【プロローグ】
――算術だけが、私を裏切らなかった。
江戸大伝馬町で五代続いた老舗呉服店「織江屋」。
私はその跡取り娘として、幼い頃から店を継ぐための「算術」を叩き込まれて育った。
帳簿の数字は正直だ。入れた分だけ利益が残り、無駄を削れば必ず豊かになる。
商いの理は、数字の中にすべてあった。
けれど、江戸の世は数字だけでは回らない。
「織江屋の絹に、難がある」
ある日突然、大黒屋を名乗る商人と、それを後ろ盾する悪徳役人が店に現れた。
彼らが持ち込んだ卑劣な濡れ衣と、理不尽な重税。
計算し尽くしたはずの家計は瞬く間に傾き、両親は絶望の中で息を引き取った。
織江屋は、奴らにすべて奪われたのだ。
私に残されたのは、父から教わった算術の知識と、胸の奥で燃え盛る復讐心だけ。
「大奥に入り込み、奴らの利権を根元から腐らせる」
私は髪を切り、身分を偽り、最下層の下女として江戸城の門をくぐった。
誰も私を「織江屋の娘」だとは気付かない。
ただの、気の弱い、無能な新参の下女。そう思わせておけばいい。
見ていなさい、大黒屋。
この大奥という巨大な箱庭を、私の算術で完璧に最適化してやる。
お前たちの不当な儲けをひとつずつ剥ぎ取り、地獄へ叩き落としてから――必ずこの手で、織江屋の看板を掲げ直してみせる。
これは、絶望の淵から這い上がった一人の少女が、数字の刃で権力者たちの利権を斬り伏せていく物語。




