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精霊付き遺産相続 26

 「それで……」

 しばらくそのまま田舎旅行中のようなのんびりした調子で精霊の車を追いながら、バンクスさんがたずねた。

「いったいなんだってあの人を追っかけるんですか? てっきりあの人はミス・ダーバヴィルのご親戚かなにかだと思ってましたが」

「バンクスさんはこれからもお客をたくさんお持ちになりたい?」

「もちろんですよ。これで一生喰っていくつもりなんですから」

 バンクスさんはその決意の強さを示して、ハンドルを軽く叩いて見せた。おそらくまだ今は、じゅうぶんな客がつかず収入が期待に届いていないのだろう。

「では使用人の心得を教えるわ。主人の詮索(せんさく)はしないこと。したいなら胸の中でだけにして、口にはしない。顔にも出さない。少なくとも主人の前ではね。これはタックスメーター・キャブ(タクシー)の運転手(キャビィ)も同じではないかしら」

 今まさにあの精霊の隠し事を詮索(せんさく)しようと乗り出しているわたしが人に教え諭すことではない、とは思ったけれど。

 バンクスさんは何かを口の中でもごもごっと言ってからぎゅっと口を閉ざし、前を見据えて黙り込んだ。そしてすぐにきっぱりした声で言った。

「なるほど。肝に銘じます」

 しばらくは精霊の車を見失うことなどない真っ直ぐな道だ。この間に、わたしは手に握りしめていたコニーの手紙の続きを読むことにした。そうでもしないといよいよという予感に乱れる気持ちを保てない気がしたのだ。

 わたしは揺れる手元でたたんでおいた便箋を広げ、それを読み始めた。始めたのだけれど、いくらも読まないうちに、わたしは手紙から顔を背けた。バックミラー越しに気がついたバンクスさんが窓を開けてくれた。

「走る車の中で細かい文字を読むと、慣れないうちはたいていの方が気分が悪くなるんですよ」

「そうなの、知らなかったわ」

 わたしは目を閉じた。窓から入ってくる新鮮な空気に、すぐに少し気分が持ち直してきたようだった。わたしはしばらくそのまま背もたれにもたれていた。

「ミス・ダーバヴィル」

 やがて自動車が静かに止まり、バンクスさんがわたしを呼んだ。

「目的地に到着したようです」

 わたしは道の先に目をやった。落ち着いた屋敷に精霊の乗る車が入っていくところだった。

「誰のお屋敷かしら」

「ここは病院です。ちょっと特殊な。ロンドンに住むお金持ち向けの田舎の療養所なんですよ」

 そこは療養所がある場所にふさわしく、町中から離れた静かな土地だった。鳥の啼き声が聞こえてくる。療養所の建物の奥にはなだらかな丘があって、その上に古い塔が見えていた。

 前世紀、ヴィクトリア朝時代、領主たちの間で自分の領地の景観をより素晴らしいものにするため、たとえば森の木々に半分ほど姿が埋もれるような場所に、ギリシャ神殿風の建物を、それもはじめから半分破壊された神殿風の建物を建てるのが流行していたのだとか。丘の上に中世風の塔を建てるのも、領主たちに人気の景観の一つだったらしい。

 それらは今も英国の至る所に残っている。今わたしが見ている塔はそれだろう。現在その塔が実用をなしているとは思えないし、それは前世紀も同じだったはずだ。当時の領主たちには眺めていてよい満足に、二十世紀の療養所の患者たちには眺めていてよい慰めに、なっているかもしれないけれど。

 そんなことより、精霊は療養所なんかに何の用事があるのかしら。

「しばらく出てこないでしょうね」

 降りて追ってみようか。いえ、突き止めるのは彼の住まいがいいわ。まさか病院に住んでいるなんて、ないでしょう。精霊ならあり得るかしら。でもやっぱりあり得ないわ。迷った末にわたしはこのまま車の中にとどまると決めて、手紙を読みながら待つことにした。走っていない車の中なら大丈夫だろう。

