第十四話 白日のもとに
すべてが白日の下に晒されてしまった。
信頼できる人間かはどうかは置いておいて、少なくともマナだけは未知数の奇跡と関わらせたくなかった。それは本心からの親心だったと弁明しても「子供扱いするな」と火に油を注ぐだけ。ならば最初からすべての罪を背負って明かした方が誠実な対応だろう。その思いが伝わったのか不貞腐れたマナもだんだんと怒りを忘れて笑顔の花が咲いていた。爆弾をうまく処理できて一安心。かたやもう片方の爆弾は不発弾と化してしまい見て見ぬフリを決行した。
時計塔探索第二部に魔法少女の弟子を加え、新たに発見した秘密の階段を進む。本棚をすり抜けるという摩訶不思議な経験に興奮するマナを例によって最後尾に置き、わたしが先頭に立って終わりの見えない階段を下る。視界が悪く手すりもない。挙句に段差が妙に滑りやすいので魔法関係なく危険と隣り合わせだ。
「どこまで続くのかしら。地の底まで歩かされそう。さすがの『天眼』も地の底までは太刀打ちできないようね」
「見ようとはしてる。でも何も見えない。魔法の影響かな」
天眼なんて呼ばないで——と決まり文句を言う余裕もなかった。なんせ魔法が使えないなんて生まれて初めての経験だ。建物の外では難なく魔法を使役できたから、おそらくはこの隠し通路にからくりがあるのだろう。この仕組みを解明できれば人類にとって大きな一歩になるはずだ。とはいえこの状況で不安を煽るようなことは口が裂けても言えない。自分なりに必死に動揺を隠しているのに、後ろから無慈悲に「頼りない」と冷たく突き放されてしまった。
「魔法のいろはも知らない人にとやかく言われたくありません」
急所を切り込む強烈な一言に場の空気が凍えた。到着までもう少し揶揄ってもよかったが、後の始末が怖いのでこれで打ち止めにする。もしもこれで後ろから蹴飛ばされでもしたら擦り傷では済まされない。命と愉悦を天秤にかけて身を優先した。
かれこれ十分ほど歩いただろうか。長かった階段にようやく終点が見えてきた。光の先に出口と思しき木製の扉を発見。それを後続に伝えると安堵の声が揃った。いい加減この無機質な階段にも飽きてきたので、そろそろ魔法少女とゆかりある不可思議とご対面したいところ。
この移動時間であの鍵が落ちていた理由や隠し通路の意味を考えてみたけれど結局何もわからないまま。不安は何一つとして解消できていない。扉に伸ばす手が小刻みに震えているのは自分でもわかってる。
でも進まなきゃ。進まなければ何も得られない。
「これは……外?」
「なんだこれ! なんだこれぇ! きれーい」
マナが興奮するのも無理はない。夜更けに真っ暗な階段を下っていたはずなのに、地下の扉を開けたらそこには青空が広がっているのだもの。
わたしたちが辿り着いたのは不可思議だらけの異質な部屋。天井は取り払われて空に筒抜けになり、足元は波が揺蕩い綿飴雲が反射した海。この世の摂理に反するように部屋の中央には円卓に並んだ七つの学校机と椅子が浮かんでおり、部屋の窓からは果てしなく続く水平線が見える。他にもロッカーや掲示板と目につくものばかりの空間だけど、満場一致で目立っているのは正面の黒板。そこには丸みを帯びた可愛らしい文字で『魔法少女委員会』と珍妙な単語が書かれていた。
……なんだ、これ。おまけに余白を埋め尽くさんといわんばかりに犬……いや、狸(?)……え、絵心満載のアニマルたちが集めっている。
本当なら今すぐにこの奇妙奇天烈の空間を調べあげたいところ。だが状況が状況だ。さすがのわたしも足を踏み入れるのを躊躇ってしまう。だって足元が海なんだもの。幻とかホログラムではなくて正真正銘本物の海水。指先を伸ばしてみれば本当に冷たかったし、舐めてみたらしょっぱかった。ようやく対面した不可思議だけど、残念なことに水に浮かないわたしはここまで。聡明なわたしには海と地獄の違いがわからなかった。
そんな立派な理由を抱いて尻込みしているわたしに対して何をとち狂ったのだろう。痺れを切らした後続がわたしの身体を押し除けて教室に駆け込んだ。危うく海中に落ちる間一髪のところで戸あたりにしがみつき、なんとか死を免れる。危うく尊い命が失われかけたというのに、二人は初めて海を見た子供のようにはしゃいでる。というか自然に海の上を歩いている。
「ここなら朱乃ちゃんでも溺れないよ」
