25話
月のコペルニクス・クレーターを経由し、軌道エレベーター・ステーションまでも戻ってきた。そう長期間の宇宙航行ではなかったのだが、ヴィエラは体調を崩してそのまま病院に運び込まれた。
「体調悪いなら休んでてくださいって言いましたよね」
「ごめん……いや、病気じゃないし」
「妊娠してるなら余計に言ってくださいよ!」
デニスから手痛いツッコミが入る。確かに。病気より妊婦は配慮が必要なのかもしれない……。検査結果は貧血気味であるが、健康状態には特に問題ない。正確には、相変わらず内臓が弱めであるが、これはいつものことなのでいつもと同じ数値内、ととらえればよい。
「駄目だ、寝てても気持ち悪い……」
ちなみに、食べても吐くので栄養状態もよろしくなかった。軍医が呆れたように言う。
「まあ仕方がない面もありますけど、安定期に入るまで地上に降りられませんよ。この状態でエレベーターに乗るのは狂気の沙汰です。しかし、提督の体を考えれば、出産は地上の方が良いでしょうね。それと、当たり前ですが戦艦に乗るのは禁止です」
ですよね、とヴィエラは苦笑した。だって出発したときにはわからなかったのだから仕方がない。ヴィエラの体の弱さを考えるのなら、軍医の指摘は正しい。
「大尉、艦体をまとめて待機指示を出しておいて……それから、長官へ連絡、指示を仰いでくれ……」
「わかりました。その、お大事に?」
「ありがとー」
病気ではないのでかける言葉に困ったのだろう。デニスは心配そうにしながらも病室を出ていく。病気ではないが、動くのがつらいほど気持ち悪いので、結局病室にいるヴィエラだった。動けないのだから仕方がない。
気づかないうちに眠っていたようだ。気配を感じてまぶたを持ち上げた。視線を向けると、精悍な男性がベッドサイドにいた。
「起きたか」
「……やあ、キール」
ヴィエラはいつもの調子で言ったつもりだったが、その声は普段に比べるとだいぶ弱弱しかった。はっきりした口調のヴィエラだが、さすがにそこまでの気力はなかった。
「調子はどうだ」
「……絶好調だよ」
どこからどう見ても不調である。顔は青白く、息も浅い。
「こればっかりはな……」
「撃たれた方がまだましだ……」
外から痛い方がまだましだった。気持ち悪い、と言うのは痛みと違って耐え難いのだ。
「ヴィエラ。一応聞くが」
「何」
「……俺の子、だな」
それは聞いている、というより確認だった。ヴィエラも「そうだね」と否定しない。
「何なら、DNA鑑定をしてもいいよ」
「いや、必要ないだろ」
キールもヴィエラの言い分を信じるようだ。何となく沈黙が流れる。
「……産むなって、言わないの」
「言ってほしいのか」
同期、友人、戦友、上司と部下……二人の関係は様々な言葉で言い表せた。それがこんな会話をすることになろうとは……いや、二人ともどこかで分かっていたのかもしれない。こんな日が来ることは。
「……いや」
産めと言ってほしいわけでもない。キールは、どちらも言わないだろう。ヴィエラが自分で決めたことを支持するはずだ。相談には乗ってくれるだろうが。
正直、体の弱いヴィエラは、出産に危険が伴うだろう。反対する人が多いに違いない。しかし……。
「これだけ人を殺した私が、人の親になる権利があるのだろうかと思う一方で、この子を私がなかったことにする権利もないと思っている。何より……」
自分のところに来てくれた子に、会いたい。そう思う。
キールは生身である右手でヴィエラの頭を撫でる。優しい手つきで、そのまま頬に手を滑らせた。くすぐったい、と言いながらもヴィエラはほっとしたように目を閉じる。いっそのこと寝てしまいたいのに、気持ち悪くて眠れなかった。
「……お前が地上に降りたら、婚姻届を出しに行くか」
「……今はオンラインで届け出ができるけど」
「それでも、証人の欄があるだろ」
「ああ、そうか……」