 コニーのグレッグソン家での日常、グレッグソン一家の近況が、いつもの花のような文字で細々と綴られた手紙をあらためて広げる。それは彼女らしい調子で、彼女にもグレッグソン家にも大きな事件があった様子はなく、結局わたしはこの時彼女の日常を文面に楽しく追う気持ちになれず外にばかり気を取られ、随分斜めに読み飛ばしてしては元に戻って読み直しを繰り返して、なにも頭に入ってこなかった。

「ミス・ダーバヴィル」

 バンクスさんがわたしを呼んだ。わたしはすぐに手紙から顔を上げた。

「出てきましたよ」

 精霊の車が病院から出てきたのだ。車は再びどこかを目指して走っていく。

「追って!」

 わたしは声をうわずらせて叫んでいた。

 そうやって追いかけてたどり着いた先は、

「ホテル?」

「ホテルですね」

 ホテルだった。わたしのような人間にはとても泊まれない、この近隣で一番高級なホテルだ。ロンドンのものに比べれば、それほどでもないかもしれないけれど。

 バンクスさんはホテルから少し遠くにタックスメーター・キャブ(タクシー)を停めてくれて、わたしは車の窓から目をこらすように精霊の様子をうかがった。

 彼はホテルの正面に乗り付けると、ホテルマンに車のキーをあずけて建物の中に入っていった。車はホテルマンの運転で奥の駐車場へ向かうようだ。その様子は、精霊がこのホテルに慣れ親しんでいると告げているようだった。

「あの人、ここに泊まってるんですね」

「たぶんそのようね。高そうなホテルだわ」

 わたしは財布も入ったカバンを持ってきた自分の賢明さに満足しつつも、その中身に不安を覚えていた。もしこのホテルで何かを支払わなくてはならなくなったとして、──わたしは精霊の正体を突き止めるつもりなのだから、当然ホテルに乗り込むことになるだろう。すると、何かを支払わないわけにはいかない窮地に追い込まれるかもしれないのだ。そうなったら、わたしにそれが支払えるだろうか。

 わたしは思わず財布の中身を確認した。微妙な気がする。車が駐車場に入ったということは、もう彼は出てこないということだろう。ここでぐずぐず迷っていても何も得られない。

「ここで降りるわ」

 わたしは代金を払おうとしたのだけれど、バンクスさんがそれを断った。

「お取り込み中のようですから、明日お屋敷に取りに伺いますよ」

 わたしは驚き、そして理解した。これは彼のタックスメーター・キャブ(タクシー)の運転手(キャビィ)としての賢明な好意なのだ。次にタックスメーター・キャブ(タクシー)を頼まなくてはならなくなった時、わたしは彼を選ぶだろう。どちらにとってもよい取引だ。

「ありがとう」

「あ、そのかわりといっては何ですが」

 降りようとしたわたしをバンクスさんが止めた。

「先日お屋敷を訪ねていらしたレディーなんですが」

「コニーのこと?」

 彼女がどうしたのかしらと反射的に答えてから、わたしは彼の目の中にあるものに思い当たった。彼の顔は、この世でもっとも美しいものを思い浮かべている人のものだった。

「ミス・コニーとおっしゃるんですか。ありがとうございます。ではあらためて料金をいただきにうかがいますよ」

 わたしはとにかく車を降りた。バンクスさんはコニーの名前を知りたかったのね。どうやらわたしはコニーの美貌に助けてもらったようだわ。次の手紙ではコニーに感謝しなくては。

 タックスメーター・キャブ(タクシー)が遠ざかると、わたしはあらためてホテルに向き合った。すぐにもう一度タックスメーター・キャブ(タクシー)が走り去った方へ目を向ける。突然、バンクスさんがもう一度戻ってきてくれないかしら、と思ったのだ。

 今からわたしはたった一人でこのホテルに乗り込まなくてはならない。ここまで来れたのは、バンクスさんがいたからだ。心細さに気持ちが尻込みしていた。

 怖いと思ってしまうのは、これから何が起こるのか、どう振る舞うべきなのか、さっぱりわからないから。でも、行くしかない。ここまで来たんだもの。なんとかなるわよ。

 気を取り直して、わたしはホテルへ入っていった。格好いい制服を着たドアマンは、もちろんわたしに対しても慇懃(いんぎん)にドアを開けてくれた。

 だけど、わたしは思っていた。

 こんなことなら、もっといい服を着て来るんだったわ。

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