第28話 二年目② 春
季節は過ぎ、春が訪れた。
フェアリーブロッサムの花びらが、きらきらと光を受けながら舞う。
公爵邸でのお茶会が無事に終わってから、一週間後。
「はい、これ」
オルダートン侯爵邸の玄関ホールで渡されたのは、王都で名高いサロンのお菓子の箱。
「え?」
「母上がお茶会のお礼にって」
「……でも、わたくしあまりお手伝いができなくて」
「そんなことないよ。僕との約束も蹴って、準備の段階から色々手を貸してくれただろう?」
「口を挟んだりして、余計なことではなかったのですか?」
「まさか! とても参考になったって。義姉上も同じことを言ってたよ」
「それなら……良かったです」
アデレインは仕事があり、平日はどうしても、お茶会の下準備に参加できない。それでも休日にはブランデルウッド公爵家に何度かお邪魔し、準備の手助けになればと自身の提案や、同僚から聞いた情報を伝えたりしていたのだ。
もちろんお茶会の当日は、主催者側として振舞った。
「母上も義姉上も、君が僕のお嫁さんになる日を心待ちにしているから」
「ご家族になれなくても、呼んでいただければいつでもお伺いしますとお伝えください」
アデレインがにっこりと微笑み返すと、ヒューイ様は頬を膨らませた。
「……アデレインの頑固」
「名前呼びは許していません」
「呼んでないし。心の声だし」
「……今後は心の声でも名前で呼ばれませんように。心の中で呼んでしまうから、ついつい声に出してしまうのです」
「嫌だ。せめて心の中だけでもアデレインって呼ぶ。で、僕の心の中のアデレインは応えてくれるんだ」
「……では、妄想のアデレインとご結婚してください。アデレインと呼べないわたくしとは破談ということで」
「ほんと、アデレインは意地悪だ」
(だから、許していないんですけど?)
こちらの訴えは完全に無視しておきながら、『意地悪』と言われるのはいかがなものなのか。
アデレインは笑顔を貼りつけたまま、いつものように庭へと向かう。
先に庭に行っていたパーシーが、アデレインたちに気づいて走って来る。
「ヒューイ様!」
金色の瞳が嬉しそうに輝く。
毎週のように遊びに来ているのに、どうしてそこまで喜べるのか。
パーシーはアデレインの横を通り過ぎ、ヒューイ様に突撃する。
「パーシー! 今日も一緒に遊ぼう」
「はい」
ヒューイ様に抱き留められ、ぎゅっと抱きつくパーシーは可愛いことは可愛い。
「パーシー。もう十一歳になるのですから、少し落ち着きましょうね?」
「あ……ご、ごめんなさい。お義母様」
「大丈夫だよ。パーシー。僕には今まで通りで」
「ヒューイ様?」
「だって僕とパーシーは家族だもんね?」
「……違いますけど?」
アデレインは、パーシーをヒューイ様から離す。
パーシーは空気を読み、アデレインとヒューイ様から距離を置いた。
「ぼ、僕、先に東屋に行ってる!」
パーシーはアデレインに背中を向け、駆けていく。
(いつの間に、逃げることまで覚えたの?)
控えめで大人しくて、周りに流されそうな子だったのに。
にこにこと笑顔を振りまき、空気を読んで、逃げるようになってしまった。
(以前から空気は読めましたけど、あんな元気に逃げたことなんて……)
「あ、逃げられた」
「……ヒューイ様」
「オルダートン嬢、すぐに怒るのはよくないよ?」
「まぁ、原因はわたくしだと?」
「み、眉間に皺が寄ってるよ。美容に良くないんだよね?」
パーシーと違って、空気を読むのが下手な男が目の前にいる。
アデレインは口の端に力を入れて、口角を上げた。
「公爵夫人に同じことを言って、怒られませんでした?」
「……えっと」
「淑女に『皺』の話は厳禁だと言われませんでしたか?」
「い、言われたような。……あ、そうだ」
視線を泳がせていたヒューイ様は、話題を切り替えた。
「母上が、パーシーの『蕾のお茶会』について気にしてたけど、どうする?」
それは、アデレインがちょうど頭を悩ませていた問題だった。
「……公爵夫人が」
「うん。もう十一歳だし、王都に来て二年になるし、そろそろどこかに顔を出したいんじゃないかなぁ? って気にしてたよ」
アデレインの足がつい止まる。
このまま東屋まで行ってしまえば、逃げたパーシーがいる。
「オルダートン嬢?」
立ち止まったアデレインに気づいて、ヒューイ様も足を止めた。
(……いいえ。別に公爵夫人を頼らなくても、お姉様に相談すれば、パーシーにふさわしい子供同士の『蕾のお茶会』の情報は得られるかもしれない。そうよ。公爵家の力を借りる必要は……ないわ)
「……気にしてただけだよ」
「え?」
声に顔を上げれば、なぜか眉を下げて困ったように笑っているヒューイ様がいた。
「今のは、単なる話題なんだから」
ヒューイ様の手がアデレインへと伸びる。
アデレインは何故か動けず、そのまま固まっていた。
「君はいつだって好きにしていいんだ。『蕾のお茶会』だって、公爵家の紹介が欲しいならそうすればいいし、嫌だなって思ったら、別にふーんって話を聞くだけでいいんだ」
アデレインの髪へと伸びた手は、そっと触れたかと思うと離れていった。
「はい、花びら」
彼の手には、フェアリーブロッサムの花びら。
ヒューイ様の瞳の色に近い、その淡いピンク色の花びらは、彼の掌の上から風に流されて飛んでいく。
(……わたし、今ヒューイ様を傷つけたのかしら?)
まっすぐに向けられる好意を、アデレインはいつだって断ってきたはずだ。
それと、今の何が違うのか。
「オルダートン嬢は、考えすぎだよ」
「……」
「真面目だからきっと考えちゃうんだよね」
「……ヒューイ様」
「君は、僕に対してだけは何も考えなくていいんだよ」
ヒューイ様の手が、もう一度アデレインの髪へと触れた。
今度はひと房掴んで、指先で感触を楽しむかのように。
「パーシーのこととか、仕事のこととか、考えなくちゃいけないことはたくさんあると思う」
彼の目はアデレインではなく、アデレインの髪に向けられている。
「でもさぁ、僕にはそういうのはいらないんだよ」
「……ヒューイ様?」
ふっと彼が笑った。
ローズピンクの瞳がやわらかく細められる。
「好きか嫌いか、嫌か、嫌じゃないか。それすらよく分からなかったら、よく分からない、でいいんだよ」
「……わたし、ずっとそう言ってます」
「ん。そうだね」
「それに……先ほどのはパーシーの話では?」
「あ~……そっか、確かにパーシーの話だ」
「それなら考えるのは当然ですよね?」
ヒューイ様がアデレインの髪から手を離した。
そして、また笑った。
「そうだった。君が考えるのは当然だ」
その言葉に、息苦しさから解放される。
「これは僕が間違えたのか。ごめんね」
解放されたはずなのに。
優しすぎる声と眼差しに、アデレインは泣きたくなった。




