第二十三話 荒誕な夢
「二人ともおっそーい。運動不足じゃない?」
階段を上り始めてから三十分ほど経っただろうか。見上げた先にはまだまだ階段が続く。あたし一人なら夜明け前に間に合うけど、この調子が続けば多分間に合わない。階段の手すりから下を覗いても二人の姿は見えない。休憩中なのか足音も聞こえない。
鷺谷委員長がいるから大丈夫だと思うけど念の為確認しよう。得意の魔法を使ってふわりと風船みたいに降下するとぐったり項垂れる二人を発見。連日の疲労と引きこもりの影響だろう。こうなったら一か八かで魔法で二人を引き上げるべきか。
「わたしはいいから、二人で先に」
「一番上りたがってた朱乃ちゃんを置いていけないよ」
「夜明け前に間に合えば大丈夫だから」
ったく、自分が限界だってのに他人を優先するなんて信じられない。朱乃ちゃんがそういうならと魔法を使おうとしたが委員長はこれを拒否。曰く「こんなヘロヘロで倒れられたら困る」と持ち前の面倒見の良さを発揮した。それなら、と、自分に許された特権を行使して長い長い道のりを一気にショートカット。階段のゴールは外へ続く鉄格子の扉で、その先を抜けると聖峰を見下ろせる外壁に出た。道はまだ続く。絶景だけどここはゴールじゃないようだ。
「……すごい」
毎日のように地上から眺めていた摩天楼の先端の正体はなんと、螺旋階段の支柱。アイス棒のように楕円形が建物のど真ん中に突き刺さっていたのだ。ひと昔前はこんな奇抜なデザインが時代の最先端だったのかもしれない。
果てしなく続いた階段もようやく終わりを迎えた。ゴールは真っ青な芝生が広がって、ところどころに生垣やあたしの身長くらいの低木が点在して、どことなく子供の頃に遊んだ公園を思い出す。これって俗にいう屋上庭園というやつか。昨今の都会ではこういう取り組みがあるとは聞く、が、この場所に限って絶対にありえない。
だってここは戦場の跡地なのだから。
「だれっ!」
支柱の裏側——階段側からだと死角になる位置に人影を見た。見間違いじゃない。すぐさま明かりを向けて臨戦体制を取る。常識的に考えてこんな場所に人がいるわけない。でもわたしは自分の目を、肌を、本能を信じる。
胸が跳ね上がった。明かりの先には確かにうずくまるナニカがいた。
落ち着け、優先するべきはなに? もし悪の残党だったらどうすればいい。
逃亡、討伐、下の二人への連絡。いつもなら問題ないのに今回ばかりは足がすくむ。思考もまとまらない。得体のしれないナニカはわたしのパニックなんて気にも留めず、ゆったりと立ち上がって姿を現した。
「にはは、みっかっちゃった。バレないと思ったんだけどなぁ」
「え」
ナニカは日本語を発し、ぽりぽりと後頭部を掻きながら白い歯を見せた。
一見するとただの会話。されどあたしは現実として受け入れられない。これほど己の見間違いを祈ったことはない。夢なら早く覚めてほしかったから力任せに思い切り頬を抓ってみた。しかし逆に自分の正気が証明されてしまった。
「あなたは誰?」
「まぁまぁ、細かいことは抜きにしようよ。ここまで来れるお客さんは珍しいし、ゆっくり話を聞きたいな」
何故か摩天楼の頂上に先客がいた。意思疎通は問題ない。あれは人間と考えて良さそうだ。でもあの朱乃ちゃんでさえ摩天楼の中に入るのに苦労したのに先に摩天楼の頂上にいるなんてこの人は何者だ。只者ではない。
桃色を基調としたフリルのついたセーラーワンピース。胸元は純白のリボンで彩られ、頭にはラベンダー色のマリンベレー帽、と見事にパステルカラーで統一されたコーデ。あたしと同じくらいの背の高さのナニカ、もとい少女は誇らしく胸を張った。しかしここは聖峰で最も空に近い場所。せっかくの決めポーズも風が靡くたびに必死で帽子を抑えて前髪を整え、夜空に蒼い髪を溶かしていく。
少女の顔に見覚えはない。なにも学園の全生徒の顔を覚えているわけではないので、見覚えがないというのは過信かもしれない。けれど誠に遺憾ながらあたしの身長は平均よりもほんのちょっぴり低い。だから自分と同じくらいの身長の子には仲間意識が芽生えるのだが、不思議なことにこの学園にはちんまり体型が不在なのだ。学園に同胞がいれば絶対に目をつけているのに、記憶にないということは少女が学園の生徒ではないという確証でもあった。
