謁見の間で、俺は王に「滅び」を売り込んだ
王城の最深部は、驚くほど静かだった。
貴族たちの喧騒や、晩餐会の華やかな音楽は、幾重もの重厚な扉と石壁に遮断され、ここにはただ、古い羊皮紙と蜜蝋の匂いだけが漂っている。
「ここから先は、私とあなたしか入れないわ、アルデン」
セラフィナが、扉の前で立ち止まり、俺を振り返った。
彼女の瞳には、いつもの挑発的な光ではなく、どこか哀しげな影が宿っている。
「父様は……『疲れている』の。
王としての責務、貴族たちのエゴ、そしてオルヴァーネへの借金。
それらに押し潰されそうになりながら、それでも『王の体裁』を保とうと必死なの。
だから、あなたが今から話す『滅亡の予測』は、父様の心を折るかもしれない。それでも、話すの?」
「折れた骨は、正しい位置で繋ぎ直せば、以前より強くなります。
この国の骨子は、まだ腐っていません。今なら間に合います」
俺はそう答え、セラフィナに促されて扉を押した。
***
「……お前が、セラフィナが連れてきた『辺境の怪物』か」
質素な執務室の奥、重厚なデスクの向こうに、ヴェラム国王・オズワルド三世は座っていた。
五十代半ばだが、その顔にはそれ以上の老いが刻まれている。髪は白く、背中はわずかに丸まり、しかしその瞳だけが、かつて国境を守った騎士としての鋭さを辛うじて保っていた。
「アルデン・ヴェラム。辺境伯の三男。……十二歳とは、とても見えんな」
「年齢は、戦略の実行において障害にはなりません、陛下」
俺は跪かず、直立したまま答えた。
本来なら不敬にあたる行為だが、セラフィナが事前に「この子は礼儀よりも実利を重んじる」と説明してくれていたのだろう。王は苦々しげに、しかし許容するように鼻を鳴らした。
「で? 娘からは聞いた。お前が晩餐会でヴァロワ公爵を論破し、オルヴァーネの陰謀を暴いたとな。
だがアルデン、あれは『貴族の面子』を潰しただけだ。国の財政が火の車である事実は変わらん。
お前は何を提案しに来た? 魔法のように借金を消す術でも持っているのか?」
「いいえ、陛下。借金は消えません。だから、この国を『一度破産』させます」
王の目が、見開かれた。
セラフィナが、ハッとして俺を見た。
「……はあ? 破産だと? 小僧、何をたわけたことを」
「正確には、『国家債務の不履行』と『経済圏の離脱』です」
俺は懐から、一枚の大きな羊皮紙を取り出し、王のデスクに広げた。
それは、俺が王立図書館で徹夜して作成した「ヴェラム王国・十年経済シミュレーション図」だ。
「陛下。現在のヴェラム王国は、オルヴァーネ商業連合からの借款で延命しています。
しかし、この借金の金利は複利で膨れ上がり、三年後には国家予算の八割を金利の返済に充てなければならなくなります。
その時、ラズラン帝国が侵攻してきたら? 我々は傭兵を雇う金すらなく、ただ指をくわえて王都が焼かれるのを見るだけです」
王は黙り込んだ。
彼は分かっているのだ。この数字が「真実」であることを。
「……では、どうしろと。オルヴァーネを敵に回せば、今すぐ経済封鎖を食らう。そうなれば、来月の冬越しの小麦すら買えんぞ」
「だから、我々は『小麦』をオルヴァーネから買うのをやめます」
俺は地図の「北部辺境」を指差した。
「私の領地であるエルムフォードを含む北部辺境は、寒冷地ですが、地質と水利を工夫すれば、オルヴァーネ産とは違う『耐寒性麦』の増産が可能です。
私は、辺境全土で『戦時農業体制』への移行を開始します。表向きは『飢饉対策の備蓄』。裏の目的は、オルヴァーネからの食料依存度をゼロにすることです」
「……辺境の領主たちが、そんな面倒なことに協力するとでも?」
「協力させます。そのためにも、陛下の『勅令』が必要です」
俺は、一通の羊皮紙を王の目の前に差し出した。
「『国家緊急物資備蓄法』の草案です。
国王陛下の名において、全領地に『三年分の食料と軍事物資の備蓄』を義務付ける。
違反した領地は、オルヴァーネとの私的取引を『国家反逆罪』として裁く。
