第三話 『天眼』
規則の説明をしようにもこの宿舎で密談できる場所なんて各々の部屋しかない。わたしの部屋は今朝のドタバタのせいで他人に見せられない惨状なのは語るまでもなく、荷解きをしながらで構わないからと越してきたばかりのマナの部屋で話すことにした。
「荷物はこれだけ?」
「うん、身の回りのものはこっちで揃えるつもりだったから、引越しついでにあらかた処分しちゃった」
トイレ、シャワールーム、ベッドにクローゼット。生活に最低限必要な設備が詰め込まれた七畳のワンルームが三年間の拠点となる。ここで暮らし始めて二ヶ月になるが隣の部屋から物音が聞こえてきたりシャワーの水圧が弱いといった不満はない。買い出しに不便なことを除けば暮らしやすい環境だと思う。街まで行けば一通り生活品は揃うからマナの選択は間違っていない。だけどわたしたちは年頃の女子高校生なんだ。都会の高校から緑豊かな学舎に転入しておいて荷物がダンボール三箱は少なくはないか?
「門限は二十一時、夕食は十八時から十九時、入浴は十七時から二十二時。外泊に関しては原則土曜日しか認められてなくて規則を破れば即停学。外泊する時は念のために巴さんに確認した方がいい」
「大丈夫。もう帰る場所なんてないから」
うん、マナの私生活に関しては極力触れないようにしよう。人生経験の浅いわたしでは気の利いた励ましさえ思いつかない。重苦しい空気にならないように事務的な話を心がけた。
「さっきのポンコツカルテットが見せていた『コイン』はこの宿舎内で取引されている通貨。これと引き換えに掃除当番を変わってもらったり、お菓子を交換してもらったり、要は宿舎で豪勢な生活を送るための通貨ね。この学園だと外の世界の序列で立場が決まっちゃうから、せめて宿舎では対等な取引ができるようにって巴さんが設けた規則なの」
非常時のためにネクタイの裏に隠していたコインをマナに手渡す。五百円玉サイズの銅に「巴」と刻まれた通称、巴コイン。わざわざ知り合いの街工房に頼んで本格的な硬貨を作ってもらっているそうだ。
コインの配布方法は主に二つ。まずは月初に支給されるコイン三枚。そして宿舎の掃除や畑の収穫のお手伝いをすることで貰えるお駄賃。しかしこれっぽっちでは女子高生の欲望を諌められず、宿舎内ではなんと遊戯のチップとしてやり取りされている。
娯楽が限られる箱庭ではババ抜きやポーカーといった遊戯が生徒の憩いの時間になっており、娯楽室では日々熱狂的な盛り上がりを見せている。もちろん箱庭といえど日本の法律は適用されるが「バレなきゃオッケー」という恐れを知らないスタンスがここでの常識。淑女の憩い場に送り出した愛娘がオヤジ顔負けのギャンブ……勝負師になるなんて親御さんたちは微塵も思っていないだろう。
「まだ巴さんから貰ってないよね。とりあえずわたしが立て替えるよ。それとこれは転入祝い。これくらい余分に持っておけばしばらくは困らないでしょう」
そして念のためにいつも鞄に忍ばせているプラスチック製のコインケースを渡した。ご祝儀にしては不恰好だけど準備する時間がなかったのだから仕方ない。
「え、いいの! ありがとう朱乃ちゃ…………ね、もう一度確認したいのだけど月に支給される枚数って」
「三枚だよ」
「よかった。聞き違いじゃなかった。で、ここに入ってる枚数は?」
「ざっと五十枚くらいかな」
「よかった。見間違いじゃなかった……いや、よくない! これ本物?」
「全部本物に決まってる。そういやこれの本当の使い道を教えてなかったね。取引やチップに使われることが多いけど、真の使い道は寮母さんとのトレード。枚数に応じて夕食のおかずを一品追加できるの」
たかがおかず一品、されど一品。これが箱庭生活においてどれだけの幸福か。
「ウニたっぷりの海鮮丼、ギュータン定食にハチミツたっぷりのアップルパイ。巴さんの料理の腕前はわたしが保証する。なんたって舌が肥えてるお嬢様を唸らせるんだから」
