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辺境の貧乏貴族に転生した俺、千年の軍事知識で小国を救う  作者: 空鯨レイ
アーク1

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6/22

森の少女と、兄の罠

北の森は、地元民から「霧の森」と呼ばれていた。


エルムフォードの街から北へ徒歩二時間。街道を外れ、獣道を辿った先にある、鬱蒼うっそうとした原生林だ。

樹齢数百年の巨木が天を覆い、昼なお薄暗く、地面には苔と腐葉土が厚く積もっている。


「アルデン様、これ以上は危険でございます。この森はエルフの領域に近く、迷えば二度と戻れぬと……」


モリッツが心配そうに声をかける。

彼の不安ももっともだ。この世界において、エルフは「森の守護者」であり、領土を侵犯する人間を容赦なく射殺することで知られている。


「大丈夫だ、モリッツ。エルフの警戒線は、この先さらに五キロ北の『古の境界石』からだ。アルデンの記憶にある、父上の旧い地図によればな」


俺は手元の羊皮紙の地図を確認しながら、周囲の地形を分析していた。


(……完璧だ。ここは天然の要塞だ)


森の地形は、軍事戦略において「最良の防衛線」となる。

視界が効かず、大軍が展開できず、補給馬車が通れず、そして——何より重要なのが、「地元の人間しか知らない隠し道」が無数に存在することだ。


帝国軍が街道を使えなくなった時、彼らが次に狙うのは間違いなくこの森の狩猟道だ。

だが、森での戦闘は「知識の非対称性」がすべてを決める。地元に詳しいゲリラ部隊が、装備と数に勝る正規軍を食い潰す。地球の歴史——ベトナム戦争、アフガニスタン紛争、フィンランドの冬戦争——が何度も証明してきたことだ。


「トム。この森で、地元の猟師たちが使う隠し道はいくつある?」


「えっと……大きいのは三つですね。でも、古い hunters(猟師)しか知らない裏道が、あと二つあります。あと、川沿いの獣道も……」


「すべて地図に落とす。一つ残らずだ」


トムは不思議そうに首を傾げながらも、素直に頷いた。

彼は字が読めないが、地形の記憶力は驚異的だ。彼が口で説明する道を、俺が地図に書き込んでいく。


***


森の奥へ進むこと一時間。

俺たちは、小さな渓流の傍らにある開けた場所に出た。


「ここは……」


モリッツが驚いたように目を丸くした。

そこには、小さな「薬草畑」があったのだ。

野生のものではなく、明らかに人の手で手入れされた、整然としたうねが並んでいる。蒼麻草そうまそうや止血草、解毒に効く苦根草くねんそうなどが、丁寧に栽培されていた。


「誰がこんなことを……?」


俺が呟いたその時、茂みからガサリと音がした。


「——っ!」


モリッツがとっさに俺をかばう。トムが悲鳴を上げた。


茂みから現れたのは、弓を構えた少女だった。


十四、五歳だろうか。茶色の髪を短く切り、粗末な革の衣服をまとっている。

その瞳は鋭く、獲物を狙う鷹のようだった。


「……人間? しかも、貴族?」


少女の声は低く、警戒に満ちていた。

弓矢の先は、正確に俺の胸を捉えている。素人が適当に構えているのではない。る気になれば、一瞬で心臓を貫ける構えだ。


「待て。我々は危害を加えに来たのではない」


モリッツが手を上げて言った。


「私はヴェラム伯爵家の筆頭執事モリッツ。こちらは当家の三男アルデン様だ。お前は何者だ?」


少女は弓を下ろさず、俺をじっと見つめていた。

そして、何かを見極めるように、眉をひそめた。


「……嘘つき」


「なんだと?」


「あんた、『三男』って言ったわね。でも、その子の服、仕立ては良いけど生地は古い。それに、靴底の減り方が均等じゃない——最近急に歩き方が変わったの。つまり、あんたは『最近までこの服を着ていなかった』か、『最近まで貴族として振る舞っていなかった』かのどっちか」


俺は内心で舌を巻いた。

この少女、ただ者ではない。


服装の生地の経年劣化、靴底の摩耗パターン、そして振る舞いの変化。

これらは、情報分析官が「対象人物の背景」を推測する時に使う基本テクニックだ。

この世界の、辺境の森に住む少女が、それを直感で行っている。


「……名前を聞こうか」


俺は平静を装って尋ねた。


「リラ。……あんたたちこそ、何の用でここに来たの。ここは私の畑よ」


「畑? 領主に無断で、伯爵領の森を私有地扱いしているのか?」


モリッツが厳しく言うと、リラは嘲るように笑った。


「領主? あの武骨者の伯爵が、こんな森の奥まで管理してると思っているの? ここは三十年前から、誰も来ない場所よ。私が開墾したんだ。文句ある?」


俺は手を上げて、モリッツを制した。


「リラ。お前は薬草の栽培をしているな。それも、素人の仕事ではない。誰に習った?」


リラの表情が、一瞬だけ揺らいだ。


「……父さんが、薬草商だったの。でも、三年前にペルト商会に潰されて、借金抱えて死んだ。母さんも後を追うように病死した。私は一人で、ここで細々と薬草を育てて、街に売って生きてる」


