第38話 三年目⑤ 刺繍
秋も深まり、十月。
今年もパーシーが、ヒューイ様とアデレインの『祈りの実』を用意してくれた。
そしてアデレインは、『祈り袋』に刺繍をする。
パーシーは絵を描くのが好きなので、絵筆の刺繍を。
姉には今年も薔薇。毎年同じでもいいのか?と確認したところ、落ち着くからそれがいいと言われた。考えなくていいのはとても助かる。
レジナルドの分も刺繍するつもりだったのだが、『必要ありません』と言われた。
アデレインとしてはその意味を知りたいのだが、あの子は秘密主義だ。口を割るとは思えない。それに、姉に知られて暴走されてはたまらない。アデレインの心の中に仕舞いこむことにした。
父には、母の好きだった百合の花の刺繍。
アデレインは知っている。
毎年燃やさなくてはいけない『祈り袋』を、父は燃やせずにいる。
母が最期に贈った、父の『祈り袋』は、今も大事にどこかにある。
「あら? 来年の分を用意してくれてるのね」
姉がアデレインの部屋に突撃してきた。
コンスタンスも大きくなり、一人でパーシーの元へ走るようになった。
「ええ。お姉様は、お義兄様とコンスタンスの分をもう刺しましたの?」
「……大変よ。コンスタンスの方は申し訳ないけど、今年もイニシャルだけにするわ」
「あら? お義兄様なら、お姉様がまっすぐに刺した一刺しでも充分に満足されそうですけど?」
「……だから、嫌なのよ」
姉は手先が非常に不器用だ。
昔は刺繍なんて絶対にしないと言っていたのに、お義兄様の『祈り袋』だけは毎年必ず自分で刺す。アデレインはそんな姉が可愛いと思う。
「……貴女、それ」
向かいに座った姉が、アデレインの手元を見て呟く。
「え?」
「ヒューイ様の祈り袋よね?」
「ええ、そうですけど?」
「来年用……よね?」
「ええ」
姉が何を不思議そうに思っているのか、アデレインには分からない。
「まぁ、そうよね。貴女たちの婚約期間は三年」
「あ……」
「それが終わったら正式に結婚の準備ですものね」
その通りだ。
ヒューイ様の気持ちは、三年を経っても変わる様子が見られない。
賭けはヒューイ様の勝ちだ。
でも、もうそういうことじゃない。
アデレインの中に、ヒューイ様はいる。
当たり前のようにいる。
切り離すことなんてできない。
来年とか、再来年とか、区切れるものではない。
「婚約期間も終わるんだし、家紋とイニシャル以外にも、なにか刺してあげたら?」
ヒューイ様の祈り袋は、濃紺。
アデレインの瞳の灰青色を選ぼうとしていたヒューイ様を止めて、パーシーの髪色で落ち着かせたのだ。
濃紺にヒューイ様の金。金の糸で家紋とイニシャル。
家紋はちょっとだけ面倒だけど、イニシャルは難なく刺せる。
「犬とかいいんじゃない?」
姉の顔は、名案が浮かんだと言わんばかりに得意げだ。
「……犬」
「ヒューイ様にぴったりじゃない」
アデレインをずっと守って、甘えて、そして甘やかしてくれる。
アデレインだけの犬。
「良かったわ」
深い青の瞳がやさしく細められる。
「刺すも刺さないも、言ってませんけど」
「ふふ」
「……」
「あまり待たせない方がいいわよ」
姉は椅子から立ち上がる。
「……『待て』ができない方はいらないと、以前に伝えてあります」
「随分長い『待て』よ」
三年。決して短くはない。アデレインとて分かっている。
「……嫌われますか?」
口にしてから、胸が苦しくなった。
「貴女がヒューイ様だったら、どう思う?」
「……」
「ああ見えて、不安になりながらも、ずっと貴女を待っているのだと思うわ」
「考えたことがありませんでした」
「そうでしょうね。貴女はそれくらい、ヒューイ様に甘えているのよ」
「……はい」
手元の刺繍に視線を落とす。
刺しかけのイニシャルに触れた。
「まぁ、貴女の好きにしたらいいわ」
「え?」
驚いて顔を上げると、姉が笑っていた。
「わたしはヒューイ様なんてどうでもいいのよ」
暴論である。
「貴女さえ幸せなら」
でも、それが姉だ。
「まだまだ『待て』をさせたいなら、待たせたらいいわ」
ふふっと楽しげに笑う。
「きっと永遠に待ってるわよ。貴女の犬は」
そう、なのだ。
アデレインの犬はとても魅力的なのに。
可愛くて美しくて綺麗で、いじけて、甘えて、甘えさせてくれる優秀な犬で。
でも、馬鹿みたいにアデレインだけを見るのだ。
「ほんと、可哀想な犬です」
もっと素敵な飼い主がいるだろうに。
どうしてアデレインなんかに縛られてしまったのだろうか。
「あら? 貴女はとても素敵な飼い主よ」
姉はそう言うと、部屋から出て行った。




