第十二話 三馬鹿寄れば狂騒
「天下の風紀委員長も人間ですね。はい、治療おしまい。あまり激しい動きをしないように」
「ん、ありがと。雅」
手元に救急箱も手当の術も持ち合わせていないわたしらは慌てふためてしまった。
これが病気なら一大事。すぐに引き返そうかと三人で相談していると鷺谷は手のひらをこちらに向けてくる。状況と本人の申告との板挟みに陥る中、ふと、鷺谷をよく知るであろう人物の顔が頭によぎる。風紀委員長には内緒でこっそり連絡先を交換していた夏目雅にすぐさま電話をかけた。無事に繋がり事情を説明すると「すぐ向かいます」と頼れる一言。それから本当に十分後には救急箱を持って駆けつけてくれた。
「忙しいのに急に呼び出して悪かったね」
「いえいえ、ちょうどやることなくて寝るところでしたし」
処置中にマナと古賀は機材チェック。張り切る彼女に余計な心配をさせたくないので、気づかれないようにひっそりと鷺谷の容態を訊いてみる。
「気にしないでください。これは病気みたいなもので」
「病気なら尚更大変じゃない! 今すぐ病院で診てもらった方が——」
と、本気で心配したのに鷺谷は何を血迷ったのか、治療してくれた恩人の足を思い切り蹴飛ばした。ちょうど脛の一番痛いところにクリーンヒット。あぁ、かわいそうに。
「あなたは気にしなくていい。ただの鼻血だから」
苦悶の表情を浮かべる夏目を他所に、鼻を押さえながらかぶりを振る患者。だけど常識的に考えて突然鼻血を出すなんて異常。ひょっとして今まで病気の身体に無理を重ねてきたのだろうか。宿敵だろうと命が最優先。代役の代役なら夏目に頼めばいい。
「病気っていうのは語弊がある。ただの体質。だから、絶対、さっきみたいに呼ばないで」
「んと、さっき? …………あぁ! イロ——」
「ストップ! あなた鬼畜ね。それ以上はダメ。じゃないと出血多量で死んじゃう」
「は、はぁ」
意味がよくわからない。下の名前で呼ばれると鼻血が出る体質なんて存在するのだろうか。どうであれ本番前に藪蛇で面倒を起こしたくない。鷺谷の弱点なのかは甚だ疑問ではあるが、一応は復讐を果たせて心がいっぱいになった。
わざわざ来てくれた以上ここで帰すわけにもいかず、夏目も探索メンバーに加えることになった。先日の事件でも機敏に動いてくれた彼女なら非常に心強い、のだけど一つ疑問がある。
夜道を歩くのだから懐中電灯を持っているのはわかる。歩きやすいように体操着姿なのもまぁわかる。救急箱はわたしの指示。だけど腰に電動ドリルや巻き尺を下げ、頭にヘルメットを装備した現場スタイルはなんというか、完全無欠の最強装備。あの短時間でこんな装備を用意できるのだろうか。それとも実は彼女も時計塔に興味があって準備していた、なぁんて。わたしの考えすぎかな。
リーダーの指示のもと、長らく閉ざされていた封印が不協和音を奏でながら剥がされる。視界の先は真っ暗。一歩足を踏み入れれば埃と異臭が押し寄せてくる。咳き込む後続をよそに、先陣を任されたわたしは先に進む。さらにもう一枚の扉を抜けると足音が反響した。頭上にライトを向ければ普段は決してお目にかかれない時計塔の裏の顔が窺える。かつてこの地に天上の音を轟かしたと謳われる鐘も見えた。是非とも間近で見てみたい。風紀委員の監視さえなければ無茶をしてでも梯子で登るか、マナと二人きりなら魔法を使ってた。
手付かずといったってみんなで歩けば怖くない。活気に背中を押されて意気揚々と次の扉を開けてみる。しかし次に待ち構えていたのはおどろおどろしい空気が充満した真っ暗な廊下。これにはつい本能で散歩後退りしてしまった。
こんなの屈強な男だってビビるに決まってるっ! と、とりあえず後続が追いつくまでここで待と——
「ほぉら、先行くよ。私らが進まないとあの子たち怖がって一生進まないわよ」
こんなの物ともせず、鷺谷は風紀委員長の威厳を振り撒いて奥へと進む。
むぅ、あの人には絶対に負けたくない。廊下に並んだ無数の部屋には見向きもせず、真紅の外套を追いかけた。
「わぁ……すごい」
突き当たりの扉を抜けるとこれまでのホラーテイストとは打って変わって、剣と魔法のファンタジーの世界が展開されていた。
今の学園にも礼拝の時に集まる大聖堂がある。扇状に広がった客席と舞台はさながら劇場。学校とは思えない立派な設備なのだが、祈りを捧げる厳かな空気感はない。
しかしここはどうだろう。祭壇へと伸びる身廊。教徒の祈りを包み込むアーチ型の天井。天井付近の色鮮やかなステンドガラスは砕けてしまって、ガラスの破片や木の葉が足元に散乱しているのが残念だけど、それでもここはなんとなく祈りが天へと届けられているような神聖な空気で満ちている。このわたしも空気に触発されて背筋をピンと正してしまう。
それに、こう、チャペルの中央に立っているとなんだか結婚式みたい。もちろんわたしが花嫁で……
「なに? ジロジロ見てないで異変がないか警戒しなさい」
なに、とはこっちが言いたい。せっかく人が珍しく乙女チック街道を突き進んでいるのに、よりにもよって隣がコレなんて風情がない。あれだけ体調を心配したのに、しれっと元どおりになっちゃって。人の気も知らずにネチネチと母親みたいな小言に飽き飽きしながら適当に相槌を打った。
