第二十四話 つわものどもが夢の跡
「で、これであなたの目的は達成されたの?」
暁の空の下で懸命に息を整えていたところ、庭園の散策から戻ってきた鷺谷が訊いてくる。
「んー、まだ三割くらいかな」
「はい?」
「まぁまぁ、そう眉間に皺寄せないで。そんなにかっかすると大人になった時に困りますよ」
揶揄うつもりなんて毛頭なく、ただ宥めたつもり。なのに軽口を叩かれたと誤解したのか、顔を赤くしてマナの方に行ってしまった。
ま、いっか。摩天楼をじっくり散策する時間はこれが生涯最初で最後になるだろうし。
一つ気がかりなのはマナの様子。ちょっと離れた隙間に元気二割増しの、憑き物が取れたような晴れ晴れとした顔になっている。なんだかんだ言って一番乗りに拘っていたのかも。
なんたってここに「人として」立ち入ったのはおそらくマナと鷺谷が初めてだろうから。あの元気っこが人類初の快挙に興奮しないわけがない。
マナが鷺谷の相手をしてくれている間、芝生の上に寝そべって夜空を眺める。天体観測をするならここはうってつけ。この場所を拠点に選んだセンスだけはわたしも認めよう。
心の中で今は亡き摩天楼の主人に問いかける。
あなたは未来永劫断罪され続ける。あなたがしてきたことは絶対に許されることではない。
でも、あなたがいてくれたおかげで世界に彩が増えたし、こうして絶景を独占することもできた。曲がりなりにも夢もできた。
たかが夢、されど少女の夢。此度の青春の一コマは一生忘れない。だからほんのちょっとだけ、あなたに感謝します。
「おっ、そろそろだ。二人とも、こっち来て」
開幕一分前。夢が叶う瞬間は静寂に包まれた特等席で独占しようかと思ったが、ここはせっかくだから賑やかな連中も呼ぶことに。一足早く来ていたマナはこの後起こることをなんとなく予期しているようで、軽快な足取りでやってきてわたしの隣に腰を下ろす。最初は人使いが荒いと不貞腐れていた鷺谷も開幕とともに口を閉ざした。
* * *
「子供だからって揶揄わないでよ。いくらわたしでも星くらいわかる」
「別にお母さん揶揄ってないよ。信じてないなら今度カナちゃんたちに訊いてみな」
「ううん、わんぱくな大人がわたしのことを騙そうとしてるだけ」
「我が子ながら性格が捻くれていて将来心配だなぁ」
「教育の賜物と言ってほしい。いいよ、本当かどうか賭けたって。もしそれが本当なら是非とも見てみたいね」
* * *
漆黒が居場所を失った色素の薄い空。東の地平線が真っ赤に燃え出す朝焼け。
いつもなら布団の中ですやすやと寝息を立てている時間だが、毎日必ず夜明けは訪れる。
巨悪が残した摩天楼からの朝日とはいえ日の出が西になるわけもなく、自然の摂理に則っていつもと変わらない夜明けがやってくる。
ただ、摩天楼の頂上で迎える朝というのはどうやら普通とは違うらしい。「らしい」というのも身内がそう話すだけで、学校の先生に訊いたって図書館に篭ったって確証は得られなかった。
だからわたしは決めた。この目で確かめてやるんだって。
母への対抗心。今思うとそれが全ての始まりだったんだと思う。
「わあっ、きれい」
世界の命運を賭けた一戦は確かにここで行われた。圧倒的な力量で追い詰めていく巨悪と七人のコンビネーションで翻弄する魔法少女。その激闘は七夕の夜から夜明けまで行われた。
死に物狂いで巨悪を討伐した魔法少女は立ち上がる気力もないまま、屋上庭園で夜明けを迎えたそうだ。巨悪を討伐した達成感、高揚、平和の訪れ。各々が余韻に浸る中、とある魔法少女が空の異変に気づいたそうだ。
巨悪との戦いによって摩天楼を中心に、戦闘中に溢れ出た魔力の残滓が降り注いでしまった。残滓の中でも比較的重いものは地表に積もり聖峰の土壌と混ざった。対して比較的軽い魔力の残滓は色彩を持たず、屋上庭園上空を漂ったまま空の一部になってしまった。
この現象は世界中を探してもこの場所だけの特異。上空に浮かぶ無数の魔力の残滓は一日に一度だけ陽の光を浴びると数分だけ光を帯びる。東の空から順繰りに灯っては西の空に移っていく様は魔力のバトンリレー。
『むかし、夜明けに小さな天の川を見たの』
うん、お母さんが言ってたとおりだ。幻想的でロマンテックで儚い一瞬。加えてわたしはこの瞬間を見届けるために努力も苦労も重ねてきた。夢を叶えたことへの達成感もあったのは事実だけど、もうわたしには感情を精査する余裕もなく、どう表現したらいいかわからないわたしは笑って泣いてしまった。
現代の研究は魔法を注視しているが、わたしとしてはまず魔力からアプローチするべきだと予々考えている。レリックの身体を持つわたしの目には人が魔法を使役する瞬間を光として認識できる。その光に悪影響はなく、特異な体質のわたしにしか見えていない。この光はおそらく魔力がなんらかの反応を起こしている証左だろう。
通常なら普通の人間に見えないものがなんと、太陽の光を浴びることでマナや鷺谷が視認できるほどハッキリした光度を放つのだ。
なぜ太陽で魔力が反応するのか。仮に太陽に人間と同等の能力があるとしたら、どうして聖峰の指環には反応しないのか。この世界には世界中の学者が気にも留めないような謎が無数に散らばっていたりする。頭のいい方々には是非とも謎を解いてもらいたい。
