第二部 第6話 黄金の爆散と、信用という名の瓦礫
オルヴァーネ商業連合の中枢港湾都市、グラン・ポート。
今日は連合の歴史に残る「祝祭」の日だった。
港には大陸中から集まった貴族、大商人、そしてラズラン帝国の皇帝代理までが招待され、シャンパンの塔が築かれている。
「——紳士諸君! 風と帆にしがみつく古い時代は、今日をもって終わる!」
特設ステージの上で、大商人ヴェロニックが両手を広げ、高らかに宣言した。
彼の背後には、全長百メートルを超える巨船「黄金の太陽号」が聳え立っている。
船体は高級なマホガニーと真鍮で装飾され、両脇には巨大な外輪を備えた、まさに「海上の宮殿」だ。
「ヴェラムの田舎者が作った『鉄の塊』など、我々の芸術と技術の前ではただの玩具!
見よ! 我がギルドの技術者が、あの粗野な設計図を『改良』し、ボイラーの出力を二倍に高めた! これにより、我々は大陸を十日で一周し、世界の物流を完全に掌握するのだ!」
群衆から割れんばかりの拍手と歓声が上がる。
ヴェロニックは満足げに微笑み、技師長に目を配せた。
「ボイラーの圧力を最大まで上げろ! 皇帝陛下の御前で、我々の『力』を見せつけるのだ!」
「はっ! 蒸気バルブ、全開!」
船内では、石炭がくべられ、巨大なボイラーが唸りを上げ始めた。
真鍮の配管が熱を持ち、蒸気がパイプを駆け巡る。
だが、誰も気づいていなかった。
アルデンがわざと残した「偽の設計図」の安全弁は、通常の圧力なら作動するが、オルヴァーネの技師たちが勝手に行った「出力二倍の改良」には到底耐えられない、致命的な「金属疲労」の罠を含んでいたことを。
「……閣下。圧力が規定値を超えています。安全弁が……作動しません!」
技師長が蒼白な顔で叫んだ時、すでに手遅れだった。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!
港の空が、白く閃いた。
次の瞬間、耳をつんざく轟音と共に、「黄金の太陽号」の船体が内側から引き裂かれた。
超高圧の蒸気と、赤熱した鉄の破片、そしてマホガニーの木屑が、暴風雨となって観客席へと降り注いだ。
「ひ、ひいいいいい!」「助けてくれ!」「足が! 俺の足が!」
シャンパンの塔は血に染まり、貴族たちの絹のドレスは煤と肉片で汚染された。
ヴェロニックは、爆風の衝撃でステージから吹き飛ばされ、泥の中に叩きつけられながら、燃え盛る「黄金の残骸」を呆然と見上げることしかできなかった。
「ば、馬鹿な……我々の技術が……我々の黄金が……なぜ……」
大陸の経済を牛耳るオルヴァーネの「絶対的な自信」は、物理法則という名の冷酷な審判によって、わずか数秒で木っ端微塵に吹き飛んだのだ。
***
数日後。サン・テルモの造船所。
「……ボス。グラン・ポートが地獄絵図になったわよ」
リラが、情報網から届いたばかりの報告書を机に放り投げた。
「死者三百名以上。港湾施設の半分が崩壊。そして何より、あの船に投資していたオルヴァーネの中小商会が、損害賠償で軒並み破産寸前ですって」
カイルは腕組みをし、複雑そうに眉をひそめた。
「……アルデン。お前の『偽の図面』が、あんな惨事を招くとはな。さすがに、やりすぎたのではないか?」
「いいえ、兄上。私はただ『嘘』をついただけです。彼らが自分の欲と傲慢で、その嘘を『真実』だと信じ込み、勝手に爆発しただけですよ」
俺は冷徹に答え、そして机の上の大陸地図に、赤いインクでいくつかの印をつけた。
「ですが、これで終わりではありません。爆発はただの『花火』。本当に大切なのは、その後に降る『灰』を拾うことです」
「灰だと?」
「ええ。オルヴァーネの造船ギルドは、今回の事故の責任をすべて下請けの中小業者と技師たちに押し付け、彼らを切り捨てるでしょう。
巨額の負債を抱え、路頭に迷う優秀な技術者たち……。我々は彼らを『救済』します」
俺は懐から、セラフィナ女王の署名が入った「特別許可証」を取り出した。
「ヴェラム王国は、オルヴァーネで職を失った技術者に対し、『無償の土地』と『研究資金』、そして『特許の保護』を提供します。
名付けて『頭脳亡命計画』です。
オルヴァーネが金で人を縛るなら、我々は『未来』で人を繋ぎ止める。
これで、オルヴァーネの技術基盤は根こそぎ我々のものになります」
カイルは、俺の冷酷なまでの合理主義に、背筋を凍らせたように息を呑んだ。
「……お前は、敵の肉を喰らうだけでなく、骨までしゃぶって次の武器にする気か」
「違います、兄上。これは『リサイクル』です。無駄なものは、この世に一つもありませんから」
***
同じ頃、王都ルンデルの王宮。
セラフィナ女王は、オルヴァーネの大使を前に、優雅に紅茶を啜っていた。
「……今回の事故、誠にお気の毒です。ですが、貴国の『安全基準』への疑問は、大陸全土に広まっておりますわ。
ヴェラム王国としては、貴国の商人たちがこれ以上『欠陥船』で海に出て、他国の港に迷惑をかけることを懸念しております。
つきましては、大陸の『海上保険』の引き受けを、今後、我々の王立銀行が代行させていただきましょう。
……手数料は格安で結構ですよ?」
大使は、蒼白な顔でただ頷くことしかできなかった。
オルヴァーネは、船だけでなく「信用」と「金融」の主導権までも、ヴェラムに奪われようとしていたのだ。
***
その夜。
俺はサン・テルモの港で、完成したばかりの第二隻目の蒸気船「鉄鯨」の船体に手を添えていた。
隣には、バルタザールが感慨深げに煙管を燻らせている。
「……アルデン。オルヴァーネから、俺の昔の弟子たちが『助けてくれ』と手紙を送ってきた。彼らはギルドに見捨てられ、首を吊ろうとしていたそうだ」
「彼らを船に乗せてやってください、バルタザール。
彼らはもう、オルヴァーネの『規格』の奴隷ではありません。これからは、我々の『新しい世界』を造る技師です」
海風が、石炭の匂いを運んでくる。
戦争は、もはや剣や大砲でするものではない。
相手の「信用」を崩壊させ、その瓦礫の上に自分の「規格」を建て直す。
これが、俺が知っていた地球の歴史における、最も残酷で、最も効率的な「資本主義の夜明け」だった。
「……さあ、出航準備を。次は東の大陸へ、我々の『鉄の道』を敷きに行きますよ」
俺の指示のもと、黒い煙がまた一つ、夜空へと昇っていった。




