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辺境の貧乏貴族に転生した俺、千年の軍事知識で小国を救う  作者: 空鯨レイ
アーク1

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4/20

数字は嘘をつかない、だが人間はつく

伯爵の書斎は、暖炉のまきぜる音だけが響く、重苦しい空間だった。


壁には歴代ヴェラム伯爵の肖像画と、錆びついた大剣が飾られている。

部屋の中央にある重厚なオークの机の向こうには、この領地の主であるガレス・ヴェラム伯爵が座っていた。


五十歳を過ぎた今も、熊のような体躯を誇る男だ。

顔には古傷が何本も走っており、無骨な鉄の仮面を思わせる。武人としては一流だが、領主としては……正直、帳簿とにらめっこするのは苦手なタイプだ。


その右隣には、絹のドレスを着込んだマルセラが、ハンカチで目頭を押さえながら座っている。

完璧な「悲劇の被害者」のポーズだ。


そして俺は、部屋の中央に一人、立たされていた。


「……アルデン。説明してもらおうか」


ガレスの低い声が、書斎に響いた。

怒気は抑えられているが、その瞳には厳しい光が宿っている。


「ペルト商会から告発状が届いた。『伯爵家の三男が、ハーゲン商会と結託して我々の倉庫を強盗し、濡れ衣を着せた』とな。しかも、その倉庫の中には、領主に納めるべき年貢の品々があったというではないか」


マルセラが、待ちかねたように声を上げた。


「ガレス様! やっぱりこの仔ですよ! この庶子が、不良仲間を引き連れてペルト商会の倉庫を襲い、それをハーゲン商会に売りさばいたのです! あまつさえ、私やバルドまで『不正を働いている』などと嘘をついて、商会を脅したと聞きます! 伯爵家の名に泥を塗るにもほどがあります!」


演技派だ。

涙声、震える肩、夫への訴えかけ。すべてが計算ずくだ。

だが、俺は慌てない。感情は軍事において最大のノイズだからな。


「父上。その告発状は、ペルト商会の『独り言』です」


俺は冷静に、しかし書斎の隅々まで届く明瞭な声で言った。


「ペルト商会は、領主である父上に納めるべき『上質な冬毛皮』と『蒼麻草そうまそう』を、三年にわたり横流ししていました。それをハーゲン商会が突き止め、領主府に正当な手続きを経て告発した。これが事実です」


「嘘つき! 証拠はどこにあるの!」


マルセラが甲高い声で叫ぶ。


「証拠なら、ここに」


俺は懐から、一冊の革装丁の帳簿を取り出し、ガレスの机の上に置いた。

これは昨夜、ディートリヒから受け取った「ペルト商会の隠し倉庫の裏帳簿」のコピーだ。


「これは、ペルト商会の隠し倉庫から押収された帳簿です。ご覧ください、父上。

ここには、領内で徴収された毛皮の『実際の数量』と、領主に納品された『偽の数量』が記録されています。その差は、毎年銀貨三百枚分。これは辺境の警備隊の装備を一新できる額です」


ガレスが眉をひそめ、帳簿を手にとってページをめくる。

彼は内政は苦手だが、武人だ。装備や兵站へいたんの数字には敏感だ。すぐに「おかしい」と気づいたはずだ。


「……この数字は、確かに私の知っている納品数と違うな。だがアルデン、これがペルト商会の勝手な横領だとしても、お前が商会を脅したという事実は変わらないぞ」


「脅してなどいません。私はハーゲン商会に『情報の対価』として、正当な取引を持ちかけただけです。むしろ問題なのは、その先です」


俺は一歩踏み出し、マルセラを真っ直ぐに見据えた。


「ペルト商会が、なぜ三年もこんな大胆な横領を続けられたのか。

領主の検問を抜け、隠し倉庫を運用し、中央へ密輸する。これには、領主府の『内部の人間』による許可証と、検問所への口利きが不可欠です」


マルセラの顔が、引きつった。


「……な、何を言っているの……」


「帳簿の最後に、面白い記述があります。『M夫人への手数料、四半期ごと』。

M夫人。マルセラ、あなたの頭文字ですね」


「で、デタラメよ! そんなもの、ハーゲン商会が捏造したに決まってるわ!」


「では、これはどう説明します?」


俺はさらに、一枚の羊皮紙を取り出した。

これは今朝、モリッツに頼んで屋敷の「公式な支出記録」から抜き出させたものだ。


「屋敷の公式帳簿には、ここ三年間、『中央への外交交際費』として、毎年金貨五枚が計上されています。しかし、父上が中央に提出した報告書には、そのような交際の事実はない。

では、この金貨五枚はどこへ消えた?

