第26話 一年目⑥ 祈りの実
足を気遣ったヒューイ様のおかげで『月の夜』は踊らずに済んだ。
そうして季節は過ぎ、十月。
「あら? それはヒューイ様の祈り袋かしら?」
アデレインがチクチクと小さな袋に刺繍を刺していると、遊びに来た姉が声を弾ませた。
「……お姉様の分は先に用意してあります」
「ありがとう。ヒューイ様のは大事に一番最後というわけね」
「いえ、刺したくない気持ちの現われです」
「分からないわ。社交界で貴女がどれほど羨ましがられているか知っていて?」
「では、そのご令嬢方にわたくしと交代していただくようお伝えいただけます?」
「みんな喜んで交代するわよ……貴女は、ほんと頑固ね」
呆れたように肩をすくめた姉が、アデレインの手元を覗き込んでくる。
「家紋とイニシャルのみ」
「ええ」
「……わたしのには薔薇の花まで刺してくれているのに?」
「棘のあるお姉様にぴったりだと思いまして」
「まぁいいわ。刺さないよりはマシですものね」
「……パーシーが余計なことを言うんですもの」
アデレインはあの日のパーシーを今も恨んでいる。
* * *
いつものようにヒューイ様はオルダートン侯爵邸を訪れていた。
季節は秋になり、庭のサマーホワイトの木は実をつけ、そして落とす。
パーシーは去年と同じく、来年の『祈りの実』を拾って、アデレインに渡してくれたのだが。
「こっちはお義母様、そしてこれがヒューイ様の分」
なんとヒューイ様の分も選んでいたのだ。
「あのね、琥珀色がやさしく輝いたのをお義母様に。ヒューイ様のはちょっと強く輝いたのにしたの」
パーシーはとても得意げだった。
その姿が可愛くてアデレインはパーシーを胸に抱き締める。
だが、ヒューイ様は違った。
「……アデレインから貰いたかった」
余計な一言だ。
ついでに言えば、アデレインと名を呼ぶことを許した覚えはない。
「え? あ……ヒューイ様、ごめんなさい」
肩を落とすパーシーをアデレインはさらにぎゅっと抱きしめ、ヒューイ様を睨んだ。
「パーシーが心を込めて選んだものですけど?」
「う……分かってるんだけど。でも、君からもらう気満々で」
「誰があなたに選んで差し上げますと言いましたか?」
「あなた……」
「そこで止まらないでください! ヒューイ様にあげるなって言ってませんし、勝手に夢見て、パーシーを傷つけないでください」
「お、お義母様、そんなに強く言ったら、ヒューイ様泣いちゃうよ」
なぜパーシーはヒューイ様を守ろうとするのか。
アデレインはちょっとイラっとした。
「いい大人がこれくらいで泣いてどうするのです」
「そ……そうだけど」
「パーシーは誰の味方ですの!?」
「それはパーシーが可哀想じゃない?」
今度はヒューイ様がパーシーを庇う。アデレインが悪者になった。もう全然納得がいかない。
「……知りません!!」
アデレインは二人に背を向けて、部屋に戻ろうとしたが、はたと思い出す。
今日はシェフのジョンが『栗のクリームケーキ』と『林檎とクルミのクッキー』を作ってくれていて、それがすでに庭の東屋に用意されている。
(……ケーキに罪はありませんわ)
アデレインは踵を返した。
そして二人を無視して、東屋へと向かう。
「あれ?」
「あ! 今日ね、栗のケーキと林檎のクッキーなんだ。お義母様が大好きなの」
「そうなんだ。美味しそう。……でも、今日もアデレインの手作りじゃないんだよね?」
「ダメだよ。ヒューイ様。お義母様のことはオルダートン嬢って呼ばないと」
「あ、そうだった」
「それから、今日もお義母様の手作りじゃないよ」
「はぁ……」
「でも、美味しいからね」
「あ~、パーシー可愛い。癒される」
後ろで腹がたつほどに可愛い会話が繰り広げられていて、アデレインの苛立ちは募る一方であった。
アデレインから遅れること、数分。
二人が仲良く東屋へと来る。
あらかじめ用意されていたパーシーの席は、当然アデレインの隣である。
アデレインは、二人を待つこともせず、無言で食べ進めていた。
パーシーとヒューイ様はそんなアデレインを気にした様子もなく、楽しげに会話をしている。
「あ、ヒューイ様も『祈り袋』に刺繍をしてもらったらどうですか?」
パーシーの提案にヒューイ様の顔が輝いた。
まっすぐに向けられるローズピンクの瞳。
圧が強い。
「……嫌です」
「お義母様、婚約者なんだから、それぐらいしてあげても……」
「パーシー!?」
誰がパーシーにそんな言葉を覚えさせたのか?
