第19話 二か月
婚約を申し込まれてから、二か月。
十二月になり、雪がちらつく中でも、ヒューイ様は宣言通り毎週きちんと現れた。
きらきらの笑顔で「まだ承諾してもらえないのかなぁ?」と訊いてくるので、「はい。無理です」と毎回返す。がっくりと肩を落とすけれど、本当に残念に思っているのかは疑わしい。肩を落とした後も、彼はニコニコと笑っているのだ。こたえているようには全然見えない。
「ヒューイ様、もういい?」
「ん~。本当はまだダメだけど」
「パーシー、いつでも入ってきていいですよ」
パーシーはヒューイ様が来ると、最初に挨拶をして、すぐに姿を消す。ヒューイ様に気を遣って、アデレインと二人きりにしているらしい。きっとこれも姉の入れ知恵だ。それでも待ちきれなくなって、応接間のドアの向こう側から声を掛けてくるのだ。
とても可愛い。
「ヒューイ様、見てください」
パーシーは完全にヒューイ様に懐いている。
アデレインの隣にではなくヒューイ様の隣に座り、借りていた本の話をもとに描いた絵を見せている。
「え? パーシー、本当に上手だね」
「えへへ」
ヒューイ様はパーシーの絵を素直に褒めてくださる。
「すごいね。この空の色と湖の色との違いとか、とても綺麗だ」
「空はうすーくして、湖は濃くして、緑とかもちょっと入れているんです」
「誰かに教わったの?」
「……お、お義父さまに」
「……」
ヒューイ様は大人げない。元夫の話題になると途端に無言になる。パーシーに気を遣わせないでほしい。
「あの方はとても絵が好きでして」
「……なんで君まで言うの? 今聞きたくない雰囲気を出したはずなんだけど?」
「そうでしたか。でも、わたくしの過去は変えられません」
いっそのこと、これでアデレインとの婚約を考え直してくれればと、敢えて強く言ってみたのだが。
「う……そうなんだけど。それはそうなんだけど!!」
子供がいる。ヒューイ様はパーシーよりも子供だとしか思えない。
「パーシーは僕とお義父さま、どっちが好き?」
(なんてことを聞くのよ!!)
キッと睨むもヒューイ様の目は、パーシーに向けられている。
「ぼ……僕は」
「うん」
とても期待を持っているようだが、パーシーが困っているのが見えないのだろうか?
「ヒューイ様が好きかなぁ……」
絶対に嘘である。だが、ヒューイ様は破顔した。
パーシーを抱きしめて、その頭をぐりぐりと撫でる。
「パーシー可愛い。大好き。オルダートン嬢と違って優しい」
「では、優しくないわたくしとの婚約はなし、ということで」
アデレインが即座にそう言うと、ヒューイ様は慌てた。
「ち、違う。それはダメ。僕は優しくないオルダートン嬢も好きだから」
(……なぜ、『優しくない』は訂正されないのかしら?)
アデレインは納得がいかない。
そんなアデレインの気持ちを汲んだのか、パーシーが言った。
「お義母さまは、とっても優しいよ?」
本当によくできた子である。
だが、ヒューイ様は違った。
「うーん。でも、僕の婚約に頷いてくれないから、優しいとは言えないかなぁ?」
「それでしたら、優しくなくて結構ですわ」
アデレインはにっこりと笑って見せた。
「オルダートン嬢」
ヒューイ様の顔が情けなく歪む。それを見たパーシーが、ヒューイ様の頭に手を伸ばして、いい子いい子と慰めている。
(……困ったわ)
アデレインはため息を零す。
二人きりになるよりは、とパーシーを途中から同席させるようにしたのだが、なんだか外堀を埋められている気がする。
しかも、ヒューイ様にもパーシーにもそのつもりがない。二人の相性が良すぎるのだ。
(わたくしがしっかりしなくては)
このまま流されるように婚約などするわけにはいかない。
可愛らしい二人を眺めながら、アデレインは決意を新たにした。
* * *
ところが、アデレインの決意はその日のうちに大きく揺さぶられた。
ヒューイ様を見送った、その日の夜。
アデレインは父の執務室に呼び出された。
父は執務椅子に座ったまま、アデレインにはソファを示す。
そして口を開いた。
「ブランデルウッド公爵子息の、どこが気に入らないんだ?」
とても卑怯な訊き方だと思った。
「……公爵子息様に不足な点などございません」
言いながらちょっと嘘だと感じた。大人げという点では不足でしかなかった。
「それなら」
「一体どうされたのです? 婚約の話はわたくしの好きにしていいと、お父様は仰いましたよね?」
ヒューイ様の婚約申し込みの話だけではなく、姉から持ち込まれる『身上書』を含めて、父はアデレインに決定権を委ねていた。今まで一度として口を挟むことさえなかった。
「……分かってる。分かってはいるんだが」
父が大きくため息を吐く。そして、立ち上がり、アデレインの向かいのソファへと歩いてくる。その数歩の間に、父の手は胃の辺りを何度も行き来した。
(……しまったわ!!)
アデレインは自身のことで精一杯で、父のことを気に掛けていなかった。
この二か月間、父がどんな思いでヒューイ様の来訪を耳にしていたのか。
「お、お父様……」
「すまない。もう……限界なんだ」
父の手は胃の辺りを彷徨い続ける。
「筆頭公爵家のご子息が、いくら家紋のついていない馬車で来てくださるとはいえ……胃が……胃が……」
ヒューイ様の訪問は父の胃を刺激し続けたらしい。父はアデレインや姉とは違って繊細な人なのだ。そう言えば、弟からも『……姉上、いえ、なんでもありません』と声を掛けられていた。同じく繊細な弟も胃を痛めていた可能性がある。最近、休日になると十二月だというのに外へと出掛けるのは、もしかして、遊びに出ているのではなくて、もしや……逃げ出していた? とようやくここにきて思い至る。
「お父様はわたくしの幸せを……」
考えてはくださらないのですか、と続けようとした言葉は、父のため息によって遮られる。
「……ヒューイ様と結婚して、幸せになれないと、本気で思っているのか?」
アデレインは二の句が継げない。
元夫に愛されなくても気にせず、それなりに幸せだと感じていたアデレインが、愛されて、しかもパーシーと共にいられて、それで幸せを感じないわけがない。
「……わたくしは」
喉が渇く。
本能が逃げたいと言っている。
何故、こんなにも逃げ出したいのか、自分でも分からなかった。
父の言う通り、アデレインは幸せになれる。そのはずなのに。
それでも、アデレインはこの婚約を受け入れたくはない。
父の目がジッとアデレインを見ている。
アデレインと同じ、灰青色の瞳。
「お前が何を恐れているのか知らないが」
(わたしは恐れているの? 何を?)
だが、父の言葉がまるで真実であるかのように、アデレインの心臓はバクバクと音を立てている。
「フェアモント伯爵よりは、よほどお前に良い相手だと私は思っている」
そんなの、比べるまでもない。
アデレインは何も返せない。何も言いたくない。
それでも口をついて出た言葉は、まるで刃物のようだった。
「お父様は、結局わたくしたちのことを道具としか思っていないのですね」
胃を押さえていた父の手が止まる。
静かで重い沈黙――
「そうだな」
父はそう言うと、アデレインに部屋を出るようにと手を振った。




