第4話 蕾の夜
六月中旬、『蕾の夜』当日。
十八歳で成人を迎える令嬢たちの、夜会デビューの日でもある。
アデレインも十八の歳に夜会デビューを果たし、毎年この『蕾の夜』に参加していた。
運営側に回るのは今回が初めてで、華やかな夜会が多くの人々によって支えられていることを本当の意味で知った。
(今のところ、問題なし……ね)
夜会が滞りなく行われているか、王妃様に負担がかかるようなことが起こっていないか、想定外のことが発生していないか。
アデレインは典礼仕様のダークグリーンの制服を着用し、絶えず気を張っていた。
(……王族の方々はとても穏やかな雰囲気で、夜会を楽しまれているようにしか見えないのだけれど)
その実、決してそれだけではないのだと知る。
しかもアデレインが緊張していることに王妃様は気づかれたらしく、少し離れた位置から柔らかく微笑んでくださった。
(素晴らしい方ですわ)
王妃様に仕えることができて、アデレインは本当に良かったと思った。
自身の仕事に誇りを覚えつつ、夜会の様子に目を配っていたアデレインの元へ、
「大丈夫? 疲れていない?」
アデレインたちと同じように、ずっと壁際に控えていたヒューイ様が優雅な歩みでやって来る。
(持ち場は?)
彼の持ち場は、アデレインより少し離れたところだったはず。
「オルダートン嬢も交代の時間だろう?」
「え?」
「……緊張感っていうのは持続させるのが難しいから、必ず交代で休憩するはずなんだけど?」
(し、しまったわ。夜会の進行にばかり気をとられて、自分のスケジュールを失念していた)
それでも、交代なのでアデレインが忘れていても代わりの人員は来る。先輩女官がこちらに向かってくるのが見えた。
(……情けないわ)
明らかにアデレインの落ち度だ。
「アデレイン、交代よ」
先輩女官がアデレインに声を掛けつつ、ちらりとヒューイ様を見ている。それに対してヒューイ様がいつものように笑いかけようとして、顔を固まらせた。
「え?」
「……ヒューイ様?」
先輩女官と二人で彼の顔をまじまじと見れば、一言。
「笑わないというのは、意外と難しい」
(あ……!!)
ヒューイ様の返しに先輩女官は不思議そうにしていたが、アデレインには心当たりがある。非常にいたたまれない。
「無理をされなくてもよろしいのでは?」
なんとかそう告げれば、ヒューイ様は今度こそ微笑まれた。
相変わらずの極上の笑みだ。
(……こう、もうちょっと普通の笑顔ってないのかしら?)
むやみやたらに振りまかれる、麗しすぎる笑顔にアデレインは思った。
* * *
休憩ということで、会場から離れる。
しかも、ヒューイ様に控室まで案内された。
(……というか、なぜ一緒にいるのかしら?)
本日のスケジュールを完全に忘れている身としては、これが正しいのか、そうでないのか判断がつかない。
ただ、どちらにしても休憩なので、アデレインはとりあえずソファへと腰掛けた。
ローテーブルを挟んだ向こう側のソファにヒューイ様も同じように座る。
「オルダートン嬢、飲み物は水のみだから。それと、軽く何か食べた方がいいんだけど、どうする?」
ヒューイ様はテーブルの上の水差しを持ち、グラスへと水を注ぐ。
そしてアデレインの前に置いてくださった。
「ありがとうございます」
確かに喉が渇いていた。
(なるほど。新人のお世話のために一緒にいてくださるのね)
非常に納得のいく理由を見つけて、アデレインの緊張もほぐれる。
「軽く……というのは、どこかに軽食が?」
「うん。そっちの控室に」
ヒューイ様は、入ってきたドアとは別のところにあるドアを示す。
どうやら隣の部屋と繋がっているらしい。
「そっちの控室って……ここは控室ではないのですか?」
「控室だけど、あっちも控室」
(さっぱり意味が分からない)
「で、何がいい?」
「なに、とは?」
「軽食のこと。持ってくるから」
「そう言われましても、何があるのか」
「会場に並んでいる軽食と一緒だよ」
「ああ、なるほど」
それなら、とアデレインは食べやすそうなサンドイッチを選んだ。
「じゃあ、取ってくるから」
そう言ってヒューイ様が立ち上がり、ドアの向こう側へと消えた。
(……疲れたわ)
ふぅと息を吐いてから、ハッとする。
(え? わたし今、筆頭公爵家のご子息を顎で使ったことになるの!?)
アデレインは慌てた。だが、もう今更だ。
その証拠に、ヒューイ様がドアを開けて再び現れた。
その手には、サンドイッチとそれからクッキーが置かれたお皿が乗っている。
(……どうしましょう。いえ、もうここは諦めましょう。そうよ、彼はヒューイ様。ブランデルウッド公爵家のご子息様だけど、今は単なる外交儀礼官の一人。しかも去年配属されたばかりで……新人のほう。わたしの方が新人だけど。つまり、仕事仲間よ)
「どうしたの? オルダートン嬢」
(ほら、彼の距離感はまさにそれ)
アデレインは無理やり納得させた。
そして、彼がテーブルの上に置いたサンドイッチへと手を伸ばし、一口食べる。
(……さすが、王宮の料理人が作るサンドイッチね)
とても美味しい。
夜会に参加していた時は、なかなか軽食に手を出せずにいた。
なんとなくはしたないような気がしてしまうのだ。
(これを食べないなんて、絶対にもったいないわ)
ハムときゅうりのサンドイッチは、きゅうりのシャキシャキとした食感が良く、ハムがとにかく美味しい。
玉子のサンドイッチは、玉子がたっぷりで、それでいて重すぎない。たぶん酸味とのバランスが良いのだろう。
いくらでも食べれてしまいそうだ。
「あんまり食べ過ぎると、動けなくなるから気をつけて」
向かいから声がかかって、アデレインは夢中で食べていたことに気づく。
「……気をつけます」
「残った分は、後で持ち帰れるから」
「……それは」
さすがにはしたないのでは、とアデレインは喉元まで出かかった。
だが、ヒューイ様は得意げに、
「僕は去年全種類持ち帰ったんだ。全部、美味しかったよ」
そう言った。
おそらく彼は何も気にしていない。
(……変な人)
ブランデルウッド公爵家の三男様は、容姿と仕草はとても貴族らしいのに、中身はちょっと残念らしい。
でも、ほんの少しだけ親しみを覚えた。




