第十一話 魔女警邏《ナイトウィッチ》
新たな頭痛の種が生まれてはや数日。わたしの予想に反して日常が荒れることはなく、夜更けに摩天楼の周りを出歩いても風紀委員どころか鷺谷とも邂逅しなかった。おそらく誰とも情報共有をしていない。敵意がないことの現れだとわたしは考えている。
どんなに不安を重ねても昨日と同じ日常がやってくる。そんな現実を生きていると悩む方が馬鹿馬鹿しくなってきた。
今日も今日とて普段どおりの生活。寝惚け眼をこすりながら渋々と学舎へ向かい、喧騒を弾いて孤独と向き合う日々。似たような毎日の繰り返しだけど不思議と心は満たされていく。
夢はいつか捨て去るもの。
夢を抱くなとは言わない。夢を追いかける人を嘲笑うつもりもない。
ただ、平和を手に入れた世界では妙なことに、夢みがちな人間が増えてきている。空を自由に飛びたい。月で餅つきしたい。タイムスリップしたい。子供っぽいと馬鹿にされていた思考が人権を持ち、堅実的な夢よりも高く評価されている時代になってしまった。
これは全世界で多発している現象で、米国の研究機関によって科学的に証明されている事実。自由が抑圧されてきた反動ともいわれている。
こんな生き方ができるなら苦労しない。世界が肯定するなら否定する気にもならない。だけど捻くれ者のわたしは斜に構えた考えをしてしまう。こうやってのうのうと夢を語れるのも、かつて数多の血が流れたからであって、いつまでも夢みていては天国に顔向けできない、と。
わたしの夢はどっちなんだろう。成功例は過去に一回。されど世界中の研究機関が再現不可能だと断言している。その見立てに狂いはない。現状、わたしも手を拱いている。加えて厄介な人物に秘密の一端がバレてしまった。この生活は退屈なことばかりだけど不満はない。
自分の夢と区切りをつけて普通の女子高生になるにはちょうどいい時期なのかもしれない。
ま、時間はゆうにあるんだ。頭でっかちの大人とは違ってわたしは柔軟な発想と対応ができる。今は間が悪くとも未来はどうかはわからない。諦めは頭の一端に留めておいて、好機を逃さない姿勢を崩さなければいい。それが今の自分にできること。できないことは考えなくていいし、やらなくていい。
そう、本来ならやらなくていいはずなんだ。なのにできないことをやらせる教育はどうなんだ。自分の意思で水没するなんて馬鹿げていると思わない? 根性論で育ってきた頭でっかちの大人連中にはわからないと思うけどさ。
「いよいよ今日の夜なわけだけど……みっちゃん、大丈夫?」
「プールでバテバテみたいだからあたしらだけで進めよう。えと、確認なんだけど撮影機材は翼ちゃんが用意することになってて、あたしたちが準備するのはライトだけ。あと服装は汚れてもいいように体操着を着てくるように、とは聞いてる」
「わざわざ着替えさせてごめんね。でも、何があるかわからない場所だから身動きしやすい方がいいと思って」
人がクタクタで頭を突っ伏したまま動けないその隣で今夜の最終確認を行うクラスメイト。
プールの授業なんて水責め拷問と変わらない。みんなが人魚のように水中を舞う中、わたしだけが先生とマンツーマン指導。毎日黙々と潜る練習をしているが成長の兆しは一向に見られない。この授業が始まってからのわたしは心身ともにズタボロ。愉快な会話に混ざる気力なんて残されていなかった。
「今更なんだけど、どうして封鎖されてるんだろうね」
「というと?」
「戦争が終わったらさ、普通は被害状況を調査しないのかなって。なのにずっと手付かずなんて変な話」
「それは……確かに?」
「今のまま放置するよりか整備して観光資源にした方が得だよね」
マナの指摘に古賀も唸る。時計塔を取り上げた番組を作るならこれくらい下調べしてくれ、と言いたいところだが、多分ここの図書館に篭ったって答えは見つからない。
「ね、ね、朱乃ちゃん、どして?」
あどけない声で尋ねてくるマナにいろいろと問いたい。
先ほどあなたはなんて言った?