ペルト商会。

また、あの名前だ。

マルセラと癒着し、この辺境の中小商人を次々と食い潰してきた商会。俺が潰したあの商会だ。


「……リラ。お前の薬草、買わないか」


俺が言うと、リラは怪訝けげんそうに眉を上げた。


「あんたが? 貴族の坊ちゃんが、こんな森の薬草を?」


「貴族の坊ちゃんじゃない。貧乏伯爵家の、冷遇されている庶子だ。そして今、この辺境で『新しい薬草の流通ルート』を作ろうとしている」


俺は一歩前に出て、リラの目を真っ直ぐに見据えた。


「ハーゲン商会と契約し、領内での薬草栽培を奨励する。お前のような零細農家を保護し、ペルト商会のような独占商人を二度と復活させない仕組みを作る。

そのために、お前の知識が欲しい。この森のどの場所に、どの薬草が自生し、どう栽培すれば収量が増えるか。お前が知っていることを、すべて教えてくれ」


リラはしばらく、俺を見つめていた。

その瞳には、疑念と、わずかな期待と、そして——俺に対する「値踏み」の色があった。


「……あんた、面白い子ね」


「子扱いするな。俺は十二歳だが、お前より多くの戦争を見てきた」


「戦争? あんたが?」


リラは失笑したが、俺の目が笑っていないのを見て、すぐに表情を改めた。


「……本気なのね」


「本気だ」


「……分かった。でも、条件があるわ」


「言ってみろ」


「あんたが『本当に』ペルト商会を潰したのか、証拠を見せて。噂では、ハーゲン商会が密告したってことになってるけど……私はあんたがやったんじゃないかって、思ってる」


俺はニヤリと笑った。

この少女、只者ではない。

情報の断片から「真犯人」を推測する能力がある。


「証拠か。では、今夜、ハーゲン商会の裏口に来い。ディートリヒに『アルデンの紹介』と言えば、ペルト商会の没収資産の目録を見せるよう手配しておく」


リラは弓を完全に下ろし、腕組みをして考え込んだ。


「……分かった。今夜行くわ。でも、もしあんたが嘘をついてたら、次は矢を喉に撃ち込むから」


「歓迎する。だが、お前は俺を撃てないはずだ」


「……なぜ?」


「お前は『観察』が得意だ。そして、俺の『靴底の減り方』から変化を読み取った。なら、もっと重要なことにも気づいているはずだ」


俺は自分の左手を見せた。


「俺の手のひらには、剣の『マメ』がない。つまり、俺は武術の訓練を一切受けていない。

だが、指先には『ペンのマメ』がある。つまり、俺は常に何かを書き、分析し、計画を立てている。

お前のような人間には、俺が『何者か』は分からなくても、『何者でないか』は分かるはずだ」


リラは、俺の手をじっと見つめ、そして小さく息を吐いた。


「……あんた、本当に化け物ね。十二歳で」


「よく言われる」


***


森からの帰路、俺はリラとの会話を反芻はんすうしていた。


彼女の観察能力は、情報分析官の素質そのものだ。

訓練すれば、この辺境における「諜報ネットワーク」の中核になれる。


だが、それ以上に気になったことがある。


「……モリッツ。気づいたか?」


「はい。森の入り口付近で、不自然な『枝の折れ方』がありました。人間が数人で通った痕跡です。しかも、かなり最近の」


「ああ。そして、その足跡の深さと歩幅から推測すると——」


俺は声を落とした。


「騎士の訓練を受けた人間だ。少なくとも三人。装備は軽く、移動速度は速い」


モリッツの顔が強張こわばった。


「……まさか、カイル様の?」


「間違いない。兄上は、俺が森で何をしようとしているか探っている。いや、それだけではない——」


俺は振り返り、森の方向を見つめた。


「あの『枝の折れ方』は、わざとらしい。カイルは、俺に『尾行されている』ことを気づかせようとしている」


「……なぜ、そんなことを?」


「脅しだ。『お前の行動はすべて見ているぞ』というメッセージを、俺に送り続けている。

だが、それは同時に、カイルの『焦り』の表れでもある。彼は、俺が何を企んでいるか分からないことに、恐怖を感じている」


俺は冷たい風を受けながら、頭の中の盤面を動かしていた。


カイルは「剣」で戦う。俺は「情報」で戦う。

だが、情報の戦いには、一つの弱点がある。


「……モリッツ。屋敷に戻ったら、すぐに『ある準備』をしてくれ」


「どのような?」


「カイルが、俺に『罠』を仕掛けてくる。それは間違いない。

だが、罠とは、『仕掛けた人間が、その結果を観察しに来る』ものだ。

つまり——罠を逆用すれば、カイルの『手下』をあぶり出すことができる」


モリッツは、俺の言葉の意味を理解したようで、背筋を伸ばした。


「……分かりました。どのような準備を?」


「簡単なことだ。俺が『今夜、森の薬草畑に一人で来る』という噂を、カイルの耳に入れればいい。

あとは、リラと協力して、あの畑に『罠』を仕掛ける。

カイルの手下が俺を襲いに来た時——彼らが『誰の命令で動いているか』を、白日の下に晒す」


辺境の森で、二つの戦いが始まろうとしていた。


一つは、帝国軍に対する「兵站戦争」の準備。

もう一つは、異母兄に対する「情報戦」の幕開け。


そして、その両方に、一人の少女——リラ——が関わることになる。


彼女は、俺の「武器」になるのか。それとも——

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