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第十八話 交渉破棄



 世間は刻一刻と夏休みシーズンに染まる中、うら若き乙女のかけがえのない青春の一端を奪った終結記念祭もいよいよ明日に迫った。これまでに類を見ない参加者、それに伴う会場レイアウトの変更で設営に関係のない生徒まで駆り出される羽目に。


 全ては栄光の夏休みのため。悠々自適なバカンスを満喫するため。


 そんな学生の本能が数々の不満を押さえつけ無尽蔵の活力となった。期限が近づくにつれて学舎も宿舎も死屍累々。最初は目立っていた些末な権力争いもいつの間にか消失していた。

 さすがのあたしも連日の労働にへとへとで、今日は早めに戻って夕食の時間までゆっくりしようと思ってた。しかしそんな時に限って掃除やらゴミ捨てやら仕事を頼まれ休息が遠のく。体力はもう底をついたものの、最後まで頑張って働いた生徒にはささやかなご褒美が与えられた。



「司会のお仕事ってこんなに緊張するんですね」


「ううん、全然良かったよ。今年は古賀さんがいてくれるおかげで助かるわぁ。去年までは外部の人を招いて当日にリハーサルしてたから時間が足りなくて。これであと三年……や、一生安泰ね」


「時期尚早ですよ。ねっ、麻奈ちゃんはどうだった?」


「堂々としててカッコよかった。さすがはプロだねっ」



 選ばれし者しか立てない講堂の舞台に、普段同じ教室で授業を受けるクラスメイトが立つと別人みたいにキラキラ輝いていた。リハーサル中の立ち振る舞いもさることながら、鈴を転がすような声にうっとりしてしまう。


 当日の流れとしてまず犠牲者を悼むモニュメント広場で式辞献花黙祷が行われ、その後、国のお偉いさんや大戦の立役者だけが出席を許される講演がこの講堂で行われる。その栄えある舞台の司会進行役に選ばれたのが我らがエース古賀翼ちゃん。将来を有望視されている彼女でも今回の仕事は緊張しているようだ。


 例外には例外を。今年は世紀の大発見に加えてなんと、巨悪を討伐したと謳われる魔法少女の武器が初めて公の場に現れる。その話が出た途端、講演への参加者が爆増したのは説明するまでもないだろう。ほんと、大人は余計な仕事をしてくれる。

 けど、今回だけは寛大な心で許そう。なんせ本来ならお目にかかれなかった伝説の武器『トライアンフ・ロッド』と対峙できたのだから。


 舞台の中心に鎮座するガラスのショーケース。その中には先端にハートを逆さまにしたピンク色の輪っかがあって、柄の部分がゆらゆらと不思議な影が揺らめく、幻想的でこの世のものとは思えない伝説の武器が収められている。ガラス越しでも伝説が放つオーラに尻込みしてしまう。


 榎本先生の立ち会いのもとリハーサルは無事に終了した。これにてあたしも今日の仕事はおしまい。たまたま翼ちゃんと会って頼まれた時は何事かと思ったけど、リハーサルの感想を言ってほしいなんてお安い御用。むしろ役得だ。

 懐中時計で時刻を確認するともう十七時。かれこれ一時間近くは集中して舞台を眺めていたようだ。どうりでさっきから首が痛いし、ぐーぐーと腹の音が止まらないわけだ。早く帰ろうと古賀に声をかけたが、間の悪いことに裏方の人に呼ばれて先に帰っててと断られてしまった。



「あれ、先生もこっちですか」



 昇降口から学舎を出ると黒色のリュックサックを背負った榎本先生とすれ違った。こんなところで先生と会うなんて珍しい。駐車場なら正面玄関から出た方が近いのに。それに確か聖峰の教職員には学舎の近くに家が用意されていて宿舎の方には用事はないはずだ。



「今日は私も宿舎で寝泊まりさせてもらうの。明日は朝早いし……考えたくはないけれどトラブルが起きればすぐに対処できるでしょう。それに夕食とかお風呂とか、宿舎にいる方がいろいろと都合がいいのよね」


「へぇ、なら久しぶりに親友と水入らずで過ごせるんですね」



 と、何気なく放った一言が軽快だった足取りを止めてしまった。



「親友?」


「だって先生と巴さん、あと朱乃ちゃんのお母さんは仲がよかったって」


「えっと……その話を誰から?」


「巴さん」



 情報の出所を吐き出した途端、不穏な空気が流れた。



「ふぅん、そっか。そっかそっか」



 声は穏やか。目が笑っていない。すごく怖い。

 あれ、あれれ、あたし、なんかやっちゃいました? なんで怒っているんだろう。


 教室ではあまり表情を表にしない分、こうして怒っている姿は珍しい。そんな一面をまじまじと観察しているとあっという間に宿舎に到着。腹ペコなあたしに部屋に戻る体力はなく、空腹を耐え忍びながら食堂で待つことに。弱っているあたしへの追撃は止まない。エントランスに足を踏み入れれば容赦無くカレーの香りが押し寄せてくる。拷問だ。非人間的だ。でもそんなクレームを言う気力さえない。



「お、残業お疲れさん。もう夕食の準備はできてるよ」



 ぐぅぐぅと鳴り響く腹を抑えながら食堂に入ればキッチンから巴さんがひょっこり顔を覗かせた。聞けば連日の疲労と明日のことを考えて夕食の時間を早めてくれたそうだ。だからほとんどの生徒は食事を済ませて休んでいるとのこと。その柔軟な発想と手際の良さに涙を流して感服した。