マナの激励に隣の風紀委員長がギョッとしていた。「え、あなた、泳げないの?」とでもいいたげに、何度も目をぱちくりして本気で驚いている様子。馬鹿にされる方がまだ救われた。敵に心底同情されるなんて末代までの恥である。
そう簡単に言わないでほしい。生まれてこの方、人間は水に沈むものだと認識している。他人に言われたからとて易々と覆らないことこそ「常識」なのだ。こうなれば梃子でも動かん。
けどマナは諦める素振りを見せない。どころか真っ暗な廊下で燻っているわたしの腕を掴んで、青々とした世界に無理矢理引っ張り出した。
「大丈夫だって、ね?」
「……歩ける」
水の表面を一歩二歩。水の上という感覚はない。どころか地上と遜色ない。金槌人間が泳ぐよりも先に水面歩行を成し遂げるなんて奇妙な話である。無邪気に喜ぶマナに釣られて思わずわたしも笑みをこぼしてしまった。無事に歩けることがわかれば探索するのみ。三人で手分けして部屋中をくまなく調べていく。
教室と呼んでも過言ではない部屋だが、出入り口は黒板と向かい合うように後方に一つだけ。前と後ろ、側面に扉が二つある学舎の教室とはちょっと違った雰囲気だ。
まず円卓に並べられた机に座ってみると机も椅子も脚がぐらぐら。表面はどれもチョコレートみたいに錆びていた。学舎にあるものや倉庫にあったものより幾許か年季を感じる。一つ一つ丁寧に抽斗の中を調べるも何も入っていなかった。
念入りに黒板のチョーク入れまで調べてみたけれど塵一つない。手がかりのない惨状にたまらず天を見上げながらふぅと息を吐く。それなりに時間が経ったと思うが空に変化はない。
どうしてこんな清々しい空が地中にあるのだろう、なんて考えるまでもない。
この部屋は地球上のどこかにある空間ではなく魔法で構築された異空間。十中八九、魔法少女の仕業だ。机の数も魔法少女の数と一致するし、何より黒板に残された文字がなによりの証左だろう。わたしが得意げに説明しなくたってこの二人は気づいていた。
「こんな世界を作り出せる魔法少女って本当にすごかったんだ。あたしなんかとは全然レベルが違う」
「本家本元と比較する方がナンセンスでしょう。魔法を使えるだけありがたいと思いなさい」
至極真っ当なご指摘にマナは慌てて口を噤む。この世界では魔法を使えない方が常識人。学力や運動神経は努力で補える部分があるが、魔法の適正ばかりは努力では埋められない。
この一言でマナは鷺谷の事情をいろいろと察したようで、以降、魔法という言葉を口にするのも少なくなった。そんな風紀委員長はあろうことに行儀悪く机に腰掛け、ぶらぶらと両脚をばたつかせながらわたしに視線を投げてきた。
「あなたの意見を聞かせてくれる?」
下手な誤魔化をする段階はとうに過ぎていた。わざわざ訊いてくるということは既に彼女なりに仮説を組み立てているのだろう。出し惜しみも面倒だ。互いに気づいたことを擦り合わせていけばもしかすると真相に近づけるかもしれない、と淡い期待を持って自分の手札を公開していく。
「まず最初に確認させて。ここは摩天楼と関係ある?」
「共通点はありますが、直接の関係性はないかと」
「共通点? あ! 入り口が魔法で閉ざされてた」
「はい正解。マナに一ポイント。委員長よりも早く十ポイント集めたら素敵なプレゼントをあげましょう」
「わぁい! なにかなーなにかなぁー」
「ちょっと、貯めたら私にもプレゼント……じゃなくてっ! 話を逸らさないで。あの黒板に書いてあることを信用するなら、ここは魔法少女の秘密基地ってことになる。ならなんで摩天楼のすぐ近くに秘密基地を作ったんだろう。なんでこの場所は巨悪にバレなかったんだろう」
わたしにはその理由がわかる。灯台下暗しなんて便利な言葉を使ってもよかったが、勘のいい鷺谷にはきっと意味をなさない。
「この地理が最適なんだと思います。あたしも階段を下っている時に魔法が使えませんでしたから、巨悪もこの場所を探すのは一苦労だったかと」
「だとするとここが魔法少女のランデブー・ポイントだったわけね。魔法を使えれば世界の裏側にいようと一瞬でひとっ飛びできるわけだから」