一度視線を外して深呼吸。そして息を整えてから柔らかい口調で語りかけてくる少女に敵意を向ける。
「何者だ! どうやってここに入り込んだ」
「まぁまぁ、落ち着いて。せっかくの美人さんなのに、そんなに眉間に皺寄せたら大人になって苦労するよ」
「なっ、は、話を逸らさないで。そんな風変わりな格好する人はもう、この世にいないの」
「ふ、風変わりかぁ。衣装の色とかフリルとか今でも通じる可愛さだと思うけどなぁ。ま、言われ慣れちゃったからいいけど。——で、きみは一体、何を見ているの?」
少女の声色から抑揚が消えた。当たり障りのない柔らかい声から突如、説教一歩手前の担任のような重苦しい口調になる。悪いことをして担任に怒られるならまだしも、なんの言われで分不相応の格好をしている少女に注意される筋合いがあるのかと逆に一喝したくなる。でもここは大人らしくグッと堪えて少女の戯言を傾聴する。
「冷静になりなさい。この世界は大きな戦を経て、魔法がもたらされた神秘的な世界に生まれ変わったの。かつては夢物語で終わった妄想も現実になりうる。そんな世界を楽しく、そして効率よく生きるにはまず目の前の特異を素直に受け入れないとダメ。いい? もう一度訊くよ。今、きみが見ているものは?」
自分よりも背が低いのに威圧感がある。少女の言ったことは全て正しい、あたしは間違っていた。あまりの正論に密かに構えていた反論は呆気なく砕け散ってしまった。
あたしが見ているもの——目の前に立っているのはキュートな衣装を纏った少女。
人間を前にしても物怖じしない様子から悪の残党という可能性はほぼなくなった。彼女の口ぶりから察するに魔法に精通していて、なおかつ金城鉄壁の摩天楼に忍び込める人物。
おそらく魔法を使ったのだろう。が、魔法で空を飛べたとしても天に聳え立つ摩天楼のてっぺんに行こうだなんて正気の沙汰とは思えない。だって魔法は有限だ。万が一、上昇途中で魔法が途切れでもしたら一巻の終わり。ただでさえ命を伴うリスクがある上、朱乃ちゃんによれば普通は摩天楼に近づくだけで聖峰は大騒ぎになる。二つのリスクを理解していればまず摩天楼に登ろうとする選択肢なんてない。
そもそもの話、少女はこの緑生い茂る光景に何を思うのか。常識を持ち合わせていたらここが戦場の跡地なのは周知の事実。それがどうしてかのどかな自然公園の一角になっているのだから常識的な感性を持ち合わせていれば驚くのは当然。なのに少女は動じない。どころか誰も知り得ない屋上庭園の存在を知っている素振りだ。
摩天楼に侵入できる魔法を行使でき、摩天楼の秘密を知っている常識から逸脱した人物。
そんな条件を全て満たす人物なんて……それは今を生きる人間として真っ先に否定しなければならない。都合のいい話で満ちるほど世界は甘くない。だけど、
『夢物語で終わった妄想も現実になりうる』
この少女からそう教わったばかり。紺野麻奈はどこぞの親友のような頑固者にはなりたくないので、新たな知見はすぐさま吸収することにした。余計なことは考えない。常識をかなぐり捨てて確かなる現実と向き合った。
「うんうん、だいぶいい面構えになった。そう、魔法と対峙した時はまず向き合うんだ。それから絶え間なく頭を働かせて分析。真実に近づくコツはいきなり正解に近づこうとするんじゃなくて選択肢を消していくこと。最初は難しいだろうけどきみならできるよ——なんたってボクの弟子でしょう?」
その言葉に思考が途切れた。これまで必死に否定しようとしてきた材料が全て塵と化した。
亡くなった両親を除いてその秘密を知るのは朱乃ちゃんだけ。短い付き合いだけど朱乃ちゃんはおいそれと約束を破る性格ではない。おしゃべりでもなければ口が軽いタイプではないと断言できる。だから、不意に訪れた福音を疑いはしなかった。
魔法少女に会いたい。荒唐無稽と馬鹿にされようが、それが夢だった。
