第二話 聖峰女学園
「そういえばいつからこっちに?」
「それが今朝到着したばっかり。いろいろと手続きの不備が重なっちゃって弾丸引越しツアーになっちゃった。だからまだ自分の部屋も見てないの」
「本当にこの学園のこと知らないのか。しょーがない、散歩がてら案内しよう」
授業終わりの転入生を一目見ようと群がる野次馬を跳ね除け、学舎から無理矢理連れ出した。教室の場所なんて生活していれば自ずと覚えていくだろうし、そもそも心優しい他のクラスメイトが勝手に世話を焼いてくれる。だからわたしが教えるのは全体の地図と暗黙の了解くらい。宿舎については巴さんが案内してくれるだろう。
聖峰女学園は国内の高等学校には珍しく西洋のキャンパスをモデルに区画整備されている。以前は学園だけでなく病院や博物館、修道院なんかもあったそうで、ひと昔前までは学園都市として機能していたようだ。適当に周囲を散策すればその遺構を垣間見ることができる。
「ここの十字路を真っ直ぐいけば街に出る国道。すぐ近くに停留所があるからみんなバスで移動してる。右に曲がると渓流になっていて左は遊歩道。整備されているけど登り坂が続くから結構体力がいる。さぁ、さっきの教会のところまで戻ろう」
「あの如何にも西洋って感じの建物ね! ミッションスクールだから日曜礼拝とかあるの?」
「ううん、うちには信仰の強制はないの。それにあそこは教会といってもゴシック式の聖堂が残ってるだけで中は図書館になってる」
「ゲ、ゲームの世界みたい。ロマンの塊だ。中入ってみたい!」
「あまり時間ないし今度にしよう」
「えぇー、ちょっとだけ、先っちょだけでも!」
「先っちょってなんだ。あそこは司書さんがちょっと面倒な性格なの。冷やかしは嫌われるよ」
「むぅ、なら仕方ないか」
外見はちんちくりんで子供そのものだけど物分かりが良くて助かる。
初夏の風吹く晴天を誰かと散歩してみるのも気分転換になった。朝は小鳥の囀り、夜は虫の鳴き声。都会では絶対に味わえない大自然での生活はこの学園の唯一の利点。生活は不便だし青春を犠牲にするほどの価値があるのかと問われると長考せざるえない。学園の闇に苦しめられる前に光の面を紹介できてよかったと思う。
「ね、あの建物は?」
宿舎に向かう最中にマナは空を指差した。そこには大自然に似つかわしくない、海を超えた新大陸にありがちな摩天楼の先端が見えている。背丈がちんまりしている割には空をよく見ているなと感心する。
せっかく近づかないよう遠回りしてきたのに、これでは徒労に終わってしまったではないか。この土地で暮らしていれば遅かれ早かれ気づくことだから仕方ない。というかあんな建物が気にならない方がどうかしてる。
ま、いつ、誰に、どう訊こうとも「近寄るな」としか答えられない。だってあそこは、
「魔法少女と敵対し世界を襲った悪の親玉、巨悪の拠点だよ」
マナが驚くのも無理はない。今や悪は滅び、戦いの傷跡も徐々に消えつつある。わたしらのような戦いを知らない戦後世代の活躍がこの世界では望まれている。
「残念だけどあの辺は学園の生徒でも迂闊に近づけないの。人類に多大な被害を及ぼした悪の親玉の根城なだけあって警備は厳重。下手に近づこうものなら軍隊顔負けのセキュリティが駆けつけてくる」
「さっさと取り壊せばいいのに」
その声には憎しみが混ざっていた。時代が戦火を消そうとも、あの戦いの記録は人々の脳裏に刻みこまれている。親族が命を奪われた話なんて珍しくない。世界中をめちゃくちゃにした諸悪の根源の根城なんて目にしたくないのは当然の心理だろう。
「ところがね、世界には智を探究する変人がいないわけじゃない。悪がどこから現れたのか。彼らの目的はなんだったのか。それを解き明かすまで取り壊すべきじゃないと唱える研究者も少なくない。そもそも取り壊そうにもあの摩天楼がどんな材質でできているかもわからないから、正しくはできないだけ。だからわたしたちには無関係と覚えておけばいい」
これは忠告だ。興味本位で足を踏み入れようものなら学園を去らなくてはならない。だけど人間という愚かな知的生命体は非常に捻くれていて、ダメと言われたことに強い好奇心を抱いてしまう欠陥を搭載している。
わたしは知ってる。人は抑圧するだけ無茶をするって。だからこれ以上の忠告はしない。
そして「自分がどれほど危険な存在」なのかを身をもって自覚してもらいたい。これが同じ立場の人間ができる最善の好意だ。
◇ ◇ ◇
「宿舎って聞いたからイギリスのアパートみたいなのを想像してたんだけど、これは完全にマンションだね」
「一階はロビー、二階は食堂と洗濯室。あなた、料理が好きって言ってたよね? 事前に許可貰えばキッチンは借りられるはず。三階から六階が居住スペースになっていて七階が宿舎ご自慢の大浴場。門限とか細かい規則は巴さんに……って、説明してくれる本人がいないじゃないか。探してくるからここで待ってて。絶対に動かないで。誰かに話しかけられても無視して」
子供扱いしないで、と、ぷりぷりと頬を膨らませるちびっこを建物の前で待機させ、寮母の巴さんを探しにいく。夕方のこの時間なら食堂で夕食の準備をしているはずだ。エレベーターを待つのも面倒なので全力で階段を駆け上がる、が、どこにもいない。お手伝いのおばちゃんに居場所を訊いても行方知らず。探そうにも当てがないのでは時間と体力の無駄。それに無知なあの子を放っておくわけにはいかない。再び階段を駆け下りてエントランスに戻った、が、あれほど念押ししたのに姿がなかった。
あのちんちく! 約束を簡単に破ってくれるじゃないか!