この惨状をよく見てみろ。明らかに指一本動かす体力も顔を上げる気力も残ってないんだぞ。くたびれた人間に鞭を打つなんて非道だ。鬼畜だ。今日から巨悪の弟子を名乗るべきだ。
「うー」
最後の気力を振り絞っても言葉にならない声しかでなかった。
「こんな時はあたしに任せて。えと、なになに……『老朽化』、だって」
「うーむー」
「『あと魔法の危険性』」
「危険性?」
「ぐぅ」
「『魔法が仕掛けられている可能性を排除できないからには立ち入り禁止は至極当然。今回許可が降りたのは多分、取り壊しの目処が立ったんじゃないか』って」
「ほほう、つまり今回の調査は記録保存にちょうどいいと」
「むー」
「『いや、ファーストペンギン的な』」
「……この学園って割と生徒を雑に扱うよね」
「うん」
「『そのとおり』」
「————最後は兎に角、なんで全部わかるのさ!」
一言一句違わない通訳に思わず机を叩いてしまった。 わたし、「うー」とか「むー」としか言ってないよね? それでなんで通じるんだ。期待とか信頼を通り越して気味が悪い。
「『愛してる』。きゃっ、人前で大胆だよぉ」
「悪意ある間違いをするな……わっ、別にわたしたちはそんな変な関係じゃない。古賀ならわかってくれるよね?」
そう尋ねると古賀は相好を崩した。冷静になればマナなりの冗談だってわかってくれるはず。だからそんな新婚夫婦を見るようなうっとりとした目で見ないでほしい。
最後の気力を振り絞ってしまったがために行儀良く椅子に座る力もない。視線だけは二人に向け、再び机に突っ伏しながら二人の会話を耳に入れていく。
集合時間は二十時、集合場所は宿舎のエントランス。調査メンバーはわたしら三人を含め、学園から監督役が一人。おそらくは担任の榎本になるだろうと古賀は言う。こちらとしてもあの人なら安心。気負わず楽にできそうでなによりだ。最悪体力が回復しなければ小さい頃みたいにおんぶしてもらうとしよう。
目的がある古賀はいわずもがな、「時計」という小さな共通点を持つマナもすっかり魅了されてしまった。正式に調査が決まってからは屋上にやってくる機会も減り、夕食の時間ギリギリまで放送部の部室や図書館で資料に目を通していたそうだ。
「正直、魔法とか魔法少女なんて言われても見たことないから御伽噺にしか思えないんだよね。もう少し上の年代だと魔法少女の戦いを覚えている人も多いけど、戦後世代の私らは他人事。そう思わない?」
味気のない笑みで誤魔化す。転入してからの一ヶ月でだいぶマナの誤魔化し方も上手になっていた。
「ま、個人的に十六年も封鎖された時計塔より、『魔女警邏』の方が怖いよ」
「『魔女警邏』……? あ、聞いたことあるよ。みんなが寝静まった真夜中に現れる不審者のことだよね。まだ捕まってないの」
「風紀委員が躍起になっても足取りを掴めないみたい。学園の生徒とはいわれてるけど黒髪ロングの子なんて沢山いるしねぇ。みっちゃんはなにか知らない?」
唐突に名指しされたからつい飛び上がってしまった。明らかに動揺しすぎだろうとすぐさま自戒。ふんわりショートボブ眼鏡っ子のこのわたしが疑われるなんてありえないのに。この過剰反応にはさすがの二人は目を丸くしていた。
「こ、こほん。もう一度訊くけど、なんでわたしに訊くのさ」
「えぇっと」
「通訳せんでいい」
「まぁ、私たちが知らないようなことをよく知ってるし……もしかして関係あったりする?」
「ジョーダンやめて。時計塔のことは当時を知ってる人に教えてもらっただけ。魔女のことはお門違い」
「当時を知る人? 十六年以上勤めてる先生なんていたかな」
「あら、放送部のエースとあろうお方が心当たりないんだ」
誤魔化しついでに疲労の鬱憤を晴らす。わたし知ってるんだ。負けず嫌いはちゃちな煽りに弱いって。案の定、言い負かされた古賀はむぅと頬を膨らませる。探し方に一つ捻りを加えればこんな情報、簡単に見つかるのだけど。わたしから言わせてもらうと、己の身を預ける責任者の素性くらいは把握しておきなさい。
これがプロの琴線に触れたのか、古賀は矢継ぎ早に段取りを終えるとバタバタと駆け足で出ていってしまった。どうやら無事に話を逸らすのに成功したようだ。
プロの美声を聞くうちに体力も回復。とはいえ自分の部屋まで歩いて帰れる程度だけ。帰り道もマナについていくのが精一杯。ようやく自室に戻ってこれたと安堵するも、後の面倒を考えると昼寝よりも先にやらなければならないことがあった。
