第2話 出会い
ヒューイ様を見送ったその足でパーシーの部屋へと行くと、アデレインの姉コルネリアが、三歳の娘コンスタンスを膝の上に乗せて、ソファでくつろいでいた。
その隣でパーシーがコンスタンスと遊んでいる。
きゃっきゃと楽しそうな声が、部屋に響いていた。
「あら、戻ってくるのが早いじゃないの? ヒューイ様とまだまだゆっくりしていても問題なかったのよ。パーシーなら私がちゃんと見てるわ」
「……お姉様」
グレイスコート侯爵夫人であるはずの姉は、アデレインが離縁し、養子のパーシーと共に王都のオルダートン侯爵邸に戻ってから、毎日のように顔を出すようになった。
「なあに、その顔。っていうか、いつになったらヒューイ様のお気持ちに応えるのかしら。毎週のように顔を出してくださってるっていうのに、ねぇ、パーシー」
姉はそう言って、パーシーを巻き込もうとする。まだ九歳のパーシーを困らせないでほしい。
「パーシー。これ、あなたが気にしてた本よ」
アデレインは姉を無視して、パーシーへと話しかける。
「あ! これ!!」
パーシーの金色の瞳が輝きを増す。
「ええ。ヒューイ様が貸してくださったわ」
「わーい!! 嬉しいなぁ。ヒューイ様は?」
「もうお帰りになったわ」
アデレインの返事に、パーシーが残念そうな顔をした。
それを見ていた姉がすかさず言う。
「大丈夫よ、パーシー。来週もヒューイ様は来てくださるわ」
「そうなの?」
嬉しそうな表情のパーシーに、姉は自信満々に頷いた。
「ええ、だから来週は、あなたも一緒にヒューイ様にお会いして、直接お礼を申し上げたらいいわ」
姉の言葉にパーシーがアデレインを見る。その瞳は期待に満ちていた。
アデレインは姉をひと睨みしてから、仕方なくパーシーに頷いた。
「そうね。貸して頂いたお礼をきちんとお伝えしなさい」
「はい!」
大事そうに本を胸に抱える様子に、心の中でさえ文句が言いづらい。
(……絶対に、お姉様の入れ知恵だわ)
コンスタンスを膝の上に乗せたまま、満足そうに笑っている姉を見て、アデレインは確信した。
* * *
姉はコンスタンスを専属の侍女に預け、自室へと戻るアデレインの後をついてきた。
「まだ粘るつもりなの?」
姉は呆れたようにアデレインに言う。
廊下で話すのも躊躇われ、アデレインは姉を自室へと招き入れた。
姉は当然とばかりに部屋の中へと入り、勧められるよりも早くソファへと座った。
「いい加減、頷いたらいいじゃない」
何度同じ話をすればいいのか。
アデレインは向かいのソファに座りながら、ため息を吐いた。
「変なところ頑固よね」
「頑固とかそういうことではないって言ってますよね?」
「そう? まぁ、どちらにしても頑固でしょう? 文句の付けようのない方から求婚されているのに」
姉の言う通り、ヒューイ様は申し分ないというか、アデレインにとって過分な相手である。
「お姉様、何度も言いますけど、文句をつけるのはわたくしではありません」
アデレインは十六歳で婚約し、学園卒業の十八歳で結婚した。
それから今年の春まで既婚者だったのだ。そして、パーシーという養子もいる。
「わたくしはいわゆる中古品ですわ」
「誰かしら? 貴女にそんなことを言ったのは」
「今はそういう話をしていません」
「まぁいいわ。……百歩譲って中古品だったとして、あちらは気にされていないのでしょう?」
「……中古品が三男とはいえ、筆頭公爵家のご子息に相応しいとお思いですの?」
アデレインは諭すように静かに話した。
だが、姉は全くと言っていいほどに納得していない。顔を見れば分かる。この話は幾度となく平行線をたどっているのだ。
姉がちらりと部屋に控えていた侍女へと視線をやり、紅茶の用意をするように促していた。
どうやら長居をするつもりらしい。今日こそアデレインを説得する気なのだろう。
(……何度言われても無駄ですのに)
姉の言葉を右から左へと聞き流しつつ、アデレインはこっそりとため息を吐く。
(そもそも、ヒューイ様にはもっと相応しい方がいらっしゃるはず)
離縁しているだけではなく、養子とはいえ子供もいるようなアデレインでは、ヒューイ様とは釣り合いがとれない。
公爵子息という身分を差し引いたとしても……
(そう……ヒューイ様は……)
アデレインは、記憶を遡る。
はじめて彼に会った、その時へと。
* * *
コンコンコンと王妃付き女官室のドアがノックされた。
いつもであればアデレイン以外にも人がいるのだが、ちょうどその時は誰もいなかった。