今は亡きお母さんと生まれる前のあたしを身を挺して守ってくれた命の恩人。
未来を案じてお守りを託してくれた英雄。
両親が残してくれた大切な名前の由来になった憧れ。
お礼を言いたくたって物心ついた時には会えなかった。「魔法少女の弟子」なんて大層な称号は出産祝いのリップサービスだったと考えた時もある。
それでも魔法少女に会いたい。覚えてくれていなくてもいいから、一度だけでいいから魔法少女の口から「弟子」と呼ばれてみたい。それがあたしの本当の望みだった。
「最初にきみを見た時はビックリしちゃった。可愛らしい女の子が来たと思ったら、ボクが幸子さんに渡した懐中時計を下げてるんだもの。大切にしてくれてありがとうね」
幸子はお母さんの名前。その名前を耳にするのも随分と久しい。
「幸子さんのことはこの前知ったよ。世界が平和になったら会おうねって約束してたんだけど、ほら、ボクって存在しないことになっているでしょう。会いに行きたくても……って、今更言い訳なんて幸子さんに怒られちゃうね」
「お母さんはあなたと会えたことを生涯の誇りにしていました。小さい頃から口を酸っぱくしてあたしに言うんです。『あなたは魔法少女の弟子なんだから魔法も勉強もスポーツも遊びも全力でやり抜けて、空の上の魔法少女に笑われないように生きなさい』って。だからあたしはずうっと走って走って走り抜けてそれで……ここにいるんです。きっとお母さんは怒るどころか感謝してますよ」
「ならこの再会も幸子さんがもたらしてくれたのかもね」
夜空を彩る星々のように煌めいた濁りのない瞳。疑り深い両親がどうして「弟子」なんて見え透いたお世辞を信じたのか予々疑問だった。それも今なら簡単に解ける。
魔法少女——『マジカル・パシフィック』には嘘とかお世辞とか人間が本来所持している厄介な部分が欠如している。いわば魔法少女になるべくしてなった人。そんな人に「弟子」と言われたら誰だって無条件で信用したくなってしまう。
それから魔法少女は「ついてきて」と小さく手招き。この庭園のどこに連れていくのかと思えば西側の深部。そこには膝の高さくらいの角張った石が立っていた。なんの目印なのかと思えば魔法少女はその石の前で膝を曲げ、瞼を閉じて手を合わせる。
無言の三十秒は崇高な時間だった。この国で暮らす者なら説明がなくても所作だけで意味を理解できる。この墓の下で眠る人物が誰なのかってあたしにもわかってしまった。
歴史は全てを記録するわけじゃない。だから魔法少女とこの摩天楼にいた存在とナニカがあったのだろう。
「ボクというか魔法少女全員、今も世界のどこかで暮らしている」
今回はもう驚かなかった。あなたが生きていますからと笑うと彼女も相好を崩した。けどここで一つの疑問が生じる。
「どうしてそれを公表しなかったんですか。世界中の人は救世主を失って嘆いているのに」
「『世界を救ったら魔法少女は死んだことにする』
これはボクら七人で決めたことなんだ。魔法少女が生きていると世界にバレたらボクらは生涯英雄として讃えられるか、魔法研究の実験台にされるかの二択。救世主には割に合わない未来だと思わない? だからこの点については満場一致で決まったんだけど『この場所』についてはさすがに意見が割れた。最終的にはボクが無理を突っぱねて反対派を説得させたけどね。だから意見を通したケジメとして、こうして毎年この日になると一人で来て手を合わせに来てる」
歴史の根底をひっくり返す真実を告げた魔法少女は踵を返し、再び墓石に目を向けた。その顔は命の奪い合いをした敵に向ける表情とは真逆の、おっとりとした顔。
あたしは運がいいことに物心ついた時から「命をかけた戦い」を経験したことがない。勝った負けたの戦いはもちろんある。体育の授業だったり友達との鬼ごっこ。悔しいことはあったって終われば皆友達。ゲームが終わればそれで終い。実に平和的な争いだ。
しかし死戦となればそうはいかないだろうに、魔法少女は『コレ』に対しても敬意を持っていた。あたしなら当然反対派に回る。なんで世界の敵のために、こんなことをするのか理解できない。