「あーあ、すっかり痛んでる。そろそろ新しいの買わないとダメかなぁ」
鞄の中からびしょ濡れになった諸々を取り出す。この時期になると日常の細部まで気をつけないといけないから面倒だ。元々プール用ではなく、週に何度も出番があっては塩素にやられて傷んでしまう。ボロが出る半歩先を想定。新しいものが届くまで欠席するしかなさそうだ。
予想外の出費にたちまち嘆息してしまう。両親に頼めばひょっとすると買ってくれるかもしれないが、もっと大切にしなさいと小言を言われるに決まってる。それもそれで面倒だけど背に腹は変えられない。昼寝の前に母にメッセージを送り、身体に鞭打って濡れた衣服を洗濯室まで運んでシャワーを浴び、身も心も清らかにしてやっとベッドにダイブ。これでようやく手放しで夢の世界に飛び込める。目覚ましを用意するのも面倒だ。どうせ時間になればマナが呼びにくるだろう。それまでは余計な装備を脱ぎ捨てて、夢の世界を駆け回ろう。
◇
体力満タン。お腹もいっぱい。たまには他人の役に立とうと意気込んでいたものの、非情な現実は容赦無く貴重なやる気を叩き潰してくる。この結果には古賀も予想外といわんばかりに驚いていた。
真紅の外套を羽織った風紀委員長はふんわりと欠伸する。寝不足なんだから大人しく宿舎で寝ていればいいのに。
「式典で問題が生じたそうなので榎本先生は来られません。なので代わりにこの不肖わたくしが手伝いをさせていただきます。よろしく」
学園の秩序を管理する鷺谷は周囲から忌み嫌われながらも、冷酷で凛々しい振る舞いとミステリアスな風貌から密かに羨望の目を集めている。放送部のエースも例外ではないようで、あの一件で恩義があるマナと一緒にはしゃいでいた。わたしと二人とのテンションの落差は明瞭だ。
終結記念祭の準備は終夜問わず聖峰のあちらこちらで行われている。人手かつ男手不足の現場は猫の手も借りたいくらい忙しいとのことで、例外で風紀委員の面々も手伝いに駆り出されていた。久しぶりに鷺谷と相対するが、目元はほんのりとクマを纏っていた。因縁の相手だけどいささか同情してしまう。
出発前、古賀はショルダーバッグから撮影用のデジタルカメラとヘッドライトを手渡してくる。カメラに関しては人数分あるものの、ヘッドライトは一つしか用意できなかったようで、暗がりを進むために先頭が装備することになった。問題は誰が先頭になるかである。
「ほら、こういうのはリーダーが先陣を切るものでしょう」
「いやいや、荷物もあるし殿を引き受けるよ」
「なら鷺谷委員長」
「お目付け役が先頭歩いてどうするんです」
「はぁ、しょうがないなぁ。わたししかいないか」
ま、客観的に考えても適任は夜道に慣れたわたしだけ。損な役回りを率先するなんて、わたし偉い。
「——ねぇ」
髪型が崩れないように恐る恐るとヘッドライトを装着しているとマナが怪訝そうに尋ねてくる。
「どうしてあたしに訊いてこないの?」
そんなの、だって、ねぇ?
わかりきってることだ。わたしより頭一個分、背が低い子に灯台役が務まるわけがないじゃないか。間違ったことは言ってないはず。だって他の二人も何も言ってこないし、無言の肯定だと思っていた。
なのに二人は無関係を取り繕って目を背けている。「やってしまった」と言いたげな表情を浮かべながら。薄情なやつら! 責任をわたしになすりつけやがったな。
現実をありのまま伝えるべきか迷ったが、今から調査をするのに不機嫌になられてもすごく困る。しょうがない、と心の中でぼやきつつ、いざという時のために考えておいたとっておきを披露することに。
「——切り札は最後まで取っておきたいでしょう? その代わりにわたしのスマホ預かってて」
そう言いながら胸元の懐中時計を一瞥。この口説き文句を前に厄介なお子様も呆然。なんのこっちゃと首を傾げる奴らにはわからなくていい。マナにだけ伝われば十分だ。説得に成功した後は時計塔に向かうだけだった。
足元に注意を払いながら夜の坂道を進む。その間に鷺谷は機械的に注意事項を読み上げる。
「立ち入りの許可が下りたのは一階だけ。時計塔の機械室はもちろん、ホールの二階も立ち入り禁止です。それとすでに古賀さんには伝えてあると思いますが、内部の様子をできるだけ鮮明にカメラに収めてください。取り壊し工事の資料にするとのことです」
