第5話 忖度
蕾の夜を終えても、忙しさは変わらない。
むしろさらに過酷になっていく。理由は単純。王宮で次に開催される『星の夜』は、外交的な役割を果たしているからだ。
そんな中、アデレインは国営の孤児院と治療院を回ることになった。
(……さすがに気まずいわ)
アデレインは向かいに座るヒューイ様を見ることができず、手元の資料へと視線を落とす。
ガタガタと揺れる馬車の音が妙に耳に響く。
「それは、孤児院の資料?」
軽やかな声がアデレインに掛かる。無視をするわけにもいかないので顔を上げれば、当たり前だがヒューイ様の顔。
(だいぶ慣れたはずだけど、この距離でふたりきりはさすがに無理)
星の夜の時期に、隣国アルヴェイン王国の使節団が治療院と孤児院を視察される。その視察に王妃様が同行される予定のため、アデレインがその下見の任務を与えられた。そして、外交儀礼官側からはヒューイ様が任命されたらしい。
(筆頭公爵家のご子息様と同乗なんて、あり得ない)
仕事だと割り切ろうにも、距離が近いのと、ヒューイ様の顔が良すぎるのが、アデレインの脳というか心臓に余計な刺激を与えてくる。
(……目の前にいるのはヒューイ様ではない……そう、元旦那様)
現実逃避をしようと、脳裏に離縁したばかりの元夫の顔を浮かべる。
濃紺の髪に深い金色の瞳。
(そういえばあの人も顔は良かったわ。精悍な顔つきで……)
ヒューイ様と何もかもが正反対な気がする。
人当たりがよく優しいヒューイ様と、冷たげで不愛想だった元夫。
だが、元夫は分かりやすい優しさを示さないだけで、政略結婚で嫁いだアデレインに対して、夫婦としてそれなりに寄り添っていたと思う。
(そう。あの人には誰よりも大事に想う相手がいた。ただ、それだけのことなのよね……)
アデレインは離縁を申し出た元夫に、別に怒りも恨みもない。姉は物凄く怒っているが、元夫がアデレインを女性として愛せないことなど、婚約時から分かっていたことだ。それを承知で婚約したのだから、元夫がそこまで悪いとは思わない。
(むしろ、おめでたいというか、是非とも幸せになってほしい)
元夫は現在の妻に気を遣って、アデレインと彼女を引き合わせることはしなかった。正直アデレインとしては二人仲良く並んでいる姿を見たかった気もする。あの不愛想な元夫の顔が、愛しい人の前でどう変わるのか、少しだけ興味があった。
(星の夜には参加されるのかしら?)
それとも、しばらくは社交界から離れて、彼女の名誉を守るのか。
どちらにしても、アデレインにとっては関係のない――
「……オルダートン嬢?」
元夫とその想い人のことを考えていたアデレインを、ヒューイ様が現実に戻す。
(……せっかく意識を飛ばすことに成功していたのに)
恨みたくなる気持ちは、元夫にではなく目の前の公爵子息に向けられる。
「失礼いたしました。少しぼーっとしてしまいました」
「……もしかして、疲れてる? 大丈夫?」
美貌が眩しくて現実逃避をしていたなどと言えないので、アデレインは曖昧に微笑む。だが、それをどう受け取ったのか、ヒューイ様は眉を下げた。
「ごめん。僕が君のことを素敵な人だと言ったばかりに……」
「はい!?」
唐突に意味不明なことを切り出され、思わず声が跳ね上がる。
「軽い気持ちで先輩に言っただけなんだよ。初めて会った時の君が素敵だったから」
(……あの? 何を仰っていますの?)
「それなのに、先輩たちが盛り上がって」
「……」
「だからって、そこで、違いますっていうのは、君に失礼だし」
そこは失礼も何も気にせず、はっきりと否と言ってほしかったとアデレインは思った。
「面白がって僕と君を組ませたがるんだよ」
「……それでヒューイ様と一緒にお仕事する割合が高かったのですね」
「そうなんだ」
(……まさか、そんな理由があったとは)
アデレインとしては、離縁しているとはいえ一度結婚した自分なら、若い未婚女性ほどヒューイ様の美貌に心乱されることなく仕事ができるだろうと判断され、ヒューイ様と組まされているのだと思い込んでいた。それが、まさかの外交儀礼官側でのヒューイ様に対する忖度とは。
「……信じられませんわ」
「あ! もちろん君が優秀だから、僕みたいな新人二年目と一緒に仕事させても大丈夫だろうと思われてるんだよ。それに仕事内容も、新人組にちょうどいい程度のものだから。そこは安心して」
慌ててフォローを入れるヒューイ様だが、アデレインはそんなこと全くもって気にしていなかった。
何故なら一緒に仕事をしていて、ヒューイ様がとても頼りになると分かったからだ。だからこそ、新人のアデレインと組ませても問題ないと思われているのだ。つまり逆だ。だが、今はそこはどうでもいい。
「……訂正してください」
「え? 君は優秀だよ?」
「そこではなくて、わたくしのことを素敵だと仰ったというか、それを」
「でも、訂正したところで、君が素敵なことに変わりはないだろう?」
何を言っているの?と続きそうなまっすぐな言葉を真正面から受け止めてしまい、アデレインは二の句が継げない。
ヒューイ様のローズピンクの瞳がきらきらと輝いている。
(……胸が痛い!!)
この無邪気な瞳に向かって、反論を伝えることなどできようもない。
というか十九歳にもなって、まるでパーシーのような純粋さ。
(え? なにこれ? こんなの野に放って大丈夫なの?)
アデレインは白旗を上げつつ、この純真すぎる青年の行く末を心配した。