 あぁ——もう巴さんには一生逆らえない。具材がコロコロと乗っかっているカレーを口に運びながら一生の忠誠を誓った。

 と、そういえば榎本先生はどうしただろう。カレーの誘惑に誘われてからすっかり頭から抜け落ちていた。どうして怒っていたのかも聞きそびれている状況である。



「あ、榎本せんせーい。お待ちしてまし……えっ、どしたの」



 そんなことを思っていると件の人物が食堂にやってきた。教師が宿舎にやってくるのはそう珍しくないことなのか、まばらに生徒が残った食堂に騒ぎはなかった。とはいえ何事もなかったわけではなく、正確に表現するならば憩いの場が静寂に包まれた。誰もが鬼のような形相の榎本先生に圧倒されたのだ。


 ただならぬ空気を感じ取った他の生徒はそそくさと避難開始。入り口のすぐ近くを陣取っていたあたしも席を変えて避難する。嵐の前の静けさに気づいていないのは砕けた口調で接する巴さんだけだった。



「あらあら、元風紀委員長の佳菜ちゃんでもお疲れみたいね。はい、これは私からのプレゼント。飲むと不思議と元気が湧くあったかーいお水。こっそり飲んでね」



 そのグラスの中身は容易に想像できた。秘密のやりとりならあたしに聞こえない声でやりとりしてほしい。というか食堂にはあたしら三人しかいないのだから、こっそりもへったくれもないのに。けれど榎本先生は怒りを隠さなかった。よほど腹に据えかねていることがあるのだろう。あたしにはさっぱり見当つかなかった。



「ね、ともちゃん。私に報告することあるよね?」


「ふふっ、佳菜ちゃんはなんでもお見通しだね。ありますよ、ちゃーんと。これとは別のとっておきが。あとで部屋持ってくから久しぶりに二人で……え、なんで怒ってるの?」



 と、ここでようやく異変に気づく巴さん。好物をちらつかされても態度を崩さない榎本先生。

 あぁ、どうして人間って見てはいけないものが気になるのだろう。下手に関われば、いや、この場にいようものならとばっちりを受けかねない状況だ。なのに二人の対決に目を離せない。神様どうかお許しください。この喧嘩はなんだか他人事とは思えないのです。決して下世話な心に従っているわけではないのです。



「それはあとでしっかり頂くとしてね——どうして私たちの関係がバレてるのっ! 私は兎に角、麗美のことも!」


「あっ」



 思わず声をあげてしまった。ここであたしは重大な失態に気づく。

 巴さんからその話を聞かされた際、確かに口止めされた記憶がある。だけどあれは第三者に対してであって当事者である榎本先生は無関係だと思ってた。それが勘違いだって気づいた時にはもう手遅れだった。


 同じく全てを察した巴さんは生徒に向けるものとは思えない、うらみつらみを抱いた冷たい視線を無絵けてくる。

 前言撤回。ごめんなさい、巴さん。あたし、この戦いに巻き込まれたくない。罪はいずれバレるものだと思って素直に怒られてください。と、素知らぬ顔でカレーを頬張った。



「お、おーい。そこの諸悪の根源。弁明をお願い」


「目を逸らすな。話を逸らすな。私の生徒に助けを求めるな。大の大人が情けない」



 その後の展開は言うまでもない。力関係が歴然としている説教はもはや蹂躙である。その声だけを聞けば気分は教室。しっかり者の学級委員長がだらしない生徒に注意する微笑ましい一幕。多分、二人の関係は学生当時から変わらないみたい。


 満腹になった頃には口が軽い方が全面降伏していて嵐が止んだ。遜った様子で冷めきったグラスを温めにキッチンへと戻る巴さん。終始捲し立てていた榎本先生は身体の熱を冷ますように大きく息を吐いた。勝敗は最初からわかってたけどハラハラした。カメラを回しておけばいい映像が撮れただろうに、ちょっと後悔。映画を観た後の充足感に包まれながら食べ終えた食器を片付けようと立ち上がった。



「見苦しいところを見せてごめんなさい。全面的に私たち……や、あのバカのせいなのだけど——」



 榎本先生がぺこりと頭を下げる。その直後に「生徒の前でバカって言うな。教育に悪いぞ。大の教師が恥ずかしい」と、キッチンからヤジが飛んできた。



「おバカ様のせいで申し訳ありません。だけど本当に、絶対にこの秘密は誰にも言わないでほしいの。大人がタダでなんてケチくさいことは言いません。明日の行事が全部片付けたら全員参加のバーベキューをしましょう」



 思わず耳を疑った。



「ば、バーベキュー! ら、ラムもありますかっ!」


「じ、女子高生の割には随分と渋いチョイスね。もちろん、こういう時に田舎のコミュニティを利用しなくてどうするんです。これから夜通し材料調達から下準備まで、死にものぐるいでこなしますよ……頼れるみんなの寮母さんが」


「へっ」


「あなたが謝る相手は私ではなく朱乃。そして口止めしなきゃいけないのは紺野さん。ですけど一人の教師として個人を優遇するわけにはいけません。二人を特別視できないのであれば、みんなで特別なもてなしをすればいい。というわけでバーベキューはうってつけ。それに溜飲を下げるにはちょうどいいタイミングですし」


「そ、それは学園の責任でしょう。ただの雇われ寮母に押し付けないでほしい」


「もとをただせば昔から変わらないその軽口が原因でしょう。はい、というわけで悪いけど紺野さんは談話室で暇してる子たちに何が食べたいかリクエスト訊いてきてくれる?」



 カレーで満たされた胃袋が返事をするには十分な内容だった。今なら目の前にニンジンをぶら下げられた馬の気持ちも理解できる。

 バーベキューでテンションが上がらない女子高生がこの世にいるのだろうか。否。朱乃ちゃんだって例外ではないはずだ。



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