頼られているのやら、都合のいい駒と見られているのやら。薄々感じていたとはいえ改めて聞かされると乾いた笑いしかできなかった。
摩天楼、時計塔といった立ち入り禁止区域には厳重な警備が敷かれている。聖峰女学園の長い歴史において脱走に成功した生徒はいない。毎年のように脱走を試みる生徒が現れるものの、学園の敷地から超えられたことはない。
最近の記録だと去年の秋。その生徒は誰も通ろうとしない山中の隠れ道から街に抜け出そうとしたが、宿舎を抜け出してものの十分で捕まったらしい。その迅速な処理に学園中に監視カメラが仕掛けられているんじゃないかと生徒の間ではもっぱらの噂。興味を持った生徒らが学園中をくまなく探したが、カメラもセンサーも見つけられなかったらしい。
一体学園はどうやって生徒を監視しているのか。この学園七不思議には莫大な報奨金がかけられている。気分転換に夜風を浴びるだけでもリスクがあるなんて息苦しい毎日だ。だからこそこうして堂々と夜道を歩ける今日はちょっぴり新鮮だったりする。
「もうちょっと歩くペース落としてくれる? 翼ちゃんがプール後の朱乃ちゃん状態」
「おっと、ごめん」
日頃警邏している鷺谷や運動神経抜群のマナは難なくついてこれるものの、到着目前で古賀がばててしまった。休憩をするには中途半端な位置。救援にはマナが向かったので、一足先に鷺谷と一緒に時計塔へ向かった。
開拓された山間部に鎮座する蒼月の時計塔。その代名詞となる群青色の文字盤はすっかり硬直し、煉瓦造りの壁面は蔦と苔で覆われ、窓ガラスの大半は無惨にも砕け散り、一瞥しただけで十六年という月日の重みを感じ取れる。退廃的な雰囲気は個人的に嫌いじゃない。
後続の二人がやってくるまで周辺を軽く散策。明治期に建てられたという割には電灯や室外機が設置されていたりと近代的。古賀の言うとおり、きちんと費用をかけて改修すれば現役の時計塔として運用できそうだ。
わたしが呑気に眺めている一方で鷺谷は淡々と作業をこなしていた。よくも悪くもいつもどおり。あの余裕が虫に好かなかった。
『だってあなた——見えないものが見えるでしょう?』
あの言葉が胸に刺さる。あの晩は柄にもなく混乱してしまったけど、数日も経てば疑問より悔しさが勝った。これまで負かされてきた腹いせの、あの「どうだ」といわんばかりのしたり顔がすっごくムカつく。おとといなんて夢にも出てきた。もはや悪夢だ。母からの遺伝のせいか、負けたままの自分も癪に障る。せめて一度だけでいいからあの傲慢な女の鼻をへし折ってやりたい。
遊戯全般ならわたしの土俵なのだけど、それで勝っても正直嬉しくない。負かすとまでいわずともアイツの弱点を見つけたり、最悪ちょっとビビらせるだけでも満足。だけど人の心がないとまで謳われる天下の風紀委員長が生半可なことで感情を表に出すわけがない。
こうなったら手段は一つ。漫画で読んだあの方法を実践するしかない。あとでこっぴどく怒られるかもしれないけれど、それでも鷺谷が動揺している姿を見てみたい! わたしもかくいう年頃の女の子なのだから茶目っけくらいあるんだ。
「ちょっと、あまりちょろちょろ動かないでよ」
扉のカンヌキを壁に立てかけると、わたしの方へジッと鋭い視線をぶつけてくる。早速好機がやってきたみたい。鷺谷の注意にうんともすんとも言わず、無機質な感情を取り繕って近づく。
「な、なによ」
警戒した鷺谷の真横に立ち、そっと吐息を漏らすような声で耳元に囁く。
「もちろん。今日は勝手なことしないよ、イロハ」
中学生の頃に大好きだった少女漫画のワンシーンを真似してみた。
その漫画ではドッキリで仲のいい先輩に対して下の名前で呼ぶ。不意に名前呼びされた先輩は突然の変化球に戸惑いを見せるも「先輩には敬意を込めろ」と怒られておしまい。少々インパクトに欠けるものの、一瞬でも動揺させれればわたしは満足。
さて、天下の風紀委員長様はどうだろう。
「イロハ?」
ダメ押しをするまでもなく明らかに様子が変だ。
動揺とか不機嫌以前の問題。固まっている。試しに肩を叩いても身体を揺さぶっても銅像みたいに硬直したまま。さすがのわたしも心配して顔を覗き込もうとするも、俊敏な動きでその場でしゃがみ両手で顔を覆った。彼女をライトで照らしてみると……て、手に血溜まりがっ⁉︎
「え、え、え、衛生兵、衛生兵ぃ! マナ、古賀、緊急事態発生だから来てぇ!」




