第6話 刺繍は重ければ良いという思い込み
――下女お縫、六つ目の「工夫」
大奥の御広敷では、
大黒屋が持ち込んだ豪華な刺繍の小袖が広げられ、
女中たちがため息を漏らしていた。
「まぁ……なんて見事な刺繍なんだろう」
「金糸がぎっしり。これぞ大奥の格式ってやつだね」
「重そうだけど……高いものは重いのが当たり前さ」
お縫は、少し離れた場所からその様子を見ていた。
(……重い。
刺繍が多すぎて、布が息をしていない)
大黒屋の刺繍は、確かに見事だ。
だが、布の上に“飾り”を積み上げすぎて、
着る者の動きを奪ってしまう。
(町方では、もう“軽やかさ”が主流。
刺繍は、少しで良い。
むしろ“ない方が粋”とさえ言われている)
そのとき、滝川お局が鼻で笑った。
「新参、あんたには分からないだろうけどね。
刺繍は“手間”がかかるほど上等なんだよ。
この金糸の量を見な。
これだけで値が跳ね上がるんだ」
お縫は、へこへこと頭を下げた。
「も、申し訳ございません……」
(はいはい、“無能な下女”の芝居ね。
でも――その“手間”こそが、弱点なんだよ)
お縫は、刺繍の裏側にそっと指を滑らせた。
糸の重み、縫い目の密度、
職人が費やした時間が、指先に伝わる。
(この刺繍、ひと針にどれだけ時間がかかるか……
商家の娘なら、すぐに分かる)
お縫は、控えめに口を開いた。
「お局様……
この刺繍、ひと針にどれほどの時間が……?」
滝川は得意げに言った。
「一針一針、丁寧に縫うんだよ。
だからこそ価値があるんだ」
お縫は、静かに頷いた。
「では……
その“手間”が多すぎて、
御殿の支度が遅れることは……?」
滝川の顔がぴくりと動いた。
「な、何を言ってるんだい」
お縫は、刺繍の裏を指し示した。
「この密度では、
一枚仕上げるのに、
職人が何日もかかります。
もし急な行事があれば……
間に合わぬこともございます」
女中たちがざわついた。
「……確かに」
「大黒屋の刺繍は、いつも納めが遅いよね」
「手間がかかりすぎるんだ」
滝川の顔が青ざめる。
「そ、それは……!」
そのとき――
背後から静かな声がした。
「……その通りだ」
振り返ると、
勘定吟味役・水野が立っていた。
「刺繍は、手間がかかるほど値が上がる。
だが――
手間がかかるほど“納めが遅れる”」
滝川は息を呑んだ。
水野は続けた。
「大黒屋は“豪華さ”を口実に、
納めの遅れを正当化してきた。
だが、遅れれば御殿の支度が滞る。
……それは、もはや“贅沢”ではない」
お縫は、静かに頭を下げた。
(そう。
刺繍は“美”ではなく“負担”にもなる。
その価値を裏返せば――
大黒屋の利権は揺らぐ)
水野は、お縫の方を見て言った。
「軽やかな装いこそ、
今の大奥にふさわしい。
……よく見抜いたな」
滝川は悔しさに唇を噛んだ。
「覚えておきな、新参……
あんた、ただでは済まないよ」
お縫は深く頭を下げたまま、
前髪の奥で静かに笑った。
(濃い色に続いて、刺繍も崩れた。
大黒屋の“美の利権”は、もう半分折れている)
――お縫の“工夫”は、
大奥の価値観そのものを塗り替え始めていた。
(第7話へ続く)




