第32話 二年目⑥ 飼い主と犬
ヒューイは、悩み続けることができなかった。
パーシーがテオと仲良くなってから二か月。
サマーホワイトの木が蕾から白い花を咲かせる、夏。
今日もパーシーが遊びに行こうとするその手を掴んだ。
「え? ヒューイ様」
「パーシー、今日は遊びに行くのは無しで」
「無しって……僕……」
「ヒューイ様!!」
アデレインが声を上げた。
でも、これ以上彼女が寂しそうにしているのを見ていたくなかった。
「パーシー、君は言ったよね」
「やめてください、ヒューイ様」
アデレインは強引にヒューイの手を掴んで、パーシーを離させた。そして送り出す。
「パーシー、行きなさい」
「え? あの?」
「ほら、早く!!」
パーシーは困ったような顔をしながらも、ヒューイたちに背を向けた。
パーシーの背中が見えなくなってから、アデレインがゆっくりと振り返った。
「何をする気でしたの?」
「……君が」
「余計なことはしないでください!!」
叫ぶアデレインに、ヒューイの方が耐え切れなくなった。
彼女の細い腕を掴んで、庭園の東屋へと向かう。
「は、離してください」
彼女が嫌がっているので、侍女たちは困惑しているし、他の使用人たちもヒューイを止めるべきか悩んでいるのが分かる。
ただ、ヒューイはブランデルウッド公爵家の人間だ。彼らは下手に動けない。
好都合ではあったが、アデレインのために誰でもいいから止めてほしかったとも思う。
東屋に辿り着き、ヒューイはベンチに座ると、彼女の体を抱き上げ、そして膝の上に置いた。
「な、なにを……!!」
「僕はこの間、君に冷たくされて落ち込んで、家に帰って、こうやってクラリッサを膝の上に乗せたんだ」
「……何を仰ってますの?」
「で、僕はあれからずっと落ち込んでる」
「……」
「寂しくて堪らない、つらくて悲しくて、限界なんだ」
クラリッサにしたように、彼女を膝に乗せたまま、その肩に額を置く。
彼女はクラリッサとは違うから、膝の上でバタバタと暴れた。
それでもぎゅっと抱き込んで、決して離さなかった。
「寂しい、悲しい、辛い、なんとかしてほしい」
「あのですね」
「クラリッサは頭を撫でてくれた」
「でしたら、クラリッサ様にしてもらえばいいではないですか!!」
彼女が声を張り上げた。
耳がキーンとした。
「クラリッサにしてもらったよ? それでも寂しさも悲しさも辛さも、なにも埋まらない、変わらない」
「……」
「君じゃないとだめだから」
「だからって!!」
「僕と君は婚約者だから」
「わたくしは良いとは言ってません」
「知ってる」
「それでしたら」
「でも、僕は限界だから」
「勝手です。とにかく離してください」
「嫌だ」
* * *
耳元でヒューイ様の声がする。
離してほしいと暴れても、全然離してくれない。
無駄に力が強くて嫌になる。
「あなたは子供なんですか!?」
「そうだよ。僕は子供だ。さみしいと耐えられない」
「……」
どうしてここまでさらけ出せるのだろう。
アデレインにはできない。
十六歳になった妹に甘えて、膝に乗せて、頭を撫でてもらったとか、二十一歳になって言うことだろうか? 同じようにしてほしいとアデレインを強引に膝に乗せるなんてどうかしている。
「ねぇ、お願い。撫でて」
「嫌です」
「僕をパーシーだと思って」
思わず喉が鳴った。
この男は時々アデレインを突く。
アデレインの弱い部分を的確に突いてくる。
「パーシーはこんなに大きくありません。それにもっといい子です」
「じゃあ、十年後のパーシーだと思って」
その言葉に、十年後のパーシーを想像した。
元夫のようになるのだろうか? 実子ではないのだが、血は繋がっている。
「今、何を考えたの?」
妙に鋭い。元夫のことがそんなに気に入らないのだろうか?
「……十年後のパーシーを」
「きっと僕に似て、男前に育つ」
「……まず、あなたに似ることはないかと」
「じゃあ、男前に育つ」
「そうですわね。あなたは、これっぽっちも男前ではありませんもの」
甘えてばかりのヒューイ様を、アデレインは『男前』判定で否を突き付けた。
「……それなら可愛く育つ」
「パーシーは可愛いから納得ですけど、ヒューイ様は違います」
「……なんでもいいから、撫でて、慰めて」
「ご自身で言ってて、情けないと思いませんの?」
アデレインがそう言うと、背中のぬくもりが動いて、肩の上に重みを感じた。
首筋に髪が触れてくすぐったい。
「……そんなの、分かってるよ」
泣きそうな声に、アデレインの方が泣きたくなる。
なんでこんな情けない男の言葉に、心臓が痛くなるのか。
お腹の前に置かれた手に、自分の手を重ねたくなってしまうのか。
触れて、やさしく、なぐさめてあげたいと思ってしまうのか。
「これは、母性です」
自分にはパーシーという子供がいて。
血は繋がっていないけれど、ずっと育てていて。
アデレインの中に母性が育っていた。きっとそうだ。
そっと髪に触れると、それは柔らかくて。
アデレインのお腹を押さえている手は大きくて。
パーシーとはまるで違うけれど、大きな子供だから、アデレインの母性が刺激される。それだけだ。
髪に触れていた手を、ゆっくりと動かす。
「……あたたかくて、気持ちいい。もっと撫でて」
その声を聞きながら、アデレインは思う。
(とても触り心地がいい……)
この毛並みの良さ。
これは子供ではなくて……
「犬かもしれません」
「……何の話?」
大型犬の毛並みだと思えば、アデレインの手は遠慮なく、その髪をぐしゃぐしゃにする。
お腹に置かれた手も、人の手と思わず、犬の手だと思えば、いくらでも触れることができる。
「ヒューイ様は、犬ですわ」
「……ちょっとよく分からないんだけど?」
「犬ですから、特別にこのままでいてあげます」
「……なんか納得できないけど、まぁこのままでいてくれるなら、とりあえず犬ってことにしとく」
「ええ」
そうしてアデレインは、ヒューイ様という大型犬の膝の上で、ふさふさの毛を撫でながら、用意されていたケーキを食べ始めた。




