第十九話 アノマリー
「カニ、伊勢海老、ズワイガニズワイガニ、ホタテ、カニ、サザエ——へぇ、思ったより魚介類のリクエストが多い。みんな魚の方がヘルシーとか思ってるのかな? せっかくのバーベキューなのに勿体ない」
「はい、続きどーぞ」
「お次はアワビ……お、ここからお肉ラッシュだ。ギュータン、松阪牛のシャトーブリアン、豚バラ……ラクレット?」
「ラクレットはスイス伝統のチーズ。削って火で炙るっていえばわかるかな」
「アニメに出てくるアレだっ! 食べたい食べたい。これ絶対にお願いしますね」
差し合わせたわけではないのに集めたリクエストをあたしが読み上げ、榎本先生が集計、巴さんが頭を抱える数式が出来上がっていた。さすがはお嬢様学校。リクエストに遠慮がない。
松坂牛とか伊勢海老とか高級食材を指定してくるあたり、わざとなのか素なのかわからない。ひょっとすると面白半分なのかもしれないが、どちらにしろ巴さんの精神的財政的ダメージになっているのは確実だ。
「はい、これで全部。どうせ給料なんて使い道がないんでしょうから奮発しなさいよ」
「はいはーい、善処しますよ。それで全員?」
「うーん、特に名前を記入しろとも伝えてないので、誰が出してないのかはわからないんですよね。数的に多分宿舎にいる人は全員出してると思います。だからこれから帰ってきた人に訊いてみれば——」
「餃子」
「と、こんな風に答えてくれるかと。さすが風紀委員長はいいチョイスしますね……鷺谷委員長⁉︎」
知らぬ間にあたしの背後に忍び込んでは素知らぬ顔で会議に参加している鷺谷風紀委員長。もう夏だというのに変わらず真っ赤な外套を羽織っているから額が汗ばんでいる。どうやらたった今帰宅したみたい。
「そんなに怯えられると困る。その、この前はごめん、なさい」
「い、いえ、別に気にしてませんよ。あはは」
学園で培った愛想笑いでひとまず誤魔化す。怯えているというか、警戒しているのは本当。
つい先日の夜、摩天楼の麓で捕まり連行されたあたしは手錠をつけたまま野に放たれた。次の日の早朝に「取り乱してごめんなさい」と部屋の前に来て謝罪するまで、血が通わない手錠と共に一夜を過ごしたばかり。あの時はあたしもつい軽口を叩いてしまったと謝ったし反省した。
そうだよね。鷺谷委員長が朱乃ちゃんを好きなわけがない。荒唐無稽の推理をした自分を恥じた。一応それでケリをつけたつもりだったけど、手錠を課せられた挙句に誰にも見つからないようにこっそり自分の部屋に戻った行為が思ってる以上にトラウマだったようで、今は風紀委員に近づき辛い状態。あの晩は寝返りを打てなくて腕が疲れて、背中の痒いところに手が届かない地獄のような一夜。あれは紛れもなく拷問だった。
なんでもすでに風紀委員の連絡網にリクエストの件が流れていて、あたしが説明するまでもなかった。
「ちょうどよかった。実はお二人に訊きたいことがありまして」
話がひと段落ついたと見るや否や、鷺谷委員長は大人二人に水を向ける。
「おっと、ならここは風紀委員のセンパイの腕の見せ所かな」
「いえ、聖峰の卒業生であられますお二人に質問です——摩天楼の入り方をご存知ですか?」
この人は一体何を言い出すのだろう。いくら大戦を経験をした卒業生でもそんなこと知るわけないじゃないか。
冷静に考えてあの摩天楼に入ることができたのは巨悪の一派と魔法少女だけ。だけどどちらももうこの世にはいないのだからあの摩天楼は封鎖も同然。現に世界中の研究者や朱乃ちゃんが侵入を試みても悪戦苦闘。結果は一向に進展しない。そんな世知辛い現状を鷺谷委員長なら理解しているはず。その真意はいかに。
「知りません」「知らない」
二人の返答は当然だった。でもなんだろう。引っかかる。
というのもその声に澱みがない。普通なら馬鹿げた質問を前に嘲笑や呆れがあるだろうに、一寸の動揺もなくキッパリと言い切った。しかも二人揃って。なんだかこの時のために練習していたような、そんな気がした。でもこれはあくまでもあたしの感覚。質問をぶつけた張本人は「そうですか」と軽い返事をするだけ。しかし鷺谷委員長は臆する間もなく今度はあたしの方を見た。
「あれから『天眼』と会った?」
「会ってはないですけど、昨日は扉越しに少し話しました。式典のこととかテストのこととか。多分明日は出てきてくれるかと」
