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第四話 意外な一面



 もとより心配なんかしていなかった。何気なく教室に入れば和気藹々とクラスメイトと談笑している姿が当たり前。挨拶を交わす程度の友達なんてわんさかできていた。それにきちんと約束を守ってくれているようで「魔法少女の弟子」という単語は学内で一切耳にしていない。

 捻くれ者が集う学園でも無邪気なマナはあっという間に溶け込んだ。転入生という珍しい属性と天性の明るさ、さらに餌付けをすると母性を刺激されるともっぱらの評判で常に人に囲まれていた。おまけに授業になるとマナは、



「ローマ帝国がキリスト教を国教に定めたのが三九二年。『サンキュー兄さん』で覚えやすいですね」


「聖書の『聖』に市場の『市』でサンパウロ。同じく『聖』に『林』でハリウッド。漢字で表現した外国の都市って基本的にはカッコいいんですけど、ケンブリッジだけは笑っちゃうんですよね。『剣』と『橋』ってそのまんま。オヤジギャグみたい」


「モンティ・ホール問題って数学的な話というより、ジレンマが生じる哲学チックな教訓だと思うんですが、先生はどう思います?」



 意外や意外。見かけによらず頭脳明晰だった。授業中に当てられても澱みなく答えるし、予習なしの小テストで満点。気づけば秀才属性まで付与されていた。おまけに体育では俊敏にディフェンスを掻き回して軽やかにシュート。チームではエースストライカーとして重宝されている。華々しい活躍を見るに魔法少女の適正はあるのかもしれない。だけどここは思春期乙女の花園。さまざまな戦力が権力を誇示する小さな世界。小さな転入生が輝けばいい顔はされない。




 晴天の蒼空の下、吹き荒ぶ風を浴びながら優雅な時間を過ごすわたし。チーズパンとコーヒーを交互に口に入れながら自分だけの時間を堪能する。この場所と巡り会えなかった未来を考えるのも恐ろしい。入学当初は教室の隅っこで黙々と読書に勤しむ文学少女を描いていたが、今思えばそれも個性の塊。安住の地を見つけられなければ目立たない方が難しい未来だった。


 最近の過ごしからはもっぱら昼寝。学生にとって睡眠は命。乙女にとって睡眠は美容。美容は生命線。一分一秒だろうと隙間時間を見つけては睡眠を貪るのが効率のいい生き方だ。


 しかし、そう上手く進まないのが世の道理。目を閉じた瞬間、地上から甲高い悲鳴が聞こえた。何事かと思ってフェンス越しに下を覗けば、灰色の塊が一目散に駆け巡る。それが茂みに紛れていく様子を数人の生徒がスマホで撮影していた。


 そういえばここ最近、敷地内で猫の目撃情報が多数寄せられてるとかなんとか。どこから迷い込んだのか定かではないものの、猫に一家言あるご令嬢の分析によればあの毛並みは家猫。けどここらには民家なんてない。規律が厳しい宿舎で無謀な挑戦をする生徒はいないだろうし、真相は迷宮入り。猫としても野生のアイドルとして祭り上げられている方が幸せではなかろうか。



「あれ、やけに眠そうだね。次の体育は神田先生がお休みで、グラウンドから体育館に変更だって」



 気を取り直して再び寝そべって欠伸をしていると、体操着姿のマナがわざわざ屋上までやってきて報告しに来てくれた。人前ではただのクラスメイト。誰もいないところでは名前で呼び合う気の知れた友人。一風変わった関係はわたしが思い描いていた理想そのもの。


 うん、わかった。そう頷いたつもりだったのにマナは離れようとしない。どころか隣にやってきて腰を下ろす始末。その視線にあるのは巴さんお手製のチーズパンだった。



「自分の分はどうしたの」


「もう食べちゃった。すごく美味しいから無限に胃の中に入っちゃう」



 プレゼントしたコインはわたしと同じく寮母お手製の手作りパンへと捧げられた。経済が回ると喜ぶ巴さんとは対照的に、美味しいものを独占したかったわたしは複雑な気分。嫌な気配を感じ取り、彼女の視線からパンを遠ざける。むぅと唸ったってこれはわたしのもの。最後の一切れを口に放り込み、頬を膨らませるマナを横目に教室に戻ることにした。



