目覚め
――音が、聞こえる。
ぽたり、と。
水滴が落ちる音だった。
それは、ひどく遠くから聞こえてくるようでいて、耳元で囁かれているようでもあった。
ぽたり。
またひとつ。
私はゆっくりと意識を浮かび上がらせた。
けれど、目を開けても何も見えない。
暗い。
それが最初に感じたことだった。
身体を動かそうとする。けれど、手足がどこにあるのかさえ、すぐにはわからなかった。まるで長い長い眠りから目覚めたばかりのように、意識と身体がうまく結びついていない。
私はいったい、何をしていたのだろう。
ここは、どこなのだろう。
思い出そうとした瞬間、頭の奥に何かが浮かんだ。
眩い光。
空を覆い尽くすほどの光。
そして、誰かの声。
懐かしいような、悲しいような、不思議な響きだった。
けれど、その声の主が誰なのかはわからない。何を言っているのかさえ、判然としなかった。
思い出せない。
何もかもが、霧の向こうにある。
私は自分のことさえ、よくわからなかった。
ただひとつ、確かなことがある。
――私は、龍だ。
それだけは、頭で考えるより先に理解できた。
自然と身体からどのようなことが出来るのかを感じ取ることができ、自分は龍であるという認識が不思議に理解出来た。
一通り体に意識を向け終わったあと、ゆっくりと身を起こす。
指先が、冷たい石の床に触れた。
そこで初めて、自分が横たわっていた場所を認識した。
周囲には、巨大な石柱が何本も立ち並んでいた。壁には見たこともない文様が刻まれ、天井からは鍾乳石が垂れ下がっている。自然の洞窟でありながら、どこか人の手で造られた神殿のようにも見えた。
その空間のあちこちに、淡い光が浮かんでいた。
小さな泡のような光。
ふわり、ふわりと宙を漂い、時折、瞬くように明滅している。
私はひとつに手を伸ばした。
指先が触れる。
すると、光は音もなく弾け、細かな粒となって消えた。
その瞬間、胸の奥がかすかに痛んだ。
理由はわからない。
わからないがこの光を、私は知っている気がする。
ずっと昔から。
ずっと、ずっと昔から。
けれど、そこから先の記憶は何もなかった。
私は周囲を見回した。
ここは洞窟なのだろうか。それとも遺跡なのだろうか。壁や柱の表面には長い年月を感じさせる風化がある一方で、石の隙間からは淡い光が漏れ出している。
その光は、まるでこの場所そのものが呼吸しているかのようだった。
ふと、足元に目を落とす。
自分の姿が目に入った。
人の形をしている。
細い腕、白い肌、長い髪。身体には見慣れない衣服をまとっていた。
私は自分の手を握り、開いた。
「……私、誰なの?」
問いかけても、答えはない。
目を瞑り、再び自分の記憶を辿る。
それでも残っているのは光の中で響く誰かの声だけだったが、――アリア。
急に誰かにそう呼ばれた気がした。
「……アリア」
私は小さく呟いた。
不思議と、その名前だけはしっくりと馴染んだ。
「そう。私は……アリア」
それが本当の名前なのかはわからない。
けれど、今の私には、それしか自分を表すものがなかった。
立ち上がろうとしたとき、足元がふらついた。
身体に力が入らない。
自分の中に力があることはわかる。けれど、それはひどく弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。
私は壁に手をつき、ゆっくりと歩き始めた。
ここから出なければ。
理由はわからない。けれど、そうしなければならない気がした。
石の通路を進む。
道の先には、崩れた柱や、壁に埋もれた石板があった。石板には文字らしきものが刻まれていたが、読むことはできなかった。
それでも、そこに刻まれた文字を見ていると、胸の奥がざわつく。
何かを忘れている。
大切な何かを。
私は何度も立ち止まりながら、通路を進んだ。
どれほど歩いただろう。
やがて、遠くから水音が聞こえてきた。
ぽたり、ぽたりという小さな音ではない。
もっと大きく、絶え間なく流れる水の音。
その音に誘われるように進んでいくと、通路の先に広い空間が見えてきた。
そこには、地下水が流れる大きな泉があった。
水面には、天井から差し込む光が揺れている。
その光の中に、無数の泡が浮かんでいた。
私は泉のほとりに立ち、そっと水面を覗き込む。
そこに映った自分の顔を見ても、何も思い出せなかった。
「……外に出たら、何かわかるのかな」
呟いた声が、広い空間に吸い込まれていく。




