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大奥で下女をしていたら、算術の才能がバレて勘定方と組むことになった件 ――利権まみれの大奥を最適化します。  作者: 細川 雅堂
【大奥算術編 ―沈む織江屋、立つ少女―】

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第1話 石鹸のない洗濯場

――下女お縫、最初の「工夫」


江戸城・大奥。

その最下層にある洗濯場は、朝から水音と嘆き声で満ちていた。


「どうするんだい、石鹸がもう切れちまったよ!」


「大黒屋の納めが遅れてるんだとさ。あそこの石鹸じゃなきゃ汚れが落ちないってのに……」


女中たちが口々にぼやく中、

ぬいは桶の中の濁りをじっと見つめていた。


(まただ。

 大黒屋の石鹸は高価すぎるうえ、納めも遅い。

 それでも誰も逆らえないのは……

 “大奥の慣例”ってやつが、あまりに強いからだ)


お縫は、表向きは“気の弱い新参の下女”。

だがその実、江戸大伝馬町の老舗呉服店「織江屋」の跡取り娘。

大黒屋と悪徳役人に実家を潰され、

その不正の証を掴むために大奥へ潜り込んでいた。


「おい、新参! ぼさっとしてないで手を動かしな!」


滝川お局の鋭い声が飛ぶ。

お縫は肩をすくめ、へこへこと頭を下げた。


「も、申し訳ございません……!」


(はいはい、“無能な下女”の芝居ね。

 でも、石鹸がないなら――別の手を考えればいい)


お縫は、桶の中の“とぎ汁”をすくい、指先で粘りを確かめた。


(米のとぎ汁は、油汚れに強い。

 これに灰を合わせれば……)


洗濯場の隅に積まれた灰桶へ向かい、

お縫は周囲に気づかれぬよう、少量の灰をすくった。


(とぎ汁七、灰三。

 これなら手荒れも少なく、汚れも落ちるはず)


桶の中で静かに混ぜ合わせると、

濁った水が、指に吸いつくような“ぬめり”を帯びた。


「……よし」


お縫は、汚れのひどい襦袢をその液に沈め、

軽く揉み洗いをした。


すると――


「ちょ、ちょっと! 何それ!」


「汚れが……落ちてる!? 石鹸なしで!?」


洗濯場がざわついた。


お縫は、あくまで控えめに微笑む。


「とぎ汁と灰を混ぜただけでございます。

 田舎で教わりまして……」


(本当は、配合を見極めただけ。

 商家の娘なら、これくらいは朝飯前)


滝川お局が駆け寄り、

お縫の桶を覗き込んで目をむいた。


「な、何だいこれは……! 石鹸より綺麗じゃないか!」


「石鹸がなくても、洗えるのでは……と」


「黙りな! そんなはずが……!」


だが、洗濯場の女中たちはすでに動いていた。

次々と灰を混ぜ、洗い、驚きの声を上げる。


「すごい! 本当に落ちるよ!」


「大黒屋の石鹸、いらないじゃないか!」


滝川の顔がみるみる青ざめる。


(そう。

 これで“大黒屋の洗浄利権”はひとまず揺らぐ。

 最初の一手としては、上出来だ)


そのとき――

洗濯場の奥から、静かな足音が近づいた。


黒い熨斗目のしめに身を包んだ若い武士。

切れ長の目が、お縫の桶と手元を鋭く見つめる。


勘定吟味役・水野。


「……お前が考えたのか?」


お縫は、へこへこと頭を下げた。


「い、いえ……偶然で……」


水野は一歩近づき、

お縫の手元の“配合”を見て、低く呟いた。


「偶然で、この割合は出ない。

 ……お前、何者だ?」


お縫は笑わなかった。

ただ、前髪の奥で目だけが静かに光った。


(さぁ、水野様。

 あなたが“大奥の歪み”を正したいなら――

 私は、役に立つ女ですよ)


――大奥の静かな改革は、

この洗濯場の片隅から始まった。


(第2話へ続く)

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