「ぐぅ」
相槌の代わりにお腹が返事してくれた。天上の幸福を想像したマナは心あらず。無意識なのか口からよだれが垂れている。
コインを制する者が宿舎を制す。あのポンコツカルテットが初心者狩りをしてでもコインを集める理由に共感できてしまうのが複雑だ。その五十枚を有意義に使えば一年くらいは食後のデザートに食いっぱぐれる心配はない。普通に考えてありがたーいプレゼント。それなのにどうしてか現実を受け入れられない本人は深く息を吐き、何故かわたしの手を強く握った。
「自首しよう。あたしもついていくから」
すごく変な勘違いされてる気がする。すぐさま弁明しようとするが、マナはわたしの手を引いて部屋を出ようとする。
わたしとてこれは大変不本意な結果なのだ。できることなら入学式にタイムスリップしてやり直したいくらいの黒歴史。でもどう足掻いたって過去に戻ることなんて不可能で、いずれ転入生の耳に入る運命なのだ。ならば今のうちに打ち明けた方が余計な手間が省ける。
「説明したでしょう。コインを増やす方法はいくらでもあるって」
「めんどくさがりの朱乃ちゃんが地道にお手伝いで稼ぐなんて考えられない。窃盗か……ま、まさか脅迫⁉︎」
「おバカっ! ゲームで勝っただけだ!」
恥ずかしい過去だ。二ヶ月前、わたしもマナ同様、あのポンコツどもの甘い誘いに乗ってゲームに参加した。ただわたしの場合はババ抜きではなく神経衰弱。チップは五人全員三枚賭け。わたしにとっては全ベット。何も知らない雑魚がまんまと罠にかかったと嘲笑っていたが結果はわたしの総取り。
その出来事が一夜にして宿舎に知れ渡り、それ以降アイツらに目をつけられるわ、純粋なゲーム好きが勝負を挑んでくるわ、歩いているだけで「くわばらくわばら」と念仏を唱えられるわ、筆舌に尽くしがたいトラブルに多々巻き込まれた。今ではすっかり警戒され、貯金だけは散り積もり、頭取からは経済を回せと注意され、挙句の果てに変な異名をつけられる始末。恥ずかしいったらありやしない。
「ははぁ、だからあの人たちは恐れ慄いてたんだ」
プライドを生贄に誤解は解けた。こんな恥を晒す羽目になるなら五十枚もあげなければよかったと後悔する。もちろんマナにあげた分なんて貯金のごく一部。これをどう使うかは魔法少女のお弟子さん次第。個人的にはコイン一枚でモーニングコールしてもらうのがオススメなのだが、そんな話をクラスメイトにしたら「成金の思考は理解できない」と一喝されてしまった。
マナはすっかり荷解きを止めて巴さんお手製のコインを一枚一枚眺めている。その視線は玩具を買ってもらった子供みたい。彼女のあどけない顔を見れば見るほど魔法少女の弟子なんて信じられない。魔法少女はマナのどこに素質を見出したのだろう。今のわたしには到底理解できない。
「わたしね、あまりこの学園で目立ちたくないの」
「どうして?」
「目立ってもいいことがないから。マナのことは嫌いじゃない。でも今のあなたは転入生という理由だけで一、二を争うくらい注目を集めてるの。そんな時にわたしが隣にいると嫌でも目立っちゃうでしょう。だから人目を集めるところでは他の子と仲良くしてほしい。もちろん、困ったことがあればすぐ駆けつけるよ。だからさ——」
なかなか酷いことを言ってる自覚はあった。だけどこれはわたしがわたしとして正常に生きる最低条件。相手が誰であろうと譲歩するつもりは一切ない。嫌われる覚悟を秘めた告白だったが、マナはこう言ってくれた。
「ん、わかった。変わった関係だけど友達には変わりないよね」
慈悲深い天使のように笑うマナ。嘘偽りのない純粋なその言葉で幾許か心が救われた。
こんな我儘を寛大な心で許してもらった後だ。少しくらい荷解きを手伝っても……あっ、もう夕食の時間じゃないか。わたしもすっかり腹ペコ。今のうちに食堂に向かわないと席が埋まってしまう。今日くらいは世話役として夕食を共にしても、そう悪目立ちはしない、かな。