淡々とチャペルを探索するこちらとは対照的に後続はキャッキャと楽しそうにしている。こちらは危険を顧みずに先を進んでいるのに奴らときやら。これで取材が進んでいなかったら有金全ベットの天眼戦を仕掛けてやる。
「ねーえ、夏目先輩。ここを俯瞰した写真が撮りたいんで梯子を上ってもいいです?」
古賀の声が聞こえた。入る前に立ち入りが許可されているのは一階だけだと説明されている。わたしも確認した限り、梯子は問題なく使えそうだった。危険はあれど不可能ではない。だがお目付け役は許しそうにない。
「うちの後輩は癖のある子しかいないのね。困った連中だわ」
あえて後輩という括りなのは「お前も含まれているからな」とでも伝えたいのだろう。ぐうの音も出ない真っ当な意見に何も言い返せない。マナは当てにならないとしても、せめて放送部のエースだけはまともであってほしかった。
「あー、登るなら委員長が見ていないところでこっそりお願いしますね」
夏目の声がはっきりと聞こえる。もちろんわたしに声が届いたということは鷺谷にも丸聞こえ。このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「うちの風紀委員会は柔軟に動いてくれて安心します」
あの冷酷な鷺谷が子供っぽく口を尖らせた。ふふん、これでなんとか一勝一敗。勝ち誇った顔で鷺谷を見返してやった。クールな風紀委員長の悔しがる顔ほど健康にいいものはない。
「うひゃあ! 上からなんか落ちてきた……なあぁあぁ! ゴキブリ、踏んじゃったぁ! 気持ち悪い、助けて朱乃ちゃーん」
マナの叫びがこだまする。助けを求める情けない声に穴があったら入りたい。
あなた、ようやく弟子っぽいことできるって騒いでなかったっけ。魔法少女の弟子が虫ごときで動揺するんじゃない。
「あぁもう、戻るからおとなしくしてて」
「あなたの相棒は賑やかで忙しないわね」
「どこぞの委員会はアレをスカウトしましたけどね」
悲しい現実に嘆息が重なる。互いに勝利よりも己の敗北を認めてしまったのだ。一勝一敗一分。今回は痛み分けで済んだと思おう。
ドタバタを片付けてチャペルを調べ終えたのち、後続の取材組もようやくチャペルに足を踏み入れた。ご丁寧に一言一句、わたしが抱いた感想と同じことを実況しながら。心の中で思うだけなら何も感じないのに、自分の耳に入れるとなると羞恥の落差が激しい。気恥ずかしさから廊下に逃げ、まだ手をつけていない部屋を探索することにした。残っているのは全部で四部屋。一足先に鷺谷がチャペルに近い部屋を探索していたので入ってみると、今の教室の半分ほどの手狭な空間。これなら二手に分かれた方が効率が良いと思い、鷺谷から鍵を借りて半分の部屋を受け持つことにした。
まず、チャペルから三番目の部屋から手をつけた。部屋に足を踏み入れた途端、古紙の香りが鼻腔をくすぐる。周囲を照らしてみると四方を背の高い本棚で囲まれていた。その影響か先ほど鷺谷がいた部屋より手狭に感じる。
この部屋は他の場所と違って荒らされることなく、当時のありのままを残していた。書庫として利用されていたのかもしれないが、よくよく観察してみると本棚に並んでいるのは全て聖書。ふと一冊手に取ってみると書かれてるのは見慣れないアルファベット。フランス、ドイツ、イタリア、スペインなどなど、ここには世界中の信仰が詰まっていた。
特に目ぼしい発見も危険もなかったので隣の部屋に移動する。右隣——時計塔に一番近い部屋に入ろうとしたのだが、この部屋だけは何故か施錠されていなかった。用心しながら扉を開けるも特に異変はなく、前の部屋と広さも構図もほぼ同じ。ただ先ほどの部屋が図書館と例えるならここは職員室。
スチールキャビネットにロッカー、そしてかつて現役だったであろう両袖デスク。古くなったものを保管するただの倉庫かと思いきや、キャビネットにはリングファイルがぎっしり。今回も適当に一冊手に取ると、生徒に配布されていたと思われる学年通信や年間スケジュールが収められていた。年代や学年はどれもバラけているが、最も新しい年代は十八年前の新入生向けのお知らせ。つまりは世界が悪に侵略される前のものであり……自分が生まれる前の歴史の一片。当時の写真でもあれば非常に愉快なことになっていたけれど、戸棚や抽斗を漁っても文章しか見つからない。実にツマラナイ結果だった。
かれこれ十分以上は篭っていたようだ。向こうの様子はどうだろう、と、部屋を出ようとしたところ、床にあったナニカをつま先で弾いてしまった。からんからんという物音と転がる影。そこに光を当てると赤銅色の小さな鍵があった。
なんでこんなところに鍵があるんだろう。鷺谷から借りている鍵は確かにここに二本ともポケットにある。ならこの鍵はどこの? 心当たりはないが、この特徴的な色はまさしく——
「あっちの部屋はガラクタしかなかった。こっちは?」
「わっ、び、びっくりさせるな。こっちもなにもありませんよ」
「そ、ならあの三馬鹿と合流しましょう。いい加減、写真も撮り終えているでしょうし」
「なら借りていた鍵、お返ししますね」
二本の鍵を返却し、その足で講堂にいる三人と合流。何食わぬ顔でポケットに入れた細長い塊を指でなぞりながら、心の奥底から湧き出る興奮を必死に押し殺した。




