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精霊付き遺産相続 24

 「ミスター・ナイトレィ」

 その翌日、夕暮れにわたしが仕事から帰宅すると、久しぶりに精霊があらわれていた。

「ミス・ダーバヴィル」

 彼はこの日もいかにも貴族の男性らしく、きっちりとした会釈をしてわたしを迎えてくれた。

「なんだかとても長い間お会いしなかった気がするわ」

「三日間です」

 と彼は言った。わたしは驚いた。たった三日。もっとずっと日にちが過ぎたような気がしていた。

「お疲れですか? 元気がないようですが」

 精霊の表情に、どう話しかけたものかと思っているらしいためらいが見えた。わたしも彼に何を話したらいいのか、なんとなく戸惑いのようなものをおぼえていたのだけれど。

「今日は忙しかったから」

 わたしは言い訳のように言って、微笑んで見せた。

「それでは、お茶をいかがですか? 体が温まれば、少しは気分もよくなるでしょう」

 彼がいざなうように食堂室兼居間を示す。それはきっといい考えだ。美味しい食事は、わたしを気持ちよくしてくれるだろう。

 久しぶりに精霊が用意してくれた夜のお茶(ティ)(ここでは夕食)を一緒にいただく間、わたしは努めて朗らかに振る舞った。そうすればいつの間にか本当に気持ちも浮上してくるだろうから。それでも、その夜はどこかわたしたちの会話はとぎれがちだった。

 時々気がついたら沈黙が落ち、でも、わたしはそれを居心地の悪いものだと思わなかった。あわてて埋めなければならないものだとは。

 それよりも無理に言葉を紡ぐ方が、かえってこの場を気まずくするだろう。結局とりとめのないおとなしい会話だけで、食後のお茶を飲むと、精霊は礼儀正しく立ち上がった。

「おやすみなさい。ミスター・ナイトレィ」

 わたしは言った。精霊も丁寧に答えた。

「おやすみなさい。ミス・ダーバヴィル。よい夢を」

 彼はいつものように折り目も正しく一礼し、いつものように身を翻した。

 それは精霊の領域に踏み込んではいけないという慎みの気持ちだったのだけれど、わたしはいつも彼が部屋から出て行くのをそのまま見送っていた。何もせずに。夢は夢のまま。

 けれども今夜は、彼が静かに扉を閉じ、部屋に一人きりになると、わたしははっと立ち上がっていた。

 彼がどこに消えるのか、確かめられないかしら。そう閃いたのだ。閃くと、それはすぐさま、今日なら確かめられる、という根拠のない確信になっていた。

 それで何がどう解決するかはわからないけれど、少なくともわたしが漠然と抱いている不安の一つくらいは消えるかもしれない。そう思ったのかもしれない。

 わたしは静かに扉を開けた。精霊はどちらへ向かったのかしら。

 廊下の左右へ目を走らせる。わたしが最初に見やった方は奥へ行くほど影が濃くなっているだけで、彼の気配はないようだった。わたしは今度はその反対へ目を向けた。

 すると、まさにわたしが顔を向けたその瞬間、廊下のつきあたりをすぅっと灰色の影──人影? 影が横切ってすぐさま消えたのが目に映ったのだ。

 それはまるで誰かの影というよりも、まさに幽霊のそれ、頼りない陰影だったようにも見えた。

 わたしは影を追った。今のは本当に幽霊だったのでは。それとも精霊が彼の本性をあらわしたのでは。ほとんど信じていないのに、なんとはない予感も持ってしまっていた。

 影が姿を消したつきあたりまで来ると、もちろんわたしもその角を曲がった。ところがそこには誰の姿もなかった。廊下は終わっておらず、人が歩いていたのならばまだそこに姿があるくらいに先は長いのに。どこかの部屋へ入ったような扉の開け閉めの音もしなかったはず。

「ここで消えたのかしら」

 辺りを見回してみたけれど、やっぱり人の姿もなにかの気配も感じられなかった。わたしはその場に一人きりで、廊下には薄暗さが降りている。

 屋敷はただ、今この時も住まう人などないように静まっていた。がっかりしたような、ほっとしたような、どちらともつかない気分だった。

「彼だけにしか見えない通路はこのあたりってことかしら」

 いつかコニーが来た時に二人でそんな想像をして楽しんだことを思い出した。「見つけたわ」ってコニーに報告しなくては。もっとも、わたしは見えない通路の存在を信じていなかったけれど。おそらくコニーも。

 そのまま真っ直ぐ進めばエントランスホールへ降りる大階段にいたる。けれどものぞいてみたエントランスには、精霊の姿も気配もなかった。

 わたしはその頃には精霊を見つけることを半分やめていて、かわりにホールから大階段を見上げてみた。今は二十世紀なんかじゃなくて、数百年前で、わたしは屋敷の魔法にかかって遠い過去に連れてこられたのではないか。そんな錯覚を信じたくなるように、そこには『時』がなかった。

 英国の夏は日がなかなか沈まない。そんな夏の遅い夕暮れの光の中、屋敷のすべてがとどまった『時』の中に置き忘れられたように見えた。

 その時、目のすみでなにかが動いた。灰色の影、のようなもの。

 それがふらふらとただよい、天井から降りてくる屋敷の影の中にとけ込んだ。三階だった。

 精霊の隠し事はやっぱり三階に?

 わたしはそれを確かめるため、階段を上りはじめていた。けれども、

「あっ」

 わたしは一気に二十世紀に戻ってきた。

 踏んだはずの階段が足の下でずるりと動いたのだ。声を上げた時には、置いた足を後ろにひっぱられた感覚と共に、わたしはみごとに階段を転げ落ちていた。

「ミス・ダーバヴィル!」

「ミスター・ナイトレィ?」

 わたしは身を起こし、驚いて声を上げた。

 どういうわけかわたしが落ちたところに精霊がいたのだ。

 まるで滑り落ちたわたしを受け止めるように。彼の腕がわたしを支えていた。

「大丈夫ですか?」

 少し乱れた髪と、同じくらい少し取り乱した顔でそう問われれば、わたしはこう答えるだけだ。

「大丈夫です」

 わたしは階段から転げ落ちた無様(ぶざま)な姿を彼に見られたという恥ずかしさでいっぱいで、彼の助けを辞退してさも平然と立ち上がろうとし、そのとたんに走った足首の鋭い痛みに再びうずくまった。

「っ!」

 声も出なかった。

「無理をしてはいけません。くじいたのですね」

「たぶん、そのようですわ」

 もう素直に認めるしかなかった。彼はわたしの足の具合を見た。

「大丈夫でしょう。少しひねっただけのようですから」

 精霊は気遣わしげにわたしを支えたまま、階段に敷いてある絨毯がはがれている様子を見上げた。そしてめくれ上がった絨毯に引っかからないよう用心深く階段を数段登った。そこでしゃがみ、確認する。

「どうやら、絨毯押さえがゆるんでいたようです」

 階段の一段一段に、真鍮の絨毯押さえがしてあるのだけれど、それが大階段の下から十段ほど外れ、いくつかがホールまで落ちて転がっていた。

「わたし……」

 言いかけてわたしは言葉を飲み込んだ。階段の留め具がちゃんと絨毯をおさえているのはつい一昨日に確認したはずだ。かわりにわたしはつぶやいた。

「これで三度目だわ」

 最初はシャンデリア。

 次は外階段の手すり。

 今回は絨毯の留め具。

 この言葉は、誰が言ったのだったかしら。

 一度なら事故、二度なら百歩譲って偶然でも、三度となると、それは、故意。

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