王都の華と、錆びた歯車
王都ルンデルは、遠目には宝石のように輝いていた。
白亜の城壁、尖塔がそびえる王城、そして街を覆う色とりどりの旗。
ヴェラム王国の心臓部であり、三大帝国の外交官たちが犇めく政治の中枢だ。
だが、馬車の窓からそれを眺める俺の目には、この街は「朽ちかけた砂上の楼閣」として映っていた。
「……酷いな」
俺は思わず呟いていた。
隣に座るカイルが、訝しげに眉をひそめる。
「何がだ、アルデン。王都の繁栄が妬ましいのか?」
「繁栄? 兄上、あれを見ろ」
俺は窓の外、城門へと続く街道を指差した。
そこには、王都へ向かう物資を積んだ荷馬車の列が延々と続いている。
だが、その荷馬車の大部分には「オルヴァーネ商業連合」の紋章が掲げられていた。
「王都の食料自給率は、俺の計算では四割を切っている。残りの六割は、西の商業連合からの輸入に依存している。
つまり、オルヴァーネが国境を封鎖すれば、この王都は二週間で飢え死にする。
これが『繁栄』か? これは『家畜』の姿だ。飼い主が餌をやるから生きているだけの」
カイルは言葉を一瞬失い、そして苦々しげに唇を噛んだ。
「……父上も、同じことを呟いていたな。『王都の貴族は、剣の錆びに気づかず、鞘の装飾ばかり磨いている』と」
「その通りだ。だから俺たちが来た。辺境の『錆びついた鉄』が、王都の『飾り物』たちに、本当の戦争の匂いを嗅がせてやるためにね」
***
王都への入城は、予想通り難航した。
「ヴェラム伯爵家の三男? 庶子? ……はあ。通行証は? 紹介状は?」
城門の衛兵は、俺の貧相な旅装と、十二歳という年齢を見て、露骨に面倒くさそうな顔をした。
辺境の貧乏貴族など、王都にとっては「いてもいなくても同じ」存在なのだ。
「紹介状はない。だが、これを通せば、宮内庁の『ある方』が関心を持たれるはずだ」
俺は懐から、一通の封筒を取り出した。
中には、羊皮紙が一枚。
そこには、王都の「水事情」に関する詳細な分析図と、ある提案が書かれている。
衛兵は半信半疑で封筒を受け取り、上官へ回した。
三十分後、俺たちはなぜか「宮内庁の馬車」で迎えられ、一般市民とは隔離された貴族用ゲートから王城へと招かれた。
カイルは呆気に取られている。
「……お前、何をした?」
「王都の地下水脈は、近年の過剰な汲み上げで枯渇しかけている。貴族たちは魔法で誤魔化しているが、平民地区ではすでに井戸が涸れ始めている。
俺は、古代帝国の『灌漑技術』と、この地域の地質データを掛け合わせ、新たな水源の候補地と、節水システムの設計図を書いておいた。
……王都の技術官たちは、喉から手が出るほど欲しい情報だったんだろうよ」
知識は、国境を越えるパスポートになる。
これが、俺の最初の「外交カード」だ。
***
王城の一角にある「王立図書館」。
ここは、王家の血筋と、許可された学者しか入れない聖域だ。
俺は「水源提案の礼」という名目で、特別に一時入室を許可されていた。
目的は一つ。
ここで「ある人物」と接触することだ。
書架の迷路を進むと、奥まった読書室から、低い口論の声が聞こえてきた。
「——だから、その理論は机上の空論なのよ! ラズラン帝国の機甲師団を、正面から受け止める兵力など、我が国には存在しないの!」
「しかし、セラフィナ殿下。我々の騎士団の勇猛さは、帝国兵の比では——」
「勇猛さで鉄は貫けないわよ! あなたたち武官は、いつもそればかり!」
俺は読書室の扉を、ノックもせずに開けた。