「情けなんていります?」
「っ、あはは。あの時のみんなと同じこと言ってる。そう思うのは無理もないよね。この議題のせいで危うく仲間同士で殺し合い寸前だったんだ。けどボクはどうしても『コレ』を建ててあげたかった。信じられないと思うけど『アレ』も根っからの悪じゃなかったの。ま、だとしても世界から平和を奪ったケジメを取らないといけない。その後ならみんな平等でしょう」
魔法少女は照れくさそうにはにかんだ。
あぁ、やっぱりこの人は根っからの魔法少女なんだ。どんな事情であれ悪いことを罰し、その後は手厚く埋葬するなんて慈愛の塊のようなもの。もしも巨悪を科学の力で討伐していたら亡骸は分割されてホルマイン漬けにされていただろう。巨悪にとってどちらが幸せなのかいうまでもない。
魔法少女と巨悪がどんな関係だったのか知る由もない。あたしは弟子だけど、戦いに明け暮れた魔法少女の過去に触れていいほど人間ができていない。
なぜこの人は笑っていられるのだろう。どうして青春を懐かしむように話したのか。
それを知るにはまだまだ大人にならなくちゃいけないようだ。道のりはまだまだ険しい。夢のような時間も刻一刻と終わりが見えてきた。どことなく賑やかな声が聞こえてくる。
「おっと、そろそろ賑やかになりそうだ。そろそろ退散しなきゃ」
「二人には会っていかないんですか? 実はそのうち一人の子がレリックと——」
「ボクらが生きているって話は絶対にバレちゃいけないんだ。ボクはきみが弟子だから打ち明けただけ。どんな事情であれ正体を明かすわけにはいかない。たとえあなたの親友にもね?」
魔法少女はしぃっと口元に人差し指を立てる。無論、弟子として師匠の秘密を口外しないつもり。黙って首肯してみた。
魔法少女は空を見えげながら深呼吸。今にも飛び立ちそうな彼女にどうしても伝えたいことがあった。
「あの」
勇気を持って後ろから尋ねる。
「あ、あたしがもっと大人として、弟子として成長したらまた会ってくれますか?」
「もちろんだとも。でもきみが思っているほど、再会はそう遠くないかも」
「えっ」
「だから次会う時までの宿題。ここでのことは誰にも内緒。いいね?」
元気よく頷くと魔法少女も首肯して、ゆっくりと魔法のように宙に浮いた。
魔法少女が姿を消す瞬間、庭園で佇むあたしに微笑んだ。声を漏らさず、とめどなく流れる現実を観客のように楽しそうに見つめるその笑顔。気のせいか、その笑みが不思議と親友に重なった。
もう、ここに魔法少女はいない。いた痕跡もあたしの記憶の中だけ。どんな記憶もいずれは忘却に飲まれる運命。大切にしていた思い出も朽ちてしまうと思うと末恐ろしいものがある。この記憶をどれだけ鮮明に覚えていられるか、あたし自身もよくわからない。
けど、できるだけ抗ってみよう。それにあたしは成績優秀。記憶力だって人並み以上のものがあるのだし。
いつになく感傷に浸るあたしの元に、西の外階段からぜぇぜぇと息を荒げた二人がやってきた。朱乃ちゃんも委員長も人前で見せられない顔をしている。それが妙に愉快で、固く誓った決心なんてあっという間に吹き飛んでしまった。
「ふ、二人とも死屍累々だね。っふふ、あっはは」
いつも喧嘩する二人が肩を組んで歩いている。それだけでも可笑しい光景だ。
「た、他人事だと思ってるでしょう。ほんと、今年の新入生は生意気な性格ばかり。というかあなた、ちょっと重くない?」
「失礼なっ! ちょっと引きこもってしばらく運動してなかっただけ」
「それを太ったっていうの」
「鷺谷委員長は羨ましいですよね。余計な脂肪は胸にいくんですもの」
「なっ、な、な、な」
「それよりマナ、さっき誰かここにいた? 楽しげな話し声みたいなのが聞こえたけど」
「いないよ。朱乃ちゃんの気のせい」
「そ、ならいいけど」
奇跡が過ぎ去った後には日常が訪れた。立て続けに起きた奇跡に心を動かされるのは人間として当然のこと。憧れとの出会いと別れで涙腺が緩んでしまったけれど、溢れた涙は日常に溶け込んでしまった。