「や、多分、魔法少女の魔法でもこの教室までワープするのは難しいと思います。聖峰に強大な魔法が近づいてきて突然消えるなんて変ですから。おそらく待ち合わせスポットは本棚の前。あそこならカーテンで視界が遮られていますから、今日のように夜に集まれば外からは気づかれない。そして全員が集まったら赤銅色の鍵を使ってこの部屋に集まっていた。万が一、移動中に誰かに気づかれてしまっても、あの通路が魔法のシェルターになっているから魔法の痕跡も消失。最悪気づかれて攻め込まれても悪側も魔法が使えないから最低限の逃走時間は確保できた。わたしたちが発見できなかっただけで、多分この教室のどこかに緊急の脱出口とか自爆スイッチとかあるのでしょう」
自爆という物騒な言葉に反応して二人は肩を震わせている。ちょっと話は盛ったけど秘密の抜け道くらいなら用意されてそうだ。そういえば教室の内装ばかりに気を取られて、まだ窓とかスピーカーを調べていなかった。多分開かないだろうが帰る前に見ておこう。
「ふぅん、毎晩しっかり逃げおおせるだけあって頭の回転は早いわね」
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
「だけどあなたの推理だとすると、魔法少女は聖峰について熟知しているみたいだわ」
「……ほっ?」
「仲間と会議するためとはいえ巨悪に占領された聖峰に乗り込もうなんて正気の沙汰とは思えない。もしかして魔法少女にも共通点が——」
「……ふわぁ、眠たくなってきた。余計な考察はそこまでにしましょうよ。今日はもう引き上げて学園への報告は明日にしませんか。マナも眠くない?」
「眠いっちゃ眠いけどまだまだ動けるよ」
「そうね。ちっちゃなお子様もいることだし、今日は帰りましょうか。正直私も限界だし。はぁー、今晩は魔女警邏が現れないことを祈ろう」
「なんでわたしを見るんですか。今日は何もしないと思いますよ」
「なんで揃いも揃ってあたしを子供扱いするんだ。まったくもう」
こうして満場一致で撤退が決定。ひとまずは宿舎に戻って就寝。明日鷺谷が学園に調査報告するタイミングで同行し事情を説明することになった。もちろんそんな面倒はお断りなのだが「絶対に来るように」とドスの効いた声で脅されてしまった。多分ここに来るまでのやらかしを未だに根に持っているみたい。サボれば十中八九、知っている秘密を全部バラされる。そんな予感がした。
とて、今のわたしに駄々をこねる元気はない。ふわわと眠たげに相槌しながら撤退準備をした。引き上げる寸前、ぼんやりする視界に水平線が飛び込んでくる。あぁ、秘密の抜け道があるかもしれないんだ。あるとすれば足元の海中だろうけど一応窓だけは確認しておこう。そう思ってクレセント錠に手を伸ばした。
——迂闊だった。常に得体のしれない魔法を想定していたはずだったのに。
窓を開けた先には水平線から一転、どこまでも続く闇。ヘッドライトの光さえ飲み込む貪欲な暗闇。頭の中でシグナルがなった時にはもう手遅れで、音もなく前触れもなく、水中に沈む時のように全身が暗闇に引きずり込まれていく。咄嗟に窓枠にしがみついたものの、だんだんと引き込む力が強くなっているのがわかる。
「朱乃ちゃん!」
異変に気づいたマナが叫んだ。続けて鷺谷の悲鳴も聞こえてくる。何が起きたのかも見当がつかないだろうに、二人は青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「来ないで。巻き込まれる」
できれば気づいてほしくなかった。下手に手を出せば二人にも力が及ぶかもしれない。ここにいる全員が巻き込まれたら誰が学園に報告するんだ。全滅よりかわたしだけが犠牲になればいい。そもそもわたしの不注意なのだから二人は死ぬ必要はない。
まさかこのご時世に魔法で死ぬなんて夢にも思わなかった。わたしのような半端者には贅沢な死に様だ。
思考を手放して目を閉ざす。やりたかったこと、やり残したことが頭に過ぎる。思えば周囲の反対を押し切ってこの聖峰に入学したのも小さな夢を目指したから。けどその夢は夢のまま。叶えられないままわたしはいなくなる。あぁ、一度でいいからあの摩天楼を登りたかったな。
世界と区切りをつけて生きることを諦めた。人間死んだらそれで終わり。ミッションスクールに通っていながら教徒でもない自分は死語の世界を信じていなかった。
もう足掻くのも面倒だ。手中に収めていた最後の望みを自ら手放した。
さようなら世界。思いどおりにならないことばかりだったけど、ぼちぼち楽しめた。
未練がましい別れなんて性に合わないから、こちらとしてはあっさりした別れをしたつもり。
なのに、この世界は、奇跡は、魔法少女の弟子は、わたしを手放そうとしなかった。
