兵站(ロジスティクス)の隠し味
翌朝、俺はモリッツを連れ、エルムフォードの街へと向かった。
ヴェラム伯爵領の中心地とはいえ、ここは辺境だ。
石畳はところどころ剥がれ、木造の建物は風雨に晒されて歪んでいる。道端には痩せ細った野良犬がうずくまり、市場の活気は「活気」というより「焦燥」に近い。
俺は歩きながら、街の「流れ」を観察していた。
(……酷いな。これでは経済が回るわけがない)
自衛隊時代、俺は戦場の映像や衛星写真から「敵の補給路の健全性」を分析する訓練を受けていた。
道路の渋滞、荷馬車の轍の深さ、市場での商品滞留時間。それらを見れば、その地域の経済が「健康」か「瀕死」かは一目瞭然だ。
この街の荷馬車の轍は浅い。つまり、運ばれている物資の量が圧倒的に少ない。
そして、市場の商人たちは客と長く交渉している。商品がすぐに売れず、回転率が落ちている証拠だ。
「アルデン様、お足元にお気をつけください。泥濘がひどくて」
モリッツが心配そうに声をかけてくる。
彼の視線は、やはり「変わった」という戸惑いに満ちていた。昨日までのアルデンは、屋敷の隅で本を読んでいるだけの、影の薄い少年だったのだから無理もない。
「モリッツ。ハーゲン商会とペルト商会の関係は、現在どうなっている?」
俺は歩きながら、何気なく尋ねた。
「は、はい。相変わらず犬猿の仲でございます。特にこの時期は、春に備えた『蒼麻草』や『冬毛皮』の買い付けで、血で血を洗う争いを……」
「どちらが優勢だ?」
「資金力ではペルト商会です。中央のオルヴァーネ商業連合と太いパイプを持っておりますので。対してハーゲン商会は、代々この土地に根ざした老舗ではございますが、最近はペルト商会の物量に押され気味で……」
「ふむ。やはりな」
俺は小さく頷いた。
アルデンの記憶にある「街の噂」と、黒木の知識にある「経済戦争のセオリー」が、頭の中で一本の線に繋がっていく。
***
ハーゲン商会は、広場の外れにある重厚な石造りの建物だった。
扉を開けると、薬草と香辛料の混ざった匂いが鼻をつく。
「おや、モリッツ殿ではないか。今日は珍しい。伯爵家の筆頭執事が、しかもこんな幼いお供を連れて」
奥のカウンターから現れたのは、太った禿頭の男——ハーゲン商会の主人、ディートリヒだ。
眼光は鋭いが、どこか疲弊した色が滲んでいる。
「ディートリヒ様。本日は、当家の三男アルデン様が、ぜひ貴商会と『取引』がしたいとのことで」
「……取引? 三男どの?」
ディートリヒは俺を値踏みするような目で見た。
十二歳の、栄養失調気味の少年。それも、正妻から疎まれている庶子。
まともな商人なら、相手にするだけ時間の無駄だと判断するはずだ。
「坊ちゃん。おもちゃの剣なら向こうの雑貨屋にありますよ。ここは商売の場所です」
「おもちゃは買わない。あんたの『悩み』を買いに来たんだ」
俺はカウンターの前に立ち、ディートリヒの目を真っ直ぐに見据えた。
「あんたは今、ペルト商会との『蒼麻草』の買い付け競争に負けている。いや、正確には、ペルト商会が不当に安い価格で領内の薬草を『囲い込んでいる』ため、あんたは中央への納品ノルマを達成できず、违约金を恐れている。違うか?」
ディートリヒの表情から、余裕が消えた。
「……どこでその情報を? 伯爵家の内部情報でもないはずだが」
「どこで知ったかは重要じゃない。重要なのは、あんたがそれを『どうやってひっくり返すか』だろ」
俺はカウンターに手を突き、声を落とした。
「ペルト商会が、領主に無申告で『隠し倉庫』を運用している証拠と、その正確な位置。そして、彼らが領主の関税を逃れて密輸している品目のリスト。これが欲しいか?」
一瞬、店内に沈黙が落ちた。
ディートリヒの目が、獲物を見つけた鷹のように鋭く光る。
ペルト商会の不正の証拠。それがあれば、領主(俺の父)に告発して彼らの営業権を剥奪し、ハーゲン商会が市場を独占できる。
「……面白い冗談だ、坊ちゃん。だが、ペルト商会の隠し倉庫など、俺たちの目利きでも見つけられなかった。十二歳の貴族の遊びで分かるものか」