「そーいえば朱乃ちゃんはどこに所属してるの?」


「所属?」


「部活か委員会だよ。この学校ってどちらかに絶対所属しなきゃいけない決まりでしょう。あたしもいろんな部活からお誘いが来ててね。参考にしたいの」



 淑女が集う箱庭の中では噂が広まるのなんて光の速度より早い。マナの運動神経なら引く手数多だろう。聞けば中学の頃は帰宅部。新しいことを始めてみるのも一興だろうが特にやりたいことはないようだ。忌々しいことにこの学園では部活動と委員会は強制加入。やりたいことがないわたしのような生徒たちは入学後しばらくは難儀していた。



「わたしは図書委員。ほとんど仕事がなくて楽なんだ」


「朱乃ちゃんらしいね。一度きりの青春なんだから多少苦労したらいいのに」



 その言葉が胸に突き刺さる。なぜこうもわたしの周辺は揃って同じことを口にするのだろう。無意識で似た人間を引き寄せてしまうのか、あるいはよほどわたしがめんどくさがりに見られるのか。とりあえず前者だと願いつつ自分のことは棚に上げ、マナの青春の岐路を考えてみる。


 階段を降りながら話を聞いていくと勧誘を受けたのは年中部員不足だと嘆いている運動部全般。それと美術部にプログラミング部と——



「それだけはやめておきなさい」


「え! 個人的にはこれが一番いいかなと」


「確かに名前の響きがカッコいいのは認めるけど、マナは実態を知らないでしょう。この箱庭を取り仕切るヤクザみたいなものよ——風紀委員なんて」



 あってもなくてもいい組織ナンバーワン、それが風紀委員会。中学の頃なんてどんな活動していたのかも知らないから、どうせここも似たようなものだろうと甘く見積もっていた。


 聖峰の風紀委員会には学内の犯罪を取り締まる特権が与えられている。要は箱庭の警察だ。花壇へのポイ捨て、掲示物破損、イジメ、万引き、カンニング、と大小さまざまな手柄を列挙すればキリがない。そのため全生徒から忌み嫌われている。少々酷な立場なのだが外の世界の理が持ち込まれる箱庭において、なくてはならない存在でもある。


 でも、まさかマナが勧誘されるとは意外だ。あの組織に入るには成績、素行、友人関係まで見られるというのだから厳しいというのに。しかし冷静になって考えればマナは理事長お墨付きの特待生。理事長の鶴の一声があれば風紀委員なんて容易に入れる。



「それに風紀委員長ってきつい性格みたいだよ。マナなんて小さいんだから簡単に捻り潰される」「小さいって言うけど、一応クラスメイトだよ」



 ここで諦めてくれれば苦労はしないのだけど、きっと餌付けでもしない限りは言うこと聞いてくれないだろう。辺りが賑やかになってきたのでここでマナとはお別れ。そろそろ休み時間も少なくなってきたのでさっさと着替えて移動せねば。


 ——と、教室に入ろうとした時だった。急に視界に生徒が飛び込んでくる。なんとか身を捻って避けたものの、勢いでたたらを踏んでしまった。相手はこちらに一瞥もくれず、バタバタと駆け抜けていってしまった。一瞬の出来事でも彼女の顔と首元で輝く高貴な輝きが目に焼き付いた。


 あの子、うちのクラスじゃない。気にならないわけがないが、こちとら時間も限られている。目先の違和感は捨てて遅刻にならないように迅速に着替えて体育館へと向かった。




「是非ともソフトボール部に入らない?」


「いやいや、うちのサッカー部に相応しい」


「なにを、万年予選落ち。サッカー部に入れるくらいなら全国を目指すバスケ部が」


「いやぁ、まだ悩み中で。たはは」



 転入初日はあれだけわたしにまとわりついていたマナが気後れしている様が珍しかった。運動部からの熱い勧誘を遠目で見守りながら体育で流した汗を拭った。


 神田の代理で入った我らが担任榎本の授業はドッジボール。たまには童心に帰るのもいいなんて尤もらしいことを宣っておきながら、実際のところは自分が楽したいだけ。ドッジボールなんてみんながルールを知っているし、勝手に動いてくれるのだから教師は何をしなくてもいい。序盤こそ審判を務めていたが脱落者が増えるとその子らの審判を任せ、自分は壁に寄りかかって居眠りしていた。相変わらず他人に厳しく自分に甘い人だな。