アデレインは配属されて、まだ二週間。
不安を覚えつつも、無視するわけにはいかないことぐらい分かる。
震える声で入室を許可した。
現れたのは、ブランデルウッド公爵家の三男ヒューイ様。
王宮で働くようになってから、遠目でそのお姿を見ることはあった。だが、この近さで見ることになろうとは。話には聞いていたが、圧倒される。
(……凄いわ。ものすごく華やか)
「あれ? 君は……?」
ただでさえ緊張しているのに、圧倒的なオーラを放つ公爵家のご子息の姿に喉がカラカラになる。なんとか唾を飲み込んで、かすれた声でアデレインは応えた。
「わたくしは二週間前に配属されました、アデレイン・オルダートンと申します」
「ああ、そういえば新人が配属されたって聞いたかも。そうなんだ。君のことなんだ」
笑顔まで浮かべられて、とてつもなく親しげに話されて、アデレインの頭は余計に混乱しそうになる。
(もっと……威圧的な方が楽なんですけど)
それならこちらの心臓も落ち着いて、二週間で叩き込まれた振る舞いができそうなものを、目の前の相手がとても優しげに接してくるから、かえって混乱がひどくなる。
「今は君しかいないの?」
「は、はい」
「二週間目でひとりなんだ」
「はい……」
「凄いね」
公爵子息様は先ほどよりも、さらに柔らかく微笑む。
「もう一人でも大丈夫って思われてるってことだろう?」
「そ……それは、短時間のことですし」
(確か十分程度で戻るって言ってたはず。あと少しすれば……って、今何分経ったのかしら。この方と十分以上も同じ空気を吸うのは、正直耐えられそうにないのですけど)
「そう? 僕はなかなか一人にしてもらえなかったんだよ?」
(それは……筆頭公爵家のご子息だからでは?)
どこまでも優しく甘やかな声だが、なんだかちょっとズレているような気もして、少しずつアデレインの気持ちが落ち着いてくる。
「それで、どのようなご用件なのでしょうか?」
ようやく本来言うべきことを口にできた。
「ああ、実は七月の『星の夜』のことで、王妃様にご相談があってね」
「……はい」
「こちらが、その書類なんだけど」
ドアの前に立っていた公爵子息様が、アデレインの机の前に来た。
アデレインは今更ながら椅子に座ったままであることに気づき、心の中だけで青ざめる。
(しまったわ!! いくらお仕事でいらっしゃってるとはいえ、相手は筆頭公爵家のご子息。あちらが立っていて、こちらが座ってるなんて)
遅ればせながら、椅子から立ち上がろうとしたアデレインを、公爵子息様は手で制した。
「そのままで。僕は仕事で来てるし、他の女官たちもいつも座ってるよ」
(そ……そうなのですか?)
公爵子息様がこの部屋まで来たのは、アデレインが知る限りは初めてで、それがアデレインを気遣った一言なのか、それとも事実なのか判断できない。こんなことなら、『麗しのヒューイ様が来てくださるのよ~』と先輩女官から聞かされた時に、公爵子息様への対応について確認しておくべきだった。今更ながら自分の落ち度を悟る。
「で、これが相談内容の書類」
机を挟んで紙の束がアデレインの前へと差し出された。極上の笑顔付きで。
(いくらなんでも、その顔でそこまで笑顔を振りまくのは如何なものかしら?)
一度結婚し離縁までしたアデレインは今二十二歳。それでも。
(確か……子息様はわたくしより三つ年下のはず)
十九歳の幼さが残るその笑顔に、アデレインの心臓とて、ときめく。
未婚の若い女性もいる女官室に気安く極上の笑顔で現れては、仕事の効率は落ちそうだし、心奪われてしまう人が出てしまうのではないだろうか?
(婚約者もいらっしゃらないのよね)
アデレインはついつい老婆心が疼く。
「あの……」
「ん?」
「もう少し」
「……なに?」
「笑わない方がいいのでは?」
アデレインの指摘に公爵子息の瞳が見開かれた。
とても綺麗なローズピンク。思わず吸い込まれそうになるも、自分の発言に遅ればせながら気づく。
(あ……わたしったら)
大失態を悟る。老婆心は仕事には不要だった。まして相手は格上のご子息様。
立場を考えたら意見など許されるはずもない。
叱責されるだろうと身を竦めているアデレインに、柔らかな声が下りた。
「そんなこと初めて言われた」
それはそれは、先ほどの比ではない、さっき極上だと思った、それ以上の微笑みが目の前にあった。
(で、ですから、笑わないで下さいとわたくしは申しております)
心臓をバクバクさせながら、アデレインは心の中だけで、もう一度訴えた。




