精霊付き遺産相続 29
「話が混乱していてわたしもすべてをつかむのに時間がかかり、あなたに打ち明けるのがすっかり遅くなったことは、お詫びします」
紳士に率直に言われて、わたしは恐縮した。
「まあ、あの、とにかく、事情を聞かせてもらえますか?」
「まず申し上げたいのは、あの屋敷が、売りに出されていることです」
「アドベリーハウスがですか?」
わたしは驚いた。
「でもあれはわたしが相続したお屋敷です。弁護士と一緒に書類にサインをしたんです。それが売りに出されているって、いったいどういう事です?」
「少し複雑な話になるのですが」
とミスター・ナイトレィは前置きをし、
「昔、あの屋敷を購入されたミス・ダーバヴィルのお祖父様は、実はあれを息子さんの名義にされていたのです、ご自身ではなく。ずっとお祖父様の所有と思われていた不動産でしたが、お祖父様がお亡くなりになり、遺産を整理しているうちに、あの屋敷はあなたのお父様のもの、そしてあなたのお父様がすでに死去されているということで、ミス・ダーバヴィルのものであると判明したのです。わたし自身でお祖父様の遺言状も登記簿もすべて調べて確認を取りましたから、その点は間違いありません」
「まあ、そういうことだったのね」
「どうしました?」
「駆け落ちしてずっと行方知れずになったわたしたち親子のことを捜してくれていた祖父が、やっとわたしを見つけ出した時には手遅れ、ご自分が不治の病に倒れてしまい、ならばせめてとかわいい孫娘に遺産を残してくれていた。そんな経緯だったのかしら。なんて、思っていたものだから」
祖父は一族に汚名を着せたわたしたち親子のことをどう思っていたのか、時々考えずにはいられなかった。これはそんな時に、そうだといいな、という程度に思い描いていた夢だった。祖父が実際こう考えていたと大きな期待を寄せていたわけではないけれど、やっぱりわたしは少しがっかりしていた。
精霊はいたわるようにほほえんで、
「ですが、少なくともミス・ダーバヴィルのお父様の帰りを待っていらしたのは本当でしょう。名義をずっと息子さんのままにしていらしたのですから。戻ってこられれば、お祖父様も許したいお気持ちだったのではないでしょうか」
「ええ。そうですね」
祖父も父が亡くなったことは知っていただろう。知った時は祖父もがっかりしたことだろう。わたしは顔を上げた。
「そうだったのだと思うことにしますわ。亡くなった人に話は聞けないのだし」
ミスター・ナイトレィも穏やかにうなずいてくれた。
わたしはミスター・ナイトレィの表情に、以前感じていたどこか閉じた感じ、自分に何かを戒めている印象を、今はそれほど強く受けていないことに気がついた。自分の隠し事を明かすことがようやく許された安堵を感じているようにも見えた。彼はやはりどちらかというと古いタイプの紳士らしい礼儀正しさを崩さなかったけれど。
「それで、それがあなたと、どうつながるのですか?」
「はい。あの屋敷は、もともとは我が家のものだったのです」
わたしはあっとなった。コニーが手紙で教えてくれたのだった。彼はおそらくナイトレィ子爵の次男だと。そして以前ガッシーも言っていたのだ。アドベリーハウスの前の持ち主はナイトレィ家だと。
「ミスター・ナイトレィは、貴族でしたわね」
「爵位を継げるのは長男だけです。次男のわたしはミス・ダーバヴィルと同じ、一般市民です」
でも育ちが違う。元メイドと、子爵家の子息。ぜんぜん違う。ミスター・ナイトレィは精霊とは別の意味で、遠い人だ。
「代々続いた子爵家といえども、体面を保つためには様々にお金が必要です。二十年ほど前、祖父がロンドンでの事業に失敗し、破産とまではなりませんでしたが、あの屋敷を手放すことになりました」
貴族も今は貧乏な人が多いとは聞くけれど、こうして目の前に座っている方がいわゆる没落貴族だと知ると、なんとお答えすればいいのか困ってしまった。なのでただ話を理解したことを示してうなずき、あとは静かに話を待つと、ミスター・ナイトレィもわたしのためらいには礼儀正しく触れずに、