それは昨日の夜のことだ。いつものように食事を届けたところ、珍しく朱乃ちゃんの方から声をかけてくれた。久しぶりに名前を呼んでくれたのでつい嬉しくなって、色々と話し込んだのは記憶に新しい。
「あれ、今日の夕食はあの子に届けたっけ」
「……あっ、いけない。喧嘩に夢中ですっかり忘れてたっ!」
自分としたことがついうっかり。巴さんもハッと目を見開き、慌ててキッチンに戻って朱乃ちゃんの夕食の準備を始めた。「喧嘩?」と首を傾げる鷺谷委員長をよそに、榎本先生は飲むと不思議と元気が湧くあったかーいお水を口付けた。
◇
「さて、関係ないお子様がいなくなったことですし、話の続きを」
「答えを求める姿勢は教師として鼻が高いですが、残念ながら話せることは何もありません」
「『もしも』の話です。学生の与太話と思って付き合ってくれませんか」
「ま、それなら構いませんよ」
エスニックな香りが鼻腔をくすぐる。本当は今すぐに目の前のご馳走に飛びつきたいけど、またとないチャンスがやってきた今、最優先は食欲より知識欲。かなてより頭の片隅に置いていた違和感を絶望に染まった青春を謳歌した大人にぶつけた。
「古来より空を飛ぶのは人の浪漫。それを可能にする魔法をコントロールできれば世界は第三次エネルギー革命に突入する。だからこそ現代は魔法研究に莫大な費用を投資している。そうですよね?」
「大正解。ちゃんと私の授業を覚えていてくれて嬉しいわ」
「以来私もそう思っていました。ですけど最近いろんなことがありまして、少し考え方が変わったんです」
「それは是非とも訊きたいですね。考え方は十人十色ですから」
「ありがとうございます。榎本先生にそう言ってもらえると自信になります」
「それで? 鷺谷委員長はどう考える?」
「——世界が本当に欲しているのはマニュアルではなく魔法少女本人、もしくは代替品」
小さい頃から周りに瞳が綺麗と褒められて育った。なんとなく人の顔を見るだけで嘘をついているかどうかもわかったから人の心を見透かす力がある——なんて言われて生きてきた。
事実、友達だろうと一回り離れた大人だろうと関係なく他人の裏表を見透かしてきた。私が敵意を持って一瞥向ければ蛇に睨まれた蛙も同然。おかげでどんな時でも優位に事を進められた。
失敗はたった一度だけ。規則も威厳も才能も、淑女を縛る鳥籠は自由気ままに振る舞うあの子の前では意味をなさない。
だから私は時々こう思うのだ。魔法少女が生きていたらあんな感じなんじゃないかって。
それならあの敗北も私なりに納得できる。あの子だけが特別ならこれ以上気負う必要はない。たとえ教師だろうと学園の先輩だろうとこれまでの自分を貫けば相手は簡単に屈してくれる。そう思っていた。
「ユニークな発想ですね。はなまるをあげましょう」
「否定も肯定もしないんですか?」
「えぇ、教師ですから」
これも大人の余裕というやつなのだろう。真剣な質問をぶつけたのにヒラリと躱されてしまった。これで人生二回目の失敗。どころか小馬鹿に子供扱いされている気がして癪に障る。私、風紀委員長なのだけど。
腑に落ちないまま最後の一すくいでカレーを完食。それからしばらく榎本先生を凝視するが終始飄々としていて何も訊けないまま時間が過ぎた。口を割らないならここにいても時間の無駄と思い、明日に向けてもう休もうとした。
「ここからは私の独り言」
立ちあがろうとした矢先にぼそりと榎本先生が呟いた。すると先生の隣でほんのりと頬を赤らめて晩酌に嗜んでいた巴さんは頓狂な声をあげた。
「えぇーと、あ、先生は体調が悪いみたいだし、風邪で感染ると大変だから早く部屋に戻った方がいいんじゃない」
「独り言よ、独り言。別になんの意味もない戯言だから」
そういうと巴さんも口を閉ざし、観念した様子でテーブルに置いてあったあたりめを咥えた。私は再び腰を下ろして耳を傾ける。
「そもそも委員長は『魔法少女』はどんな存在だと思います?」
独り言に反応していいのか戸惑ってしまう。ちらりと巴さんに一瞥向けるも無反応。だったらと私も独り言を投げてみた。
「人の空想を具現化してしまう完全無欠の存在」
「えぇ、そのとおり。逸話によれば魔法少女は瞬間移動ができたようで、なんでも大阪で戦いを終えると次の瞬間にはサンフランシスコに飛んでいたとか。瞬間移動、魔力を込めた弾丸攻撃、他にも正体を悟られないような変身能力。学問上では魔力を完璧にコントロールしている存在を『アノマリー』と呼んでいます」
