第20話 契約
「……嬢……トン嬢……オルダートン嬢!」
ハッとした。
慌てて顔を上げれば、目の前にヒューイ様。
一日の仕事を終え、王宮の馬車寄せで迎えの馬車を待っているところだった。
ヒューイ様の吐く息が、白く染まる。
冬は夜の訪れが早い。太陽は沈み、月が顔を出す。
照明の灯りがヒューイ様の金髪をやさしく照らしていた。
「……ヒューイ様?」
何故、ここにいるのだろうか?
「叔母上……あ、王妃様から君の様子がおかしいと聞いて」
(……最悪だわ)
情けなくて涙が出そうだった。
仕事に私情を持ち込むなんてあってはならない。しかも王妃様に気を遣わせるなんて。
「……少し、疲れているだけです」
「僕のせい?」
変なところで勘が鋭い人だ。
それに、そう思うなら話しかけないでほしい。今のアデレインは刃だ。声を掛けられれば、不用意に切りつけてしまう。
「違います」
「……君は、意外と嘘が下手だよね?」
本当に最悪な人。
どうしてアデレインに目を付けたのだろう。どうしてもっと他へと目を向けないのか。アデレインよりも素敵な女性は山ほどいる。どうして。
「嘘が上手な方と結婚されてはいかがですか?」
「……素直な君が好きだけど?」
「わたくしは、あなたが嫌いです」
ヒューイ様の瞳が大きく見開かれた。
彼のローズピンクの瞳は少しだけ赤みが強いのだと、アデレインは知っている。
「困ったね」
「ええ。そうですね」
「どうしよう」
「……なにがですか?」
「嫌いだと言われたのに、好きなんだけど。もっと好きになったんだけど」
「意味が分かりません」
泣きたい。本当に泣きたい。
これ以上、アデレインにどうしろというのだ。
嫌いだと言っても好きだという。どうしたら嫌ってくれるのか。
「どうしたら、好きになってくれる?」
「永遠にありえません」
「……なんだろう。永遠って言葉にときめくな」
「……どうかしているんじゃありませんか?」
視界がぼんやりとしてきた。
ヒューイ様の顔が歪む。あの綺麗な顔が滲んで。見えなくなってくる。
「困ったな」
「そうですね」
ヒューイ様の胸が迫ってきた。
逃げなくてはいけないのに、アデレインは動けない。動きたくない。ひどく疲れていた。
「どうしようか」
「……ですから、嫌いになってください」
「それは無理だから」
先ほどまで、冬の空気がアデレインを包んでいたはずなのに、今は感じない。
あたたかい。
「とりあえず、婚約するのはどう?」
「どうして、そうなるんですか?」
「君が困っているみたいだから」
とんとんと背中に手が置かれている。その動きは、姉がコンスタンスをあやすときと同じだ。
「婚約の申し入れを、引っ込めて頂ければいいのですが?」
「それは嫌だ」
「……あなたは、わたしのことを本当に分かってます?」
アデレインの手は、彼の外套を掴んでいた。
「うーん。そう言われるとなぁ。たぶん分かってないと思う」
「ですよね?」
「だから、婚約をしたいんだけど?」
彼が吐く息は見えない。でも声は聞こえる。
「婚約をして、わたしのことが分かって、それで?」
「結婚をするんだと思う」
「……しない可能性をどうして考えないのです?」
ぬくもりが離れた。
アデレインの手は、まだ外套を掴んだままだった。
「……そうだね。結婚しない可能性もあるね」
ローズピンクの瞳がアデレインをまっすぐに見る。
嘘をつくのが下手だと言われたけれど、目の前の青年ほどではないと思う。
「そしたら、結婚しない可能性に賭けて、僕と婚約するのはどう?」
その軽やかな提案に、アデレインは屈した。
疲れていた。
「期間はどうします?」
「一年」
「……短いです」
「え? 僕、一年も待ちたくないんだけど?」
「それなら、なおさら一年はなしです」
「どういうこと?」
「『待て』もできない旦那様は要りません」
アデレインがそう言うと、なぜか彼は笑った。