「子供の教育は両親の元では行わない習慣に従い、わたしは祖母とアドベリーハウスに住んでいました。祖母は先のヴィクトリア女王のように厳格な人で、わたしにとってあの屋敷には楽しい思い出ばかりがつまっているところだ、とは言いませんが、子供心にもあの屋敷はナイトレィ一族の魂の一部だという思いはありました。ですからそれを売らなくてはならなくなった時、正直祖父を恨みました」
「それで、20年後、売りに出されていたあの屋敷をご覧になっていて、わたしと行き会ったのですね」
「ええ、そんなところです。ミス・ダーバヴィルはご親戚の方から相続を放棄するよう、言われませんでしたか?」
わたしは少し考えて、答えた。
「言われたというのなら、言われたのだと思います。でも、法律用語を並べられてもよくわかりませんから、その、聞くだけ聞いていたというのかしら」
あの時、弁護士の話を一つ一つ理解したような顔をして、わたしはすっかり聞き流していたのだ。問題はあの屋敷を相続する手続きのための書類をそろえることで、わたしにとっては差し出された書類にサインをするかどうかだけが問題なのだと思っていたのだから。それ以上のことは、わたしには決定する権利は、法的にはあってもダーバヴィル家的にはないと思っていたし、第一、話自体も難しかった。
ミスター・ナイトレィは思わず、という感じで微笑した。そして取り繕うように咳払いをした。
「おそらくダーバヴィル家の方々も、難しく説明すればあなたが話をきちんと理解できず、相続に尻込みすると思ったのでしょう。あなたにはちゃんと 公債もあり、権利を主張できる立場にあるとは思っていらっしゃらなかったように」
「わたし、 公債があるんですか?」
「はい。あなたが二十五歳になられるか結婚されるまでは、後見人が管理しています」
「あらまあ」
知らなかったわ。いえ、そう言えば、後見人がいるという話は憶えている。あの時はいろいろな話を小難しく一度にたっぷり聞かされたから、それをいちいち理解するにはわたしは混乱気味だったのも、憶えている。確か、わたしには自分で管理できるお金は遺産にないと言われたのだった。わたし、ファンドの仕組みなんて知らないから、話をきちんと飲み込んでいなかったのね。
「ダーバヴィル家は、ミス・ダーバヴィルのお祖父様が一代で財を築いた、何と言いますか──」
精霊が言葉を濁した。
「成金、ですね?」
かわりにわたしが言うと、彼は困ったような顔をしたけれど、肯定も否定もなく続けた。
「具体的なことは知りませんが、ご親戚の方々は現在、早急に大金を必要とされているようです。そこであの屋敷を売ろうと考えたようです。ところが話を進めていくうちに、実は名義はお祖父様ではないことがわかった。法律上、あの屋敷はミス・ダーバヴィルの物なのです」
ゆっくりと語られて、だんだんと話が見えてきた気がした。
「つまりあの人たちは、法律上の正しい持ち主を勘違いしたまま、屋敷を売ろうとしていたと? そして正しい相続人のわたしがあらわれて、計画が狂ってしまった? わたしが手放すと言わない限り、売れないから?」
「そういうことです」
「待って」
わたしはもう一度よく頭の中で話をさらってから、口を開いた。
「じゃあシャンデリアが落ちたり、手すりが折れたり、わたしが階段から転げ落ちたのは、屋敷を手放さないわたしをその気にさせようと、いっそ殺そうと……」
思わず剣呑な事を口走ると、ミスター・ナイトレィが首を振った。
「いえ、彼らもそこまでたくらんだ訳ではないそうです。彼らがしたのは、あの屋敷には幽霊がいるとあなたに信じさせようとしたことです」
「あら、そうですの?」
ちょっとだけ拍子抜けした。
こういう場合三文小説ならもっと深刻な状況が用意されていて、主人公はいったい誰を信じたらいいのかってどんどん恐ろしげな窮地に追い込まれて、読んでいるこちらも主人公と一緒にハラハラさせられ、さらに話に釣り込まれるようになっているものだけれど、現実はそうでもないのね。
そういえばガッシーがしきりに幽霊話をわたしに吹き込んでいたことを、わたしは思い出した。彼の演技力は、上手だったとはお世辞にも言えないものだったけれど。
