
なんだかど真ん中直球で悪口を言われた気がするが引き止めるわけにもいかず、クラスメイトに礼を告げて部室棟から離れた。時間があればプエラ派について図書館で調べたいところだけど、おしゃべり好きの司書に捕まれば貴重な時間を捨てることになる。
今、わたしにできることを考える。そもそもこの事件はどうして起きたのだろう。
園田円がクレプトマニアだった。それなら話が早いが違和感だらけ。窃盗癖は物欲から生じるのであって当てもなく赤の他人の鞄の中を漁るのだろうか。なにかの拍子で懐中時計の存在を知って盗んだとしても、盗まれたものが発見されないのも不思議だ。苦労して盗んだ物をみすみす手放すとは思えない。
かといってレリックを狙い撃ちしたとも思えない杜撰な犯行だ。今回の犯行は単独。魔法少女の遺産を取り返す重要なミッションを新入生一人に任せるとは考えにくい。
「マナへの嫌がらせ、なのかなぁ」
それが腑に落ちた。けどその線を考慮してしまうと関わりがない園田の犯行理由に見当がつかない。それならむしろ犯人が別人である線を考えた方が納得できる。
だけど「かもしれない」を考え出したら永遠にキリがない。名探偵ではあるまいし、下手な思考は今日中の解決を困難にする。
意気揚々と調査を始めたものの行き詰まってしまった。たまらず近くのベンチに腰かけ、ゆっくり息を吐きながら空を見上げる。こちらの苦悩なんてつゆ知らず、空はいつだって蒼いまま。
時折、こう思う——この世界は巨悪に支配されていた方が平和だったんじゃないかって。いつだって人類の敵は人類だった。それが巨悪という悪が出現したことで明確に共通の敵が生まれた。
現代の研究では巨悪の大罪を見直す声も出てきた。事実として魔法少女が現れる数ヶ月の間は世界中の争いが止まった。魔法という未知に対して敵対していた人類が停戦を選んだのだ。それも平和が訪れれば世界中で紛争が再開した。今でも世界のどこかの争いで命が失われている。
今日も空は蒼い。世界が悪に染まっていた時代は何色だったのだろう。
「ん、なんだあれ」
視線を蒼から緑、緑から深い茶に移すと気になるものを発見した。目を凝らせばあるわけないものがそこにある。柄にもなく頓狂な声をあげてしまったわたしはすぐさま平静を取り戻し、偶然近くを通りかかった子に助けを求めた。