「いいね。旦那様」
「……あなたのことではないんですけど?」
「僕が、いつかそう呼ばれるのかと思うと、すごく楽しみだ」
「……相変わらず、前向きですね」
「うん。で、どうするの? 二年?」
「……三年」
アデレインがそう返すと、彼は顔を歪めた。
「……長い」
彼がぼそりと呟く。
これなら、アデレインにも勝算があるかもしれない。
長い婚約期間に彼は待ちきれなくなって、他の人を選ぶ可能性が高くなる。
さすがに三年以上だと、今度は彼を縛りすぎる。
(……それも、ヒューイ様が本当に待てれば、の話ですけど)
「三年にしましょう」
「……分かった。三年だね」
ヒューイ様が合意した。
彼の指がアデレインの目尻に伸びてきたので、さすがにそれは避けた。
「婚約者なんだから、遠慮しないで」
「まだ正式な契約は結んでいません」
「ほんと、頑固だよね?」
「今すぐにでも、頑固でない方に乗り換えて頂いて構いません」
「……なんだろう。そういうところも好きかなぁ」
「……」
アデレインが何を言っても、ヒューイ様は嬉しそうである。
思わずため息が零れた。
そこへちょうど、迎えの馬車がやって来た。
アデレインはそちらへと向かう。
その背中に、ヒューイ様の声が掛かった。
「週末、行くから」
アデレインは振り返る。
ふと見れば、周囲にはちらほらと人の姿があった。
その中には先輩女官もいて、遠目からでもニマニマしているのが見えた。
(……最悪だわ)
自分で蒔いた種とはいえ、いまさら撤回などできない状況になっていた。
「ええ、お待ちしておりますわ」
アデレインはヒューイ様に向けて優雅に一礼をし、馬車へと踵を返した。
* * *
週末。
華やかな一行が、家紋付きの馬車でオルダートン侯爵邸を訪れた。
そして。
アデレインとヒューイ様の婚約が正式に結ばれた。
婚約期間は三年。
その長さを知った姉が『今からでも一年に変えてはいかが?』と契約書を書き換えようとしたときには冷や冷やした。
ヒューイ様は勿論止めないし、公爵家の方々も誰一人止めようとしない。
アデレインと父の二人で姉の暴走を止め、なんとか予定通り、婚約期間を三年とする契約を結んだ。
* * *
「さすがに寒いね」
「……ええ」
「大丈夫?」
正式な署名を交わし終えると、冬だというのに二人はオルダートン侯爵邸の庭に放り出された。
パーシーは契約の場にはアデレインの養子として同席していたのだが、庭には来てくれなかった。姉と一緒にアデレインに手を振るだけだった。
ふたり並んで、目的もなく庭を歩く。
「雪薔薇だね」
「……」
「君みたいだ」
「……棘があると仰りたいのですか?」
「え? 雪の中でも凛と咲くのが綺麗だって意味だけど? あ、でも確かに」
「……」
(どうして、そこで『確かに』になるのかしら?)
アデレインは少しだけ納得がいかなかった。
「楽しみだね」
ヒューイ様の目が、アデレインへと向けられた。
元夫はここで遠くを見ていたのに。
ローズピンクの瞳は、アデレインを映す。
「……そう、ですわね」
油断すれば、あっという間に賭けに負けてしまいそうだとアデレインは悟る。
「負けませんわ」
「……心の声、漏れてるよ?」
「……負けませんわ」
「なんで言い直したの?」
アデレイン自身にもよく分からなかった。
答えることはせず、ヒューイ様を置いて先に行こうとすると、手を差し出された。
その手を取るべきなのか、悩んでしまう。
「ふ……」
頭上から声が漏れた。
見上げれば可笑しそうに笑っている。
「あの?」
「ものっすごい悩んでるの。可愛い」
アデレインはイラっとした。
当然、ヒューイ様の手を無視して、さっさと庭の奥へと向かう。
「あ、待ってよ!!」
追いかけてくる声も聞こえないふりをした。
こうして、三年を期限とした二人の賭けが始まった。




