第4話 衣替えの時期が早すぎる
――下女お縫、四つ目の「工夫」
大奥の庭に、春の名残がわずかに漂っていた。
とはいえ、風はどこか軽く、陽の匂いが強い。
「今年は、なんだか暑くなるのが早いねぇ」
「ほんとだよ。まだ卯月だってのに、汗が出るよ」
洗濯場の女中たちが口々に言う中、
お縫は、干し場に並ぶ襦袢の乾き具合を指先で確かめた。
(……やっぱり。
今年は“季節が早い”。
衣替えの時期を、例年通りにしていたら――)
そのとき、滝川お局の声が飛んだ。
「新参! ぼさっとしてないで、これを持っていきな!」
渡されたのは、夏物の薄衣の見本帳。
大黒屋が納める予定の反物が並んでいる。
「来月の衣替えに向けて、各御殿に見せて回るんだよ。
大黒屋の旦那が“今年も例年通りで間違いない”ってさ」
お縫は、見本帳を開いた。
麻の薄衣。絽の羽織。
どれも涼しげだが――
(……間に合わない。
今年の暑さは、例年より半月は早い。
このままでは、大黒屋の納めが遅れ、
御殿中が“暑さに耐える羽目”になる)
お縫は、庭の木々を見上げた。
若葉の色が、例年より濃い。
土の乾きも早い。
(商家の娘は、季節の変わり目に敏い。
反物の売れ行きは、天気ひとつで変わるからね)
そのとき――
背後から静かな声がした。
「……またお前か」
振り返ると、
勘定吟味役・水野が立っていた。
「見本帳を持って歩いていたな。
大黒屋の納めか?」
お縫は、へこへこと頭を下げた。
「は、はい……来月の衣替えに向けて……」
水野は庭の陽射しを見上げ、
低く呟いた。
「今年は、季節が早い。
この陽気では、来月では遅いだろう」
お縫の胸がひやりとした。
(……この人も気づいている)
水野は続けた。
「大黒屋は“例年通り”を理由に、
納めを遅らせている。
その裏で、在庫を抱え込み、
値を吊り上げるつもりだろう」
お縫は、静かに見本帳を閉じた。
「……もし、衣替えが早まれば、
大黒屋の準備は間に合いません。
御殿中が困ることに……」
「困るのは大黒屋だ」
水野の目が鋭く光った。
「大奥の衣替えは“慣例”で決まる。
だが、慣例は天気を見ない。
お前は、天気を見ている」
お縫は、わずかに息を呑んだ。
(この人は……“数字”だけじゃない。
“現場”も見ている)
水野は続けた。
「お前の見立てを、上に伝えろ。
“今年は早い”と。
衣替えが早まれば、大黒屋の在庫は崩れる。
……奴らの利権に、ひびが入る」
お縫は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
その日の夕刻。
お美代の方の御殿で、
お縫は控えめに進言した。
「お方様……今年は、暑さが早うございます。
衣替えを、例年より早められては……」
お美代の方は、少し驚いた顔をしたが、
庭の陽射しを見て、静かに頷いた。
「……確かに、今年は暑いわね。
滝川に申し伝えておきましょう」
翌日。
大奥の衣替えが“前倒し”されることが決まった。
「な、なんだって!?
まだ準備が……!」
大黒屋の納め役が青ざめ、
滝川お局は怒りで顔を真っ赤にした。
「誰だい、こんなことを言い出したのは!」
お縫は、静かに頭を下げた。
(これで、大黒屋の“季節商材利権”は揺らぐ。
慣例に胡坐をかいた者は、
季節の変わり目に弱い)
そのとき――
廊下の向こうから、
水野が一瞬だけお縫を見た。
その目は、
「よくやった」と言っていた。
――お縫の工夫は、
大奥の“季節”すら動かし始めていた。
(第5話へ続く)