中にいたのは、銀の髪を長く伸ばした少女——第二王女セラフィナ(16歳)と、彼女の指南役らしい老騎士だ。
セラフィナは、机の上に広げられた大陸地図を睨みつけ、苛立ちを隠せずにいる。
彼女の噂は聞いている。
王族の中で唯一、国の滅亡を予測し、孤軍奮闘している「憂国の姫」だと。
だが、彼女の周囲には「お飾りの王女」として扱う者ばかりで、まともに取り合う者はいない。
「……失礼。部外者だが、少し気になってな」
俺が声をかけると、セラフィナは鋭い眼光で俺を射抜いた。
「誰? ここは貴族の子供の遊び場じゃないわよ。出て行きなさい」
「遊びではない。君の『敗北予測』は正しいが、『解決策』が間違っていると言おうかと思ってね」
セラフィナの眉間が、ピクリと動いた。
「……どういう意味?」
俺は机の上の地図を指差した。
「君は、帝国の機甲師団を止めるために、国境に要塞を築き、兵力を集中させようとしている。だが、それは『最悪手』だ」
「はあ? 正攻法で守らなくて、どうしろと?」
老騎士が怒鳴ろうとしたのを、セラフィナが手で制した。
彼女の瞳は、俺を値踏みする色に染まっている。
「聞かせて。『最悪手』だというなら、あなたの『正解』は何?」
「要塞は作らない。兵力も集中させない。むしろ、国境の門を『開ける』」
「……は?」
セラフィナと老騎士が、同時に間抜けな声を漏らした。
「帝国軍を入れればいい。だが、ただは入れない。
街道を『泥沼』にし、村々の食料を『焼き払い』、井戸に『毒草』を混ぜる。
帝国軍が王都へ到達する頃には、彼らは飢えと病で半分以下に減っている。
そこで初めて、我が国の全兵力で『包囲殲滅』する。
これが、小国が大国に勝つ唯一のシナリオ——『国土強靭化と焦土作戦』の組み合わせだ」
俺は、前世で研究した「ロシアのナポレオン征伐」と「フィンランドの冬戦争」の戦訓を、この世界に合わせて翻訳して語った。
セラフィナは、口を半分開けたまま、地図と俺を交互に見つめている。
やがて、彼女はゆっくりと椅子に座り直し、俺を——十二歳の辺境貴族を、一つの「政治勢力」として認識し直したようだ。
「……面白いわ。とても面白い。
でも、それを実行するには、国王である父様の許可と、貴族たちの既得権益(領地や財産)を犠牲にする決断が必要よ。彼らは、自分の領地が焼かれることを許さないわ」
「だから、俺が来たんだ」
俺はセラフィナの目を真っ直ぐに見据えた。
「俺は辺境の貧乏貴族。失うものなど、最初からない。
俺が『実験台』になり、辺境でその戦術を実証してみせる。
成功すれば、殿下はそれを『王都防衛の新ドクトリン』として、貴族たちに押し付ければいい。
……どうだ、殿下。俺と『契約』しないか?」
セラフィナは、しばらく沈黙した。
やがて、彼女は妖しく、そして知的に微笑んだ。
「……名前を聞き忘れていたわ。辺境の化け物くん」
「アルデン・ヴェラムだ」
「よろしくね、アルデン。私はセラフィナ。
あなたの『戦争ごっこ』、私が王宮内でバックアップしてあげる。
ただし、条件があるわ」
「何でも」
「私を、あなたの『共犯者』にして。
この腐った国を、一緒に壊して、一緒に作り変えましょう」
彼女は俺に手を差し伸べた。
その手は、華奢だが、ペンを握るためにしっかりと筋肉がついていた。
俺はその手を握り返す。
「光栄だ、殿下。だが、俺が壊すのは国じゃない。『常識』だ」
こうして、辺境の少年と、憂国の王女による、王国を巻き込んだ「反逆」の盟約が結ばれた。
王都の歯車は、俺たちの手で、音を立てて狂い始める。




