第10話 端切れの究極小袖
――下女お縫、最後の「工夫」
大奥の御広敷は、
朝から異様な緊張に包まれていた。
「今日は、将軍家御台所様の御前で、
大黒屋の新作小袖が披露されるらしいよ」
「大黒屋の旦那、相当気合いを入れてるって話だ」
「でも……最近は、お縫の工夫の方が評判だよね」
女中たちの囁きが、
お縫の耳に静かに届く。
(……今日が“決着”の日)
大黒屋は、
洗浄、炭、配膳、季節、染め、刺繍、端切れ、香り――
すべての利権を揺さぶられ、
もはや後がない。
(最後に残ったのは、“格式”という名の虚勢。
なら――その虚勢ごと、ひっくり返す)
お縫は、
倉庫の片隅で大切に包んでいた小袖を取り出した。
端切れ。
薄染め。
軽やかな縫い。
忍び香。
暖簾で学んだ重ねの工夫。
これまで積み上げてきた“工夫”すべてを、
一着に込めた。
(これが、私の“究極の小袖”)
◆
御台所の御殿には、
大奥の重役たちがずらりと並んでいた。
滝川お局は、
大黒屋の豪華絢爛な小袖を抱え、
勝ち誇った顔をしている。
「さぁ、新参。
あんたの端切れ細工なんて、
今日で終わりだよ」
お縫は、静かに頭を下げた。
(終わるのは――あなたたちの方)
御台所が入室し、
披露が始まった。
まずは大黒屋の小袖。
金糸がぎっしり、
色は濃く、
重く、
動けば軋む。
「……重いな」
御台所の一言で、
場の空気が揺れた。
滝川が慌てて取り繕う。
「こ、これぞ格式にございます!」
だが、御台所は興味を示さない。
「次を」
◆
お縫は、
静かに小袖を広げた。
淡い桜色の揺らぎ。
端切れを重ねたとは思えぬ調和。
軽やかで、風が通るような仕立て。
御台所の目が、わずかに見開かれた。
「……これは?」
お縫は深く頭を下げた。
「端切れを重ね、
薄く染め、
軽く縫い、
香りを忍ばせました。
すべて、大奥で余っていた物でございます」
ざわめきが広がる。
「端切れ……?」
「余り物で……?」
御台所は、小袖を手に取り、
光に透かした。
「……美しい。
軽やかで、粋で、
着る者を引き立てる」
滝川の顔が真っ青になる。
「そ、そんな……!」
そのとき――
静かな足音が響いた。
勘定吟味役・水野。
「御台所様。
大黒屋の不正について、
証しがございます」
場が凍りつく。
水野は、
大黒屋と本多役人が結託し、
納めを遅らせ、
値を吊り上げ、
粗悪品を混ぜていた証文を差し出した。
「大奥の出費を食い物にし、
利権を貪っておりました」
御台所の表情が、
静かに、しかし確実に冷たくなる。
「……大黒屋、本多。
即刻、御役御免。
吟味にかけよ」
滝川が悲鳴を上げた。
「ま、待ってくださいまし!
この新参が……!」
御台所は、お縫を見た。
「お前の名は?」
お縫は深く頭を下げた。
「お縫にございます」
「よくぞ、大奥の歪みを正した。
これからも、
その目で“無駄”を見抜け」
お縫の胸が、静かに熱くなる。
(……これで、織江屋の仇は取れた)
水野が、お縫の横に立った。
「お縫。
これからも力を貸してくれ。
大奥は、まだ変われる」
お縫は、静かに微笑んだ。
「はい。
私にできることなら、いくらでも」
――こうして、
大奥の利権は崩れ、
お縫と水野の“静かな改革”は、
新たな幕を開けた。
(第一部・完)