その意味は確か、合理的な説明ができない現象。忽然と現れた彼女らには相応しい言葉だ。
「仮に近い将来、魔法のメカニズムを解き明かして魔法を行使できる人間が増えたとしましょう。全人類が相性のいいレリックを所持して、日常生活の手間をスキップできる素敵な未来。到来が待ち遠しいですね。でも現状、普通の人間には魔法を一つしか使えない。魔法少女のように自在に無数の魔法を扱うのは遠い未来といいますか、キッパリと諦めた方が健全でしょうね。人間が神になろうとするのと同義ですから」
「つまり魔法少女は神だと?」
「そこは個人の見解です。要はこの世の摂理に反するってことです。さ、明日は早いからもう休みなさいな。また疑問があれば職員室まで訊きにおいで。いつでも歓迎するから」
もはや独り言という体はどこかに飛んでいってしまった。これはきっと榎本先生なりの優しさなのだろう。おかげでいろいろと知見が広がった。魔法を使えない私は世界の目的ばかりに目を向けて、理想が叶ったその先の世界を考えようとはしていなかった。それは私の無知である。
榎本先生の独り言には納得できる反面、片隅に置いていた疑問がますます大きくなる。魔法少女を目指すのはナンセンス。けど人間自身がレリックを目指す行為は? 机上論を通り越してレリックの力を持った人間がこの世に存在していたら?
この疑問を払拭し切れない限り、私はこれからあの子とどう接したらいいのかわからない。
かといってここで海琳朱乃の名前は絶対に出せなかった。
「魔法少女を目指すなというのはわかりました。なら——人間と『レリック』が同化したらどうでしょう?」
その問いに場が静まった。けれど私はもう止まらない。
「人間が魔法少女に近づくのは大罪なのかもしれません。ですが人間が魔法少女の力の一端を持って生まれたとしたら? 相性の点については語るまでもないでしょう。魔法の質は疑いようがありませんし、使役できる魔法の数もレリックを持ち替えれば改善できるでしょう。魔法少女のプロトタイプとして十分機能すると思いますが、どうでしょう」
「魔法を浴びて身体に異変が起きた例はいくつも確認されています。あなたのその髪色だったり、先天的に動かせなかった両脚が魔法少女の戦いを目撃して動くようになったという例もあります。ですがそれまで。プラスがマイナスになり、マイナスはゼロになるだけ。どれだけ強大な魔力を受けても漫画の世界のように都合よく超常的な力が手に入るわけがありません。そもそも魔力はワクチンのようなものではありませんから、レリックと同化した人間を作り出そうなんて不可能でしょう。ここで断言しても構いません」
「で、でも」
「ま、そう落ち込むことはないって。これで疑問が晴れないならもっと勉強すればいいし、もっと知りたいなら進学して専門的なことを学べばいい。今は重い存分悩んで勉強すればいい。それが許される時期なんだから」
でかけた言葉は巴さんによって遮られる。これには私も大人の正論を感じざるえない。
この学園には世界の輝かしい未来と地上に残された謎を解き明かす鍵が揃っている。その事実を頼れる大人に相談できたらどれだけ幸せだったことか。生憎私は功利主義者ではないから、たった一人のささやかな人生を犠牲に世界を幸せにしようだなんてこれっぽっちも思わない。
はぁ、私もまだまだ大人みたいに振る舞えない。肩書きばかり重たくなって非情になれない。これではずっとお子様と変わらない。
大人になるための一歩。たった一言、真実を告げられればよかった、のに、遮られた言葉を飲み込んでしまった。理由をあげれば枚挙にいとまがない。巴さんの言うとおり自力で解き明かす方がワクワクするし、これ以上追求したっておそらくは時間の無駄。それにあの子がいない学園は退屈だろうから、せめて私が卒業するまで残っていてほしい。
私は自分の意思で黙秘を選んだ。
多少なりとも気持ちの整理をつけて気持ちを楽にして、今度こそ部屋でじっくり休むことに。相談を聞いてくれた大人二人に頭を下げて食堂を出ようとすると、ちょうど入り口の前で紺野麻奈とすれ違った。今日も部屋に籠る海琳朱乃へ食事を届けに行ったのだろう、が、その顔は少々青ざめていた。
「あの、朱乃ちゃんが部屋にいないんですけど、どなたか居場所を知ってますか?」