思わずアデレインはヒューイを睨みつけるも、ぶんぶんと首を左右に振られた。
「コルネリア様が、婚約者はとても特別なもので、相手を大事にすべきです、って教えてくださいました」
「……そ、それはそうですね」
反論の余地がどこにもない。
アデレインは嘆いた。
「……オルダートン嬢」
ヒューイ様は持っていたフォークをお皿の上に戻し、アデレインからの返答を待っている。
『待て』の姿勢だ。
「お義母様、僕やコルネリア様の分も刺すんだから、ついでに刺したらいいと思う」
「……ついで」
「うん。ついで。だってお義母様はみんなの分を刺すよね。僕とコルネリア様と、あ、レジナルド様と、あとお義祖父様?」
「え?……そんなに? それならいいよ。君が大変そうだ。あ! 僕が君の祈り袋に刺繍しようか?」
「はい!?」
「え? ヒューイ様、刺繍できるの?」
「やったことないけど、母上かクラリッサに教わるよ」
アデレインは眩暈がした。
筆頭公爵家のご子息が、刺繍。
日差しの入るサロンで刺繍。それは、とても絵にはなると思うが、やめてほしい。
まして公爵夫人に事の顛末を話されるかと思うと、ゾッとする。
(公爵夫人の性格からして、とても楽しまれそうではあるけれど……)
それでも、怖いものは怖い。
しかもヒューイ様が針で指に怪我でもしたら目も当てられない。
「わたくしがちゃんとヒューイ様の分も刺繍しますので、ヒューイ様は大人しくしていてください」
「え?……でも、どちらにしても君の分の刺繍は? 誰が刺すの?」
「わたくしが自分で」
「それなら、やっぱり僕が……」
「とにかく!! 絶対にやめてください」
「……分かったよ」
アデレインが刺繍を刺すことになったはずなのに、なぜ残念そうにするのか。
「良かったね。ヒューイ様」
パーシーの方がとても嬉しそうであった。
* * *
「ほんと腹が立つわ」
刺繍をしながら思わず声に出したアデレインを、姉がとても微笑ましそうに見ている。
「……お姉様、その気持ち悪い目はなんですの?」
「貴女、段々口が悪くなっているわ」
「……」
「ふふ、ヒューイ様って凄いわね」
「どこがです?」
「貴女をそこまで苛つかせるのって、ヒューイ様だけでしょう?」
「……それのどこが凄くて、なんでお姉様は嬉しそうなんですか? 全然分かりません」
「分からなくていいわ。でも、嬉しいわ」
「……はぁ」
アデレインはその後も姉に見守られながら、淡々とヒューイ様のイニシャルを刺していた。
その一週間後。
できあがった『祈り袋』をヒューイ様に渡した。
そして、アデレインの手には、自身が用意していたはずの青い『祈り袋』が乗る。
そこに銀の糸で、アデレインのイニシャルだけが刺されていた。
「……これは」
「僕にはイニシャルが精一杯で」
「……」
「パーシーにお願いして、君の祈り袋を勝手に借りたんだ」
「勝手すぎませんか? 泥棒ですよ? パーシーに泥棒の片棒を担がせないでください」
「……うん。ごめん」
「下手ですね」
「……やっぱり?」
アデレインはヒューイ様が刺したところを指で触れる。
でこぼことしているし、文字がちょっとよれている。
「でも、初めてなら上出来な方だと思います」
「……アデレインのそういうとこ」
「勝手に名前を呼ばないでください」
「オルダートン嬢のそういうところ、好きだよ」
アデレインの胸はとても苦しくなった。