これで、ヴァロワ公爵のようなオルヴァーネ派の貴族たちを、法的に縛り上げることができます」
王は羊皮紙を手に取り、その内容をじっと見つめていた。
やがて、彼は深く、そして重いため息をついた。
「……アルデン。お前の言うことは、すべて正しい。理屈としては完璧だ。
だがな、小僧。『正しいこと』と『できること』は違うのだ。
この勅令を出せば、貴族たちは一斉に私に反旗を翻すだろう。オルヴァーネは経済制裁をちらつかせ、帝国はそれを口実に侵攻を早めるかもしれない。
私には……お前の言う『覚悟』を支えるだけの、剣も金もないのだ」
王の声には、敗北者の響きがあった。
彼は王ではない。ただ、貴族と商人の顔色を伺う「管理人」に成り下がっていたのだ。
俺は、一歩前に出た。
そして、王の目を、真っ直ぐに見据えた。
「陛下。剣は、私が用意します。金も、私が作ります。
陛下がすべきことは、ただ一つ。
『この国を救うために、王座を賭ける』という、たった一言の『宣言』だけです」
「……何を、言う……」
「貴族たちが反発するなら、反発させればいい。
オルヴァーネが制裁するなら、させればいい。
その混乱の最中で、陛下が『国民の命を守るために、貴族の資産を徴発する』と宣言すれば、民衆は誰を支持するでしょう?
王都の平民たちは、すでにオルヴァーネの物価高騰に苦しんでいます。彼らは、自分たちのために戦う王を、血眼になって探しているのです」
俺は、前世で学んだ「フランス革命」と「ナポレオンの台頭」のロジックを、この王に叩き込んでいた。
旧体制が腐敗した時、それを打ち破るのは「外敵」ではなく、「内部からの革命」だ。
そして、その革命の旗振り役を、王自身にやらせる。これこそが、王家が生き残る唯一の道なのだ。
王は、震える手で羊皮紙を握りしめた。
その瞳の奥で、消えかけていた「騎士の火」が、再び灯るのが見えた。
「……セラフィナ」
「は、はい、父様」
「この小僧を、辺境の『特命全権大使』に任命する。
王族の証であるこの短剣を授け、北部辺境における『一切の軍事・経済・人事権』を委任する。
表向きは『辺境の視察と防衛準備』。裏の任務は……『国家の解体と再構築』だ」
王は、デスクの引き出しから、王家の紋章が刻まれた古びた短剣を取り出し、俺に放った。
「いいか、アルデン。お前が成功すれば、お前を公爵にしよう。
だが、失敗すれば……お前は、王家を裏切った『反逆者』として、私が自らの手で処刑する。
それでも、やるか?」
俺は短剣を掴み、王に向かって深く、しかし誇り高く頭を下げた。
「光栄です、陛下。では、三年後の『勝利』をお約束しましょう」
***
王都を去る馬車の中。
カイルは、俺が腰に下げた王家の短剣を、複雑な目で見ていた。
「……お前、本当に国の命運を背負うつもりか。十二歳のガキが」
「背負うんじゃないよ、兄上。『利用』するんだ。
王の権威を、貴族を脅すための『盾』として。民衆の不平を、オルヴァーネを追い出すための『剣』としてね」
俺は窓の外、遠ざかる王都の城壁を眺めていた。
だが、その視界の端で、不自然な動きをする影を捉えた。
城門の見張り塔の陰から、灰色のマントを纏った男が、俺たちの馬車をじっと見送っている。
彼の左手には、オルヴァーネ商業連合の「隠し紋章」が刻まれた指輪が光っていた。
(……やはりな。王都の動きは、すべて筒抜けだ)
俺はニヤリと笑い、馬車の窓を閉めた。
「モリッツ、リラ」
「はい」「なによ、ボス」
「帰ったらすぐに、辺境の『情報網』をフル稼働させる。
オルヴァーネの連中は、俺たちが王都で何をしたか、明日には本国へ報告するだろう。
そして、彼らの『本気の妨害』が、俺たちの領地にやってくる」
俺は地図を広げ、辺境の「ある場所」を指差した。
「次は『貿易戦争』だ。連合の商人たちが、俺たちの麦を買い占めに来る前に、こっちから『毒』を盛ってやろうじゃないか」
辺境の貧乏貴族による戦争は、ついに「国家」対「巨大資本」の代理戦争へと突入する。