約束を破る人間を世話するほど暇ではない、けれど足が勝手に動いてしまった。
「ゲーム?」
「そーそー、お友達を待っている間、暇だろう? 学友として親睦を深めるためにも、な?」
見つけるにはそう時間はかからなかった。如何にもって常套句で談話室に連れ込まれる子供を発見。勝手に動くな、無視しろの二つの約束を反故にされる決定的な証拠を目撃してしまった。
テーブルを挟んで向かい合うように腰かけるマナと上級生。一見すると転入生を手厚く歓迎する上級生との微笑ましい光景。放っておけば心優しい寮生が自然と集まってきて歓迎パーティーでも開かれそうな和やかな雰囲気。この学園が平和だったら誰も苦労はしない。ひとまず招かれざる客は遠目で様子を見守った。
「トランプですか。あたし、こういうのに疎いので」
「あぁ、安心して。ここにはきみみたいな子も多いから簡単なゲームも用意してるよ。ババ抜きくらい知ってるよね」
それなら、と可愛らしく頷くマナ。主催者はトランプをシャッフルしながら「そっかそっか」と笑っている。止めるのは簡単だけど一度痛い目に遭わないと学習しないのが人間だ。談話室の入り口で引き続き監視を続ける。ゲームには他に近くにいた三人が加わった。始まる前はバトル・ロワイアルを謳っておきながら阿吽の呼吸で新入生を追い詰める。結果は語るまでもないだろう。
「わ、負けちゃった」
「この宿舎ではゲームの強さが人権といっても過言ではない。覚えておくといい」
「へぇ、教えてくれてありがとうございます」
律儀にぺこりと頭を下げたちんちくは何かに気づいたようにハッと目を見開き、人を待たせているからと席を立とうとする。だが獲物を前にしたハイエナが簡単に逃すわけにもいかなかった。
「おい、待てよ。負けたんだからアレを置いていってくれないと」
「アレ?」
不穏な空気が立ち込める。マナを取り囲む上級生の目が鋭くなった。
この箱庭で平穏に暮らすには無闇に敵を作らないことが先決。なのに眼前の転入生は上級生相手にしらばっくれて賭け金を踏み倒そうとしている。踏み倒される怒りは理解できなくもない。でも第三者から一言言わせてもらうとアイツらがやってることは当たり屋と変わらない。踏み倒しどうこうと言う以前に掛け金の存在を知らないマナからすると理不尽な怒りだ。
ま、初心者狩りをするような姑息な連中に相手を慮る思考なんてあるわけない。しかしマナの悪意のない純粋な反応が奇跡をもたらした。その場にいた一人が唐突に何かを察した。
「もしかしてまだ受け取っていないのでは?」「そんな馬鹿な」「でも今日来た転入生ですし。ねぇあなた、このコインを知ってて?」
すると上級生その2がポケットからコインを取り出す。それでもなおキョトンとするマナにようやく真相に辿り着いた。
「なんだよ、骨折り損のくたびれ儲けだ。お前、確か2組だったよな。ちょうどいい。コインの代わりにアイツの弱点でも探ってきてもら——」
「代わりにわたしが払いましょう。異論はないですよね、先輩方?」
そろそろ頃合いだろうと間に入る。先輩方は夕暮れ時なのに幽霊でも見たような仰々しい悲鳴をあげた。助けて見逃してと懇願するバカどもは放っておいて、まんまと忠告を破ったもう一人のバカを睨みつける。
「知らない人についていっちゃダメでしょう。たまたまわたしが戻ってきたからいいものの、このポンコツカルテットみたいな性根腐った連中がうじゃうじゃいるんだから」
「ぽ、ポンコツ?」「なにか文句でも?」「い、いえ」
歯向かう勇気がないなら黙っていてほしい。今はちんちくの説教中なのだから。
「ごめん、なさい。その、あたし……」
初日も初日。右も左も誰が敵で誰が味方なのかも曖昧で、孤独で冷め切った心に優しい言葉で誘惑をされれば、わたしとの約束なんてチープなのだろう。わたしを信用しないのも一つの選択肢。そう思うとわたしも言葉に詰まってしまった。
「はいはーい、そこまでよ、ガキンチョども。喧嘩はそこまで。野次馬は散った散った」