 一方で「テニスでもしたいわぁ」と文句を垂れていた淑女らも、飛んでくるボールを必死に避けていくとだんだんと化けの皮が剥がれておてんば娘と化していた。



「おい、さっきはよくも狙ったなぁ! おらぁあ!」


「避けるしか脳がなくて? 正々堂々とキャッチしてみろやぁ! おっしゃ!」


「顔面セーフだもんね。ルールくらい覚えておけぇ!」



 わたしの中学の男どものドッジボールでもこんなに狂乱的ではなかった気がする。淑女から滴る汗と罵詈雑言の嵐、それからボールが飛び交う。


 授業が終わる頃には一部の体力オバケを除いて死屍累々。でも教室に戻って汗を拭う顔は晴々としていた。



「あれ」



 そんなにこやかな雰囲気を打ち消す声がした。急に人の輪の中心が慌ただしくなる。明らかな異常事態なのに取り囲んでいる奴らは狼狽するばかり。わたしは汗を拭いていたタオルを机に投げ捨てて輪の中心に飛び込んだ。



「大丈夫?」案の定、マナは鞄の中を漁りながら狼狽えていた。「ない、時計が」



 その言葉だけで全てを察した。魔法少女の弟子として譲り受けた懐中時計。この世に魔法を顕現するレリック。マナの宝物が盗まれたのだ。盗まれたと断言するには早計かもしれないが、彼女に限ってどこかに起き忘れたとか、見知らぬ誰かに預けた可能性は切り捨てて問題ない。


 ない、ないと冷静さを失いながら鞄の中を漁るマナを見てようやく周りは異常事態に気づいたようだ。半周遅れて慌ただしくなる教室を置き去りにして、わたしは一目散に外に出た。この箱庭で盗難という可能性は大いにありえる。だからこそまず、それ以外の可能性を全て否定したかった。廊下、体育館、それから食堂に屋上。マナが出歩きそうな場所をくまなく探すが見つからない。六限目のチャイムが鳴ったが気にも留めず最後の望みである事務室に向かった。しかし今日は何も届けられていないようだ。



「どんな事情であれサボりはどうかと思いますよ。朱乃」



 本来ならもう授業時間なのに体操着姿で出歩く生徒を見て事務室から職員室に連絡が入ったようだ。思案しているといつの間にか隣でジャージ姿の担任が肩をすくめていた。特に言い訳するつもりはない。これは誰かに頼まれたわけではなく自分の意思。もっと正確にいえば勝手に足が動いてしまったのだけど授業をふけたことに違いはない。お説教ならもう慣れている。


 しかし榎本は怒るどころか「事情は本人から聞いている」と冷静な口調だった。榎本が駆けつけた時こそマナはパニックだったが今は大人しく授業を受けているとのこと。手が空いている教師総出で捜索中だから、あなたは学園の生徒として振る舞いなさいと釘を刺されてしまった。尤もな意見だ。衝動に駆られて海琳朱乃らしさを捨てた自分が情けなくなった。



「これ以上探したって見つからないと思う。多分、盗まれた」



 捜査の引き継ぎのために結果を報告。わたしが報告しなくても榎本はその線を追っていたようだ。けれどここでは教師としての立場もある。教師が闇雲に生徒を疑ってはならないのは自覚している。



「その根拠は?」


「ない、けど、昼休みにうちの教室から知らない子が出てきた。今のわたしみたいにメガネをかけてて、指環をネックレスにしてた」



 学園の規則では指環を身につけていれば問題ない。中には改造してブレスレットやネックレスにする生徒はいる。でも紛失するリスクが高くなるだけで好き好んで改造するのは全生徒のごく一部。だからネックレスにしていたというのは貴重な情報に違いない。これには榎本も心当たりがあるのか、進めていた足を止めてしばらく考え込んでいた。



「この件は風紀委員会に報告する。朱乃は麻奈さんのケアをお願い。これはあなたにしか頼めないんだからね」


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