精霊付き遺産相続 25
「どうやらしばらく動かない方がいいようなの」
心配して翌日もあらわれた精霊に、わたしはそう告げた。
さすがに声が沈んでいた。昨夜階段から落ちて痛めた足首の具合はあまりよくないらしい。
と、精霊に信じてもらえただろうか。
彼に嘘をつくのはちょっと気がとがめたけれど、わたしはもう決心したのだ。
この屋敷には、何かがある。そのためにわたしの身に、わたしがはっきりと自覚しただけでも三回、危険が及んだ。
その事に、精霊は深く関わっているのではないか。
昨夜、大階段から転げ落ちた時、わたしは精霊の様子にかすかな違和感を覚えた。その時はそれが何なのかよくわからなかったのだけれど、時間が経ち落ち着いてきたら、だんだんとその違和感がくっきりしてきたのだ。
精霊はわたしが怪我をしたことには慌てていたけれど、階段の金具が取れたことにはほとんど驚かなかった。
彼は何かを知っている。
たとえどれほど主人として不適格だろうと、わたしはこの屋敷の所有者として、自分の屋敷をきちんと知らねばならないのだ。
足の具合がよくない上に気分もすぐれないそぶりで、せっかくあらわれてくれた彼の前を失礼することを告げ、わたしは自分の部屋に戻った。すぐに動きやすい服に着替え、いざというときに必要だと思われる小物をかき集める。と言っても何が必要になるかなどわからなかったので、いつも仕事に行く時に持つカバンをいつものまま持っただけだけれど。職業探偵はこういう時、何を携帯するものなのかしら。ルーペだとか? それは持っていないわ。裁縫道具ならあるけれど。
「今日が仕事の休みでよかったわ」
でなかったら決行日がずっと遅くなっていただろう。
とにかく、静かに部屋を出て、エントランスホールが見下ろせる吹き抜けの階段のすみにかがみ込み、息をひそめる。そうして彼が動き出す物音がしないかと耳をそばだててみたり、時々首を伸ばしてホールを見下ろしてみたり、念のために背後の窓から外をうかがったりしていたのだけれど、待っていても何も起こらなかった。
そのかわり、窓ガラスがずいぶん曇っていることに気がついた。そのうち屋敷の全部の窓ガラスを磨かないといけないようだわ。
ただこのまましゃがんでいるのも手持ちぶさただったので、わたしは手紙を読むことにした。今朝届いたのだ。コニーからの手紙が。
手紙のやりとりには、なんとなく順番があるような気がする。コニーが手紙をくれて、わたしが返事をし、それにコニーが返事をくれて、わたしがまた返事をする。今回はコニーが手紙を書く順番だったのだけれど、もし今日が仕事の休みでなかったら、わたしは休憩時間を全部つかって彼女に「この屋敷は何かがおかしい」と手紙を書いていただろう。でないと気持ちが落ち着かない。彼女を不必要に驚かせたくはないけれど。
〔親愛なるリディア、その後いかがお過ごしですか?〕
コニーからの手紙は、いつもと同じく和やかに始まっていた。
数行読み進んだところでわたしは顔を上げ、ホールの様子をうかがった。やはり変化はないようだ。今日は突き止められないかもしれないわ。そう気弱な思いに傾きつつさらに数行読み、内容などまったく頭に入ってこないままもう一度ホールをうかがい、やっぱり変化はなく、こうしていることに「無駄かしら」と少し後ろ向きな気分を感じてため息まじりにぼんやりと窓に目をやった時だ。
わたしは驚いて立ち上がった。
「彼だわ」
外に精霊があらわれたのだ。表のエントランスではなく、別のどこかから建物を出たのだろう。彼は庭を大きく回って歩いている。精霊に不自然な様子はなく、彼はまさにこの屋敷の主人のごとく歩いていくと門を開け敷地を出た。左右に木立を配する小道をそのまま歩み去る。
「やっぱり」
何が「やっぱり」なのかよく知り抜いて口にしたわけではない。
わたしはどこかの(へっぽこ)探偵を気取ったようにそうつぶやくと、探偵家業に必要と思われる大胆な気力とでもいうものをかき集めながら廊下を走った。
門に駆けつけた時には、すでに精霊の姿はそこからは見えなくなっていた。けれどもそのかわり、ちょうどそこにジョージ・バンクスさんのタックスメーター・キャブ(タクシー)が乗り付けてきたのだ。
「ミス・ダーバヴィル!」
バンクスさんは車から降りてくると、わたしに頭を下げて見せた。今日こそは、という期待に彼の顔がほころんでいる。
「バンクスさん」
ああ、なんて絶妙のタイミング。わたしも喜んで彼に駆け寄った。
「今、ミスター・ナイトレィが通りませんでした?」
「ああ、いつかの紳士ですか? さっきそこですれ違いましたよ」
バンクスさんが今来た道を振り返る。アドベリーハウスの門から始まる道は、しばらくは木立の中を真っ直ぐにのびている。
「あの人、この先にいつも車を止めてますから、そこに行ったんじゃないでしょうか
「いつも車を!」
甘い夢がさめてゆくのは、いつでも衝撃的な出来事だ。世の中を知るごとに夢は終わってゆく。わたしは言葉がとぎれてしまった。
とうとうわたしははっきりと知ったのだ。彼はこの屋敷に棲んでいる精霊ではない。これが真実なのだわ。
「ああ、ほら、ちょうど出てきた。あのベントレー(車種名)ですよ」
バンクスさんに言われてそちらを見やると、道の遠くで一台の車がこちらに後部を向け走り去っていくところだった。
わたしはバンクスさんのタックスメーター・キャブ(タクシー)に急いで歩み寄った。後部座席の扉を開ける。そして乗り込みながら、
「彼を追ってほしいの!」
バンクスさんは束の間、何があったのかと驚き怪訝な顔をしたけれど、とにかくついに狙いを定めていた客を確保したのだ。
「はい、ただいま!」
彼もすぐさま乗り込み、車を発進させた。わたしは身を乗り出し、彼に言った。
「接近しすぎて気がつかれないように」
「わかりました!」
勢いよく飛び出した車のスピードが落ちる。しばらくは真っ直ぐな道が続くのだから、あまり近づいては精霊に気づかれてしまうだろう。
じゅうぶんな距離を保ち、二台の車は進んでいった。よくある三文小説だったらここは、手に汗を握ってフルスピードで追いかけるシーンなのだろうけれど。