オンラインでも、証人欄があるのか……おかしい。やっぱりあまり頭が働いていないようだ。
ふと、キールがヴィエラの指にひもを巻いているのに気付いた。ひもと言うか、ヴィエラが髪を結んでいたヘアゴムだ。
「おもむろに何してんの?」
「一応指輪でもあった方がいいかと思って。お前、指細いな……」
「……私も変人の自覚はあるけど、キールも結構変わってるよね」
いつもなら「お前が言うな」とツッコミが入るところだが、今日の彼は違った。
「……まあ、前大戦を生き残ったやつらなんて、頭のねじがぶっ飛んだやつばかりだろ」
「……その中で最たるのが私と言うことだね」
これは否定されなかった。戦争は、人の人生を狂わせる。ヴィエラも、キールも、狂わされた。
「……そんな私が人の親になろうとは……しかも、君と結婚?」
ヴィエラ・リーシンになるの? と茶化すように言う。こういうところがぶっ飛んでいると言われるのだろうなぁと自分でもわかる。
「嫌か。俺と結婚するのは」
「嫌なわけじゃない。……幸せだから、いいのかなって」
キールのことは好きだ。彼と一緒にいられるのは幸せで、だからこそ、いいのかなと思うのだ。自分が幸せを感じていていいのだろうか、と。
「……まあ、わからなくはないな。だが、生き残って不幸ぶっている方が死者に対する冒涜じゃないか」
キールらしからぬ物言いに、ヴィエラは驚いて目をしばたたかせた。それから微笑む。
「それ、サンタクルス提督の受け売りでしょう」
「ばれたか」
いかにもあの人が言いそうなことだ。二人の中で、あの人の教えは生きている。二人の中に彼がいる限り、サンタクルス少将が死ぬことは無いのだろう。
「お前、この機会に退役したらどうだ?」
キールはそんな事も言ってくる。彼の願いだろうが、言うだけで押し付けたりはしないだろう。
「そうだね……艦隊も空いてしまうしね。体のことを考えたら、退役した方がいいのだろうなぁ」
実は、宇宙艦隊を率いるのは結構楽しかったので、少々心残りではあった。医者にもキールと同じことを言われるだろう。
そしてやっぱり、自分だけ幸せになって……と言う思いもある。
実のところ、ヴィエラの進退について勝手に決めることはできなかった。自分のことなのに。体調が回復してから地上に降り、キールとの婚姻手続きを済ませて宇宙軍司令長官の元へ向かったが、案の定怒られた。新造艦隊はどうするんだ、と言うことだ。それについては非常に申し訳ない。ついでに、
「退役していいですか」
「……いいと思ってるならお前の頭を一度調べないといけないだろうなぁ」
ため息をついて、フォレスター長官は言った。やはりダメなようだ。ヴィエラも強く退役したい、とは言わなかった。
しかし、少なくとも産休は取らなければならない。ヴィエラの体の弱さを考えるのなら、育休も必要だ。二年近くは不在になる。艦隊を任せることはできないので、第八特別機動艦隊の司令官は、たった三ヶ月で交代となった。
そして、ヴィエラは出産後、士官大学で教鞭をとることになった。断っておけば、彼女が卒業したのは士官学校であり、本来なら大学で教鞭をとる資格がなかった。
しかし、辞令で戦略・戦術論を教えろ、とのことだった。キールや彼女を知る者たちは、「向いてるんじゃないか」と口々に言った。断る理由もないので、彼女は引き受けることにした。
この時の彼女の決断が、また別の天才を生むことになる。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
『Foresight』完結です!
ちゃんとSFできていなかった気がしますが、雰囲気で読んでいただければ……!
あと、三章分五話ずつくらいで、全十五話くらいを想定していたのに、気付けば二十五話…自分にびっくりしました。
とにかく! 完結できてよかったです。
皆様、ありがとうございました。




