第37話 三年目④ 毛づくろい
七月の『星の夜』まで、あと二週間。
新人四人が辞めても、予定は待ってくれない。
忙しさは加速していく一方だった。
週末、アデレインの膝の上には、いつものようにヒューイ様が寝ている。
パーシーは今日も元気に、セオドア様のところに遊びに行っている。
『たまにはうちに呼んでもいいのよ?』と伝えてはいるのだが、キューピッドを名乗るパーシーは首を縦に振らないし、エヴァーシャム伯爵夫人からも『婚約者同士の逢瀬の邪魔はしないようにしましょうね』とか余計なことを言われているらしい。
パーシーを迎えに行った際に、『いつでもいらしてください』と直接的に反撃してみたのだが、『そうですわね。結婚式の日取りが決まったらお祝いに伺いますわ』と返された。……姉の影響を感じた。
「……ん」
ヒューイ様は膝の上で、ごろりと寝返りを打った。
普段はアデレインに気を遣ってくれているのだが、本当に眠ってしまっているらしい。彼も外交儀礼官としての仕事が忙しいのだろう。
彼の綺麗な金髪を梳く。
やわらかな感触が心地いい。
サロンの窓から差し込む光が、彼の金髪をきらめかせる。
腰に回る手に力が入った。
起きていたら跳ねのけるのだが、無意識の手までは弾かない。
甘えるように膝の上ですりすりと頭が動く。
(……ふふ、可愛い)
アデレインは、いい子いい子とその頭を撫でる。
カサンドラ様たちからアデレインを守ってくれた忠実で誠実な、アデレインの犬。
威嚇も完璧だった。
――婚約者にかけられる迷惑など、ご褒美でしかないよね?
あの時、一応ご褒美をあげたつもりだけれど。
毎日頑張ってクタクタになっている可愛い犬に、もっとご褒美をあげてもいいのでは?
アデレインは、ふわふわの髪を撫でながら。
そっと顔を近づける。
唇に触れた髪はやわらかい。
(なんだか、癖になってしまいそう)
どちらのご褒美か分からない状況になった。
* * *
忙しさもようやく一段落。
『月の夜』も無事に終わり、暦は九月。
「……君の手が優しくなった気がする」
ヒューイ様がアデレインの膝の上で大人しく撫でられている。
「毛づくろいが上手になったのかしら?」
「……」
ふくれっ面になったヒューイ様の、その頬に、アデレインは手を添えた。
「ねぇ、それはちょっとズルくない?」
「だって膨れたんですもの」
ヒューイ様の体が動いて、横向きから仰向きになる。
「……君も膨れて」
「え?」
「ほら、早く」
急かすローズピンクの瞳に、アデレインは笑って膨らませてみせた。
「え? なにそれ?」
「だって膨れろって仰いましたよね?」
「……僕が触れちゃうことになるけど」
いじけたような声が可愛い。
「まぁ、それは大変。でも、もう膨れてませんよね?」
「……失敗した」
残念がるヒューイ様に、アデレインはもう一度だけ頬を膨らませた。
「……」
ヒューイ様の手が宙を彷徨う。
触れていいのか悩んでいるのだろう。
おかしくなってアデレインは笑ってしまう。
「君ね」
不満そうな声。
中途半端に上がったままのヒューイ様の手を取る。
そして自分の手と繋いだ。
「……どういうこと?」
「手を繋ぐぐらいならいいですよ」
「なにそれ?」
喜んでくれるかと思ったのに、なぜ眉根を寄せるのか?
アデレインの方が不満に思ってしまう。
「飼い犬が離れたら困りますもの」
「……僕は君から離れるつもりはないけど?」
綺麗な目がアデレインをまっすぐに見つめる。
「そうでしたわ」
アデレインが手を離そうとすると、ヒューイ様が握り返してきた。
「飼い主が離れないように」
ぎゅうぎゅう力を入れられて、ちょっとだけ痛い。
それでも、アデレインは繋がった手をそのままにした。
(……離れないように)
そっと力を込めた。