奇跡の天体ショーは本格的な朝の到来とともに自然消滅。もうどこを見渡しても日常の光景が広がっている。
さて、なんだかんだで徹夜してしまった。今すぐふかふかのベッドの上で意識を落としたいところだけど、そうはしていられないのが現実のもどかしいところ。ちぐはぐな進行に嘆息しつつ、宿舎に戻る決心を固めた。
「さ、そろそろ帰りましょうか」
「そうね。下りならそう時間はかからなそう」
「時間? なに言ってるんですか。下山なんて一瞬です」
「へっ?」
「マナ。着地なら三人いけるよね?」
「は?」
「もちろん! あたしにまっかせて」
「え、えっ、ええっ、着地ってまさか、あなたたち正気? こらっ、勝手に私の手を掴まな……いやぁぁあああぁ!」
提案した本人が思うのはなんだけど、魔法少女の弟子は思い切りが良すぎる。ちょっとくらい躊躇したって可愛げがあるのに、わたしたちの手を掴んで颯爽と飛び降りた。しかも軽く助走をつけて外壁から。着地は難なく成功したけれど、その後はなぜかわたしまで巻き添えを喰らってこっぴどく叱られた。
退屈な時間は無限地獄なのに夢のような時間は一瞬で過ぎ去る。
そう感じるのは夢を叶えた後なら尚更で、抑揚のない声を聞き続けるなんて拷問を通り越して虚無だった。客席も壇上も世界中が注目する式典の重圧の影響か非常にゆったりとした動きで、見ていると却って睡魔を呼び込んでしまう。こんな時は視界を遮断して音に集中。退屈を噛み殺して必死に耐えた、つもりだったのに、瞼を開けたら般若の形相をした榎本先生が立っていた。
のちに式典で大役を務め上げたクラスメイトが語るに、今回の式典はだいぶ呪われていたらしい。
聖峰女学園を取り仕切る風紀委員長が式典最中に意識を失って保健室に運ばれたり、演説中のお偉いさんが被っていた頭の大切なふさふさが突如として宙を舞い空を羽ばたき、そんな混沌めいた状況で終始船を漕ぐ生徒が若干名いたりと、会場はただならぬ空気に包まれていたそうだ。
思い当たる節があるわたしは同じく居眠りをしていた共犯者を問い詰める。すると寝ぼけて一度、魔法を誤射してしまったそうだ。しかし今回は「巨悪の祟り」とか「魔法少女の歓喜の舞」だとか勝手に程よい口実が生えてきたので、大ごとにはなれどもマナの関与はバレずに済んだ。被害に遭われた人はご愁傷様。身内として申し訳なさでいっぱいだった。けどまさかマナの暴発をキッカケに一躍時の人になろうとは、この時のわたしは微塵も思っていなかった。
放課後、書き終えた反省文を二人揃って職員室まで提出しにいった。しこたま怒られるに違いないと覚悟していたのに、榎本先生に提出するとやけにあっさりと解放してくれた。おそらく職員室にいる人たちは大役から解放された喜びを堪能するのに夢中で怒る気力もないみたい。
「ん、これでいいでしょう。今回は初犯として大目に見ましょう。ですが来年もまた同じことを繰り返せば重い罪になることを忘れずに」
「はぁい」「はーい」
来年。その言葉が今の心にやけに響く。そうだ。近い未来、来年が必ずやってくるのか。だったらしっかり覚えておかないとね。忘れたらきっと未来の自分が大変な目に遭うだろう。
と、ふらふらな足取りで職員室から去ろうとした時、榎本先生はこちらに向かって「今日はもう大人しく部屋で休むように」と忠告してくる。きっと一部の大人たちには昨晩の冒険はバレているのかもしれない。
摩天楼に近づけば退学もやむなしの立場で、まさか頂上に上ったなんて口が裂けても言えない。そんな状況からか、恐れをなしたマナは背筋をピンと伸ばして敬礼している。
そんな反応をすれば殊更怪しまれるだろうに。そんな彼女と裏腹に、わたしは平常心でぺこりと頭を下げて扉を閉めた。昔から身近にいるわたしには機嫌のいい時と悪い時の区別ができる。あれは前者だからそう怯える必要はないのだ。
ばっちり熟睡したとはいえ、成長盛りには足りない睡眠。帰り道はいよいよ本格的に睡魔が押し寄せてきて意識は朦朧。宿舎に帰るまで互いに無言だったし、宿舎に帰ってきても欠伸をするだけ。自分の部屋に辿り着くと着替えもせずにベッドにダイブした。
思えばいつもベッドで寝るにも仮眠感覚。数時間身体を休ませて、真夜中は摩天楼の調査をして、帰ってきてまた仮眠。そのリズムが壊れるのは睡眠に貪欲な女子高生にとって幸福だ。入学から三ヶ月間続けてきたルーティンが崩れるのはいささか寂しいし、平静になって今の自分を振り返ると目標と達成した燃え尽き状態。
明日は何をしよう。来年は何をしているのだろう。未来の自分を妄想するうちに意識は夢の世界に移っていた。
ある真夏の一日、なぜかマナや鷺谷がいて一緒に笑ってた。どんな経緯でそうなったのかは覚えていないけれど、目覚めは悪くなかった。
そうか、もう夏休みがやってくる。
だったら今度は目標ではなく夢を現実にしてみるのも面白いかもしれない。やることがなければ次を見つける。夢を成し遂げた自分にはもう迷いはなかった。