「 military(軍事)の基本はな、ディートリヒ。『隠す』ことじゃない。『隠すためのコスト』をどう誤魔化すかだ」
俺はニヤリと笑い、頭の中の分析結果を口にした。
「軍隊が前線に秘密の補給基地を作る時、必ず三つの痕跡が残る。
一つ、『水源からの距離』。大量の物資を管理するには水が不可欠だ。
二つ、『鳥の糞』。糧秣(食料)を保管する場所には、必ずそれを狙う鳥やネズミが集まる。
三つ、『不自然な植物の枯れ方』。人の往来や馬の尿で、特定のルートだけ土壌が変わるからだ」
ディートリヒが、ゴクリと喉を鳴らした。
「俺は昨日、屋敷の使用人たちから『噂』を聞いた。
馬番のトムは、北の森の外れで『不自然に深い荷馬車の轍』を見たと。
料理番のベルタは、ペルト商会の旦那が最近『防腐用の粗塩』を市場から異常な量で買い占めていると言っていた。
そして、この時期の北風と地形を考慮すれば、匂いと湿気を避け、かつ中央への抜け道に近い場所……それは『泣き岩』の裏手の废弃鉱山跡しかない」
俺の言葉は、すべてこの世界の人間が「日常的に目にしているが、繋ぎ合わせることができなかった情報」だ。
点と点を線にする。それが情報分析官の技能であり、軍事戦略の基本だ。
「……ペルト商会は、その廃鉱山を隠し倉庫にして、領主に納めるべき上質な毛皮と薬草を隠している。あんたの手下に、今夜その場所を監視させればいい。必ず、夜中に運び込みを行うキャラバンが来るはずだ」
ディートリヒは汗を拭いながら、俺を見つめていた。
もはや、目の前の少年を「子供」として見る目は微塵もない。
「……その情報が本物だった場合、代金はいくらだ?」
「金貨三枚。それと、今後俺が提案する『ある取引』を、ハーゲン商会が最優先で請け負うという契約書だ」
「金貨三枚!? 坊ちゃん、それは法外な——」
「ペルト商会を潰し、この辺境の流通を独占できる権利の前では、はした金だろ。それに、その金貨は俺が個人的に使う。伯爵家の財布には入らない。つまり、あんたが伯爵家の顔色を伺う必要はないということだ」
ディートリヒは数秒間、黙り込んだ。
やがて、大きく息を吐き、ニタリと笑った。
「……化け物だね、あんたは。分かった。その契約、乗ろう。ただし、情報が偽物だった場合は、あんたの首を貰うよ」
「構わない。だが、あんたは今夜、俺に礼を言うことになる」
俺はカウンターの縁から手を離し、モリッツに目配せをした。
「行こう、モリッツ。次の準備がある」
***
屋敷への帰路、モリッツは終始、俺を幽霊でも見るような目で見ていた。
「……アルデン様。あなたは、いつからそのような『目』をお持ちだったのですか?」
「知らない、モリッツ。気づいたら、世界の『仕組み』が見えるようになっていたんだ」
俺は適当に誤魔化しながら、脳内で次の計算をしていた。
金貨三枚。これで母の薬代(金貨一枚)は確保できた。残り二枚は、次のステップである「屋敷の財政立て直し」のための種銭になる。
だが、これで終わりではない。
ペルト商会を潰せば、その背後にいる「オルヴァーネ商業連合」の商人たちが動くかもしれない。
そして何より——
「……モリッツ。後ろの角、樽の陰にいる鼠を、気づかれないように撒いてくれ」
「……は?」
「俺たちが商会を出てから、ずっと尾行されている。マルセラ(正妻)の手下だ。俺が街で何をしたか、嗅ぎ回っているらしいな」
モリッツの顔色がさっと青ざめた。
「まさか、奥様が……」
「当然だ。貧乏で大人しいはずの庶子が、街で商会の主人と密談をしていたとなれば、警戒するのは当たり前だ。軍事において、敵がこちらの動きを察知した時の定石はただ一つ。『先手を打って、芽を摘む』ことだ」
俺は冷たい北風を受けながら、小さく笑った。
「マルセラがどんな手を打ってくるか、楽しみだ。彼女が使う『宮廷闘争のカード』など、地球の歴史に比べれば、幼児のお遊戯に等しい」
辺境の小さな屋敷での、最初の「防衛戦」が、今まさに幕を開けようとしていた。