「ご親戚の方々には過激な計画を実行するつもりはなかったとはいえ、迅速な結果は望まれたようです。あなたが不在の間に、屋敷が住み心地の悪いものだとあなたに思わせようと細工をされたのです。そしてあなたがあの屋敷を手放したいと言い出すのを、待っていたのです」
あの日だ。突然ガッシーが屋敷を訪問した日。あの時ガッシーはわたしがいることにとても驚いていた。ガッシーはわたしが仕事に行っている間に、屋敷に侵入して小細工を働こうとしていたのだ。
「あの人たちったら」
時々、人は金が欲しいために何でもやるものなのだ。もうじゅうぶんに持っている人間であろうと。財産というのは、持てば持つほど足りないという焦燥にかられる悪魔なのだ。
というようなことをトーマス叔父が──わたしとの血のつながりは、詳しくは忘れてしまった──ダーバヴィル家の夕食会で皮肉っぽく発言してわたしにこっそりウインクをしてくれたことがあった。あれは一族への揶揄と、わたしへの警鐘だったのかもしれない。
わたしは言葉が出てこなかった。今度一族の夕食会に招待されたら、ガッシーには恨み言の一つくらい言ってやらないと気が済まない。そして「屋敷は放棄しません」と一族の前で宣言するのだ。この小娘は何を言い出す、とみんな呆れるだろうが。けれどもここで一度、元メイドだからと言ってわたしはたやすく人のいいなりになるような人間ではない、ときちんと知らしめておかないと、彼らはまた同じことを繰り返す。わたしはかたく、かたく、決心した。
「かばうつもりはありませんが、少なくともシャンデリアは、彼らの細工ではないようでした。というより、シャンデリアが落下した話から、ご親戚の方はこの細工を思いついたようです」
シャンデリアが落ちたことをガッシーに話したのは、わたしだ。あれでガッシーはわたしを追い詰める方法を考えついたというのね。
「では、あのお屋敷は時の重みにところどころ軋んではいたんですね。全部が全部、あの人たちのせいではなく」
「はい、残念ながら。しかしいくつかの細工であなたが怪我をされたのは事実です。あれが人為的な細工であると証明できる証拠の写しを、先ほど親戚の方にお渡ししてきました。オリジナルは、我が家の弁護士の手元です。いつでも公にする用意はできています。これ以上屋敷が損なわれることはないし、そのためにあなたが怪我をされることはもうないと、期待できるでしょう」
「それを調べてくださったのですか?」
「はい」
わたしは驚いた。もしかして、それは、わたしのため?
「下のカフェでさっきガッシーと話していたのは、それですの?」
精霊はかすかにはにかむようにうなずいた。
「はい」
そういえば遺言状も登記簿も調べたと言っていた。ミスター・ナイトレィは彼らのたくらみの証拠を掴み、法的にもあの屋敷から手を引くよう親戚たちと話を付けてくださったのだ。
それはわたしのため?
もしかして、食事や午後のお茶を用意して待っていてくれたり、それを一緒に食べてくれたりしたのも、全部わたしのため?
精霊は屋敷と主人を守ると、出逢った時にミスター・ナイトレィは言ったのだ。彼は本当は精霊ではなかったにしても。
彼はいつもの、もっと多くのことを語りたげなまなざしでわたしを見つめている。それをぼーっと見ていたと気がついて、わたしは突然胸を舞い上がらせた。
「まあ、それは、あ、ありがとうございます、ミスター・ナイトレィ。では、あなたは、そのことをちゃんと調べるために、あの屋敷にいらしていたのですね?」
たびたび屋敷に姿をあらわしながら、時々長期にわたって不在になることがあったのは、きっと調査もあってのことだったのだ。ロンドンに戻って弁護士と話をしたり、遺言を調査したり。
「はい、それもあります」
「それも?」
その時、部屋の隅で空咳がもれた。
近侍のバンター氏だった。
彼は咳を抑えるために口元に寄せた手を降ろし、先ほどまでと同じく自分は調度品の一つに過ぎないと言いたげな雰囲気を醸し出し、そこに立ち続けた。