答えは簡単です。ペルト商会経由で、オルヴァーネ商業連合の銀行にある『あなたの個人口座』へ送金されていたのです」


ガレスが、ゆっくりと顔を上げた。

その目は、マルセラではなく、俺が置いた二つの書類に向けられていた。

そして、武人特有の鋭い直感で、すべてを理解したようだ。


「……マルセラ」


ガレスの声は、静かだったが、氷点下のように冷たかった。


「お前は、私が前線で血を流している間に、領民から搾取した金で、中央に逃げ道を作っていたのか」


「ち、違います! ガレス様、これはこの仔の罠です! 私がアルデンを冷遇したことを恨んで、こんな嘘を……!」


「黙れ」


ガレスが机を叩いた。ドーンという轟音ごうおんに、マルセラが悲鳴を上げて縮こまる。


「数字は嘘をつかん。だが、人間はつく。

アルデンが持ってきたこの帳簿の筆跡と、ペルト商会の印鑑は本物だ。そして、お前の個人口座の存在は、私も薄々感づいていた。ただ、証拠がなかっただけだ」


ガレスは立ち上がり、マルセラを見下ろした。


「マルセラ。お前は今日から、中央の塔(離れ)で謹慎だ。バルドも同罪として投獄する。ペルト商会との癒着の全容は、追って審問する」


「……そんな、ガレス様……! ロイドもカイルも、私がいなければ……!」


「息子たちは私が育てる。下がれ」


マルセラは絶望の表情で俺を睨みつけたが、衛兵に腕を引かれ、書斎から引きずり出されていった。


***


重い扉が閉まり、書斎にはガレスと俺の二人だけが残った。


沈黙が流れる。

暖炉の火が、パチパチと音を立てている。


ガレスは机に深く座り直し、疲れたようにため息をついた。そして、俺を——十二歳の庶子を、値踏みするような、しかしどこか畏怖いふを込めた目で見てきた。


「……アルデン。お前、いつからそんな『目』を持っていた?」


「本を読んでいたからです、父上。書庫にあった、古代帝国の戦史や、商業都市の興亡録を」


「ふざけるな。本を読んだくらいで、商会の裏帳簿の在り処や、資金洗浄のルートが見えるか。お前はまるで、十年は場数を踏んだ老兵か、狡猾な参謀のようだ」


俺は答えなかった。

本当のことを言えば、前世で防衛省の地下に籠もって分析していたからだ、とは言えない。


「……まあいい。結果として、お前は領地をむしばむ毒を抜き、私に真実を突きつけてくれた。これは賞賛に値する」


ガレスは机の引き出しから、小さな革袋を取り出し、俺に放った。

中身は金貨だ。


「これは褒美だ。好きに使え。……だが、アルデン。これで終わりだと思うなよ」


「……というと?」


「マルセラを切れば、中央の貴族とのパイプが断たれる。ペルト商会を潰せば、オルヴァーネ商業連合からの借金の取り立てが厳しくなる。

お前は毒を抜いてくれたが、その副作用で、この領地は『出血』を始めたんだ」


ガレスの言葉には、領主としての重責と、わずかな弱音が混じっていた。

彼は武人だ。剣で敵を斬ることはできても、経済の流血を止めるすべを知らない。


俺は、この瞬間を待っていた。


「父上。止血なら、私にできます」


ガレスが目を丸くした。


「……お前に?」


「はい。ペルト商会の代わりに、ハーゲン商会と新しい契約を結びます。条件は、領内での薬草栽培の『独占権』と引き換えに、オルヴァーネへの借金を肩代わりさせること。

そして、浮いた資金で、北の街道の修繕と、警備隊の『装備』ではなく『食料』の備蓄を始めます」


「食料? なぜ装備ではない?」


「なぜなら、来年の冬、ラズラン帝国は侵攻してこないからです」


ガレスが、ハッとした表情で立ち上がった。


「……何を言う。帝国の斥候スカウトが、最近国境付近で増えているという報告を受けたばかりだ。侵攻の準備ではないのか?」


「違います。それは侵攻の前兆ではなく、『測量』です」


俺は壁にかけられた地図を指差した。


「帝国の皇太子は、来年の春、南のソレイス教国と小競り合いを起こす予定です。彼らにとって、今のヴェラム王国は『攻撃対象』ではなく、『後方を確保するための測量対象』に過ぎない。

彼らが本当に攻めてくるのは、教国との戦争が膠着こうちゃくし、兵糧ひょうろうが枯渇する三年後。その時、彼らはこの辺境の街道を使い、一気に中央へ抜けるつもりです」


ガレスは、言葉が出ないようだった。


「……お前、それは、国家レベルの戦略分析だ。一介の辺境貴族の、十二歳の息子が知っていていい情報ではないぞ」


「ですから、言ったでしょう。本を読んでいたのです」


俺はニヤリと笑った。


「父上。私を、あなたの『参謀』にしてください。

剣は振るえませんが、この領地と、あなたと、母さんを、次の戦争から守る自信はあります」


ガレスはしばらく、俺の目をじっと見つめていた。

やがて、大きく、そして深く、ため息をついた。


「……化け物め。いや、もしかしたら、ヴェラムの祖先が舞い戻ってきたのかもしれんな」


彼は机の上の地図を指でなぞり、そして俺に向かって、武人としてのある種の覚悟を決めた顔で言った。


「いいだろう、アルデン。明日から、お前は私の『見習い幕僚』だ。

だが、忘れるな。知識は剣よりも鋭いが、それを振るう腕がなければ、己の首を斬るだけだぞ」


「承知しています」


こうして、辺境の貧乏貴族による、国を救うための「戦争」が、本格的に始動した。


だが、俺が書斎を出た瞬間、廊下の隅で、一つの影がこちらをうかがっているのに気づいた。


金の髪、鋭い瞳。

マルセラの息子であり、俺の異母兄である次男、カイルだ。


彼は、マルセラが連行される一部始終を見ていたのだろうか。

俺と目が合うと、憎悪と嫉妬、そして奇妙な「計算」の入り混じった目で俺を睨みつけ、闇の中へ消えていった。


(……内憂は一つ片付いたが、外患と、新たな火種が芽吹き始めたか)


俺は冷たい廊下の空気を吸い込み、次の一手を考え始めた。

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