「あたしが諦めてないのに、勝手に諦めようとしないで」
閉ざした世界に光が見えた。それは太陽のように暖かくて力強くて目の前にある。諦念したはずなのにその光の正体を知りたくて、ちょっとだけ勇気を持って目を開いてみた。
光の正体は赤銅色の懐中時計から発せられた魔法。小さい頃から魔力を光として認識できる特異体質のわたしでも、こんな眩い魔法は初めて見る。
すごいじゃないか。そう褒めてやりたいのに、魔法を起こす本人は今にも泣き出しそうで台無しだ。可愛いらしい顔が勿体ない。
ふと意識を戻してみると、自分の身に起きた不可思議にようやく気づく。窓辺から両手を手放しているのに身体は闇に呑まれていない。身体は宙で静止していた。
自由に空を飛ぶ——それがマナの魔法。一度経験しているわたしは疑うわけもなく、鳥のように縦横無尽に空を翔けるイメージをずっと抱いていた。でも実際はその認識は間違っていて、厳密にいえば「空を飛べる」わけではなくて「重力に捉われない」魔法。物体をマナの意思であらゆる方向に移動させられる。結果は似たようなものでも仕組みが異なれば応用がきく。
わたしの経験上、魔力が強まれば強まるほどレリックは眩い光を発する。今のマナなら魔法少女に匹敵するかもしれない。けど、それほどの魔法でさえ闇の重力と拮抗しているのが現状だ。事態は好転しない。
「そのとおり! まだあなたには訊きたいことが山ほどあるんだから!」
鷺谷は叫びながら真紅の外套を投げ捨てて、なりふり構わずわたしの元に駆け寄ってくる。来るなと警告したのに、自分の危機を顧みずに助けようとするなんて冷静沈着な風紀委員長らしくない。ましてわたしは敵なのに。なかなかカッコいいところもあるじゃないか。
目の前までやってきた彼女は宙に留まるわたしの手を力任せに引っ張る。それはもう脱臼するんじゃないかってくらい思いっきり。うん、これからは絶対に力勝負で挑まないようにしよう。
「うぉりゃあああ!」
勇ましい掛け声とともにレリックの光度が増す。その瞬間にかすかに指先が動いた。マナの魔法に呼応するように鷺谷の手に力が入る。
——きっとこれは天の気まぐれだ。でなければ魔法に打ち勝つことなんてできやしない。
闇は不意に抵抗を諦め、わたしを世界に放り出した。いつの間にか闇は消えて窓は穏やかな水平線を映す。解放された喜びを噛み締めるよりも前に、引っ張られていた身体は力の方角へ飛んでいく。つまりどうなったかというと、意図せず形で命の恩人のみぞおちに頭突きを喰らわせてしまった。おまけに起きあがろうとした拍子に身体の一番柔らかいところを鷲掴み。前々から薄々感じていたけれど鷺谷委員長って着痩せするタイプだよな。
「ったぁい! 抜け出せそうならもっと早く、言いな、さい……な」
無茶を言うな。そんなこと言われても、わたしだってまさか助かるとは思っていなかった。
ま、今だけは感謝しよう。こうして文句を聞けるのも二人が諦めずに助けてくれたおかげ。気恥ずかしいけど「ありがとう」を伝えなければ海琳朱乃の名が廃る。
声を振り絞ろうとしたけれど途端に生きている実感が込み上げてきて、柄にもなく目頭が熱くなる。感情丸出しの感謝なんて情けない姿は誰にも見せたくない。震える声を必死に押し殺して顔を上げる。
ありがとう、その一言を添えるつもりだった。
だけどわたしの目に映る二人は感動のワンシーンに浮かべるような安堵ではなく目をまるまると見開いた驚愕。揃いも揃って口を閉ざしている。
なんだ。泣きそうになったのはわたしだけなのか。感情的になった自分を恥じ、改めて頭を下げようとしたその刹那、頭上からひらりと見慣れたものが落ちてきた。
遅れてやってきた驚愕。教室の窓に映る自分の姿を見て全てを察した。
それは現実離れした、世にも珍しい臙脂色を髪を帯びた奇怪な人の姿。決して他人には見せてはならない本当の海琳朱乃がいた。
——あぁ、やってしまった。この秘密は墓まで持っていくつもりだったのに。
こんなことになるなら闇に呑まれた方がマシだった。二人に気付かれる前にさっさと手を話していればよかった。
もはや生の実感が一転して死を切望——や、見られた以上はもう死んでも手遅れだ。
感謝の言葉はとうに忘却へと消え、今はただ二人への怨嗟しかない。
なぜわたしを助けた。どうして逃げなかった。
あぁ、最悪。心の底から人を恨んだのはこれが生まれて初めてだ。