隣にはいつの間にか宿舎の絶対神がツナギ姿で仁王立ちしていた。柏手を打つように手を鳴らして張り詰めた空気を打ち払い、談話室に集まっていた野次馬を追い払う。逆らえないことを痛感している部外者はバタバタと慌てて部屋から出ていった。
「あなたが転入生の紺野麻奈ちゃんね。私がこの宿舎の寮母をしている巴恵美です。ごめんなさいね、遅くなって。新人さんが来るっていうから急いでメロン収穫してたの」
「メロンですって!」「普段じゃ絶対食べられない!」
この箱庭ではどんな人間だろうと巴さんが振る舞う夕食を心待ちにしている。もちろんわたしとて例外ではない。派閥や性悪の垣根を超えて全生徒の心が一つになるかけがえのない瞬間。このポンコツどもが無邪気になるのも無理はない。
「で、なにがあったの、かな?」
加害者どもは正座になって背筋を正し、反省の意をこれといわんばかりに表明している。けれど巴さんはポンコツではなくわたしを見据えている。どうやらこの始末はわたしに委ねたようだ。まったく、わたしはこの学園で目立ちたくないというのに。
「いいえ、ちょっと口論になっただけです」
「ほう、きみらは確か入学早々トラブルを起こしていたと記憶してるけど、その続きかい?」
「とんでもありません。どこぞの案内役が不在だったので、わたしと先輩とで代わりにコインについて説明していただけ。口論は最悪のケースを想定したまでで、賭け金がない人間が負けたらどうなるかってのを再現してもらってたんです。本来ならこういうの、わたしたちではなく寮母さんがやるんですけども。でしたよね、先輩方?」
わたしの温情がよほどありがたいのか、四人とも赤べこのように何度も何度も頷いた。最後に巴さんはちんちくの方を一瞥するも、事情がわかっていない転入生は終始ポカンとしていた。及第点だろうとでも言いたげな巴さんはそれ以上の追求はせず、この場はお開きとなった。
「いやぁ、ごめんごめん。朱乃には手間かけさせた……そうだ! このまま宿舎の案内も任せていいかな?」
「はぁ? なんでわたしが」
時間外労働なんてまっぴらごめんだ。今朝の猛ダッシュから子供のお守りで体力はへとへと。マナは巴さんに任せて夕食まで昼寝するつもりだったのに。
「だって転入生の世話役なんでしょう? 私よりクラスメイトに案内してもらった方がこの子も嬉しいでしょう、ね?」
巴さんのさりげないウィンクに元気よく頷くマナ。これはもはや脅迫だ。絶対神による宣告だ。うちの担任といい巴さんといい、どうして日陰者のわたしに仕事を押し付けてくるのだろうか。いくらわたしが正論を飛ばしても権力者の一声で撃墜されるのが世の定め。やむなく残酷な運命を受け入れた。
「これが麻奈ちゃんの部屋の鍵。401号室。荷物はもう中に届いてるから」
401号室だとちょうどわたしの部屋の真上。教室でも宿舎でも賑やかに付き纏われるなんて真っ平ごめん。ご近所さんではないだけマシだろう。そのままマナを連れてエレベーターに乗ろうとしたがその前に、確認したいことがあった。
「そうだ、巴さん」
「ん?」
「今朝しか会ってないのにどうしてわたしが世話役だって知ってるんです?」
学園の宝物庫の番人を任せられるだけあって巴恵美は優秀だ。毎日街からお手伝いさんがやってくるものの、大所帯の健康管理は巴さんに一任されている。その仕事量だけでも膨大なのに、この宿舎で暮らしているのは権力者が愛でる至宝ばかり。不手際で傷ひとつ負わせれば社会的に抹殺されかねない重圧を跳ね除け、宿舎を牛耳るその手腕はオンリーワン。
けどそんな巴さんにも弱点がある。素手でゴキブリを捕まえられるくせ、嘘を突き通す度胸がないのだ。ま、そこが単純で可愛いところなのだけど。
「さ、さぁ、風の噂かな」
明らかに目が泳いでいる。これでは白状しているのと変わらない。
「榎本先生から聞いた……や、それなら誤魔化さない。多分転入生が来ることになった時点で、わたしをお世話係にしようって決めていたのでしょう。榎本先生と結託してね」
「ソンナコトないヨ」
もうバレバレだ。ほんと大人っていつまでも子供扱いする。チープな嘘で誤魔化せると思ったら大間違いだ。




