新生活は小姓部屋から(3)
報告会を終え、エドガーは執務室に戻った。
「おかえりなさい」
「……ただいまです」
当たり前ようにシェリーがそう言ってくれ、エドガーはびくりとした。胸のうちが仄かにあたたかくなる。
「エドガー様、少しよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
「魔獣討伐報告書を読んで、自分の勉強不足を痛感いたしました。対人戦訓練はしてきたのですが、魔獣討伐についてはあまりしていないのです。想定プランになかったからでしょうが――そこで、まずは座学でざっとさらいたくて。資料をお貸しいただけますか?」
エドガーはにっこりした。
「もちろん。仕事は想定していたよりも遙かに早く片付いていますし、勤務時間中に座学の時間をとりましょう」
シェリーが主に対人戦闘訓練をしていたのは、いざというとき君主――夫になる予定だった王太子を守るためのものだったのだろう。
エドガーが提案すると、シェリーは申し訳なさそうに首を振った。
「いえ、そこまでしていただくわけには」
「ではいつお勉強なさるので?」
「それは、勤務時間が終わったあとに」
そんなことだろうと思った。エドガーはニッコリと微笑んで圧をかける。
「その時間はしっかり休んでください。座学は研修です。……シェリー殿はきっと、ご自身で思っている以上に、心身共に疲弊していると思いますよ」
おそらく自分で気がついていない。常にいくらかの緊張感を保たねばならない環境に置かれ続けていたのだろうと推測する。彼女にとってそれが普通になっているのだ。かといって、特段の危うさは感じられないのが彼女の凄いところだが――なんだか、エドガーはもどかしく思うのだ。何がどう、という明確な言葉が出てこないのだが、何かがもどかしい。
シェリーは呆けたようにエドガーを見つめてきた。
これは……『休んで』という言葉に驚いていないか?
「わかりました。休みます」
ぺこり、とシェリーは頭を下げる。素直である。
「では、今日はもう業務終了としましょう。シェリー殿に使っていただく部屋にご案内します」
「はい!」
シェリーはてきぱきと書類を整理した。一日でずいぶん片付き、進んだものである。
持ち物の全てが入った鞄をかつぎ、「よろしくお願いします」と頭を下げた。疲れただろうに、彼女の眼差しにはそれを感じさせない瑞々しい輝きがある。
好ましい人だな、とエドガーは自身の心の動きを認めた。
居住区の棟へ移動しながら、エドガーはおおまかに説明した。一階にある食堂、大浴場の利用方法、階級が上にいくほど部屋は上階になること。
「シェリー殿が入隊したことは皆知っているでしょうが、挨拶回りはまだですので、夕食と明日の朝食はテイクアウトにしましょう。よろしいですか?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「挨拶回りは明日の予定です。ついでに書類の回収も催促します」
「よろしくお願いいたします」
エドガーの部屋は五階の奥にあり、その隣がシェリーの部屋である。エドガーは扉を開け、「どうぞ」とシェリーに促した。
小姓部屋の壁はやわらかな萌黄色で、簡素なベッドと小ぶりな書き物机に椅子、収納棚がしつらえられている。リネン類は新しいものに変え、ベッドの上には軍服の替えを二着分置いてある。
「狭いかもしれませんが……」
「いいえ十分です! ありがとうございます」
くるりとエドガーを振り向いたシェリーの顔は綻んでいて、社交辞令でなく本当に嬉しそうにしてくれている。
「そして重要なことですが、奥の左側にある扉は俺の部屋に続いている扉です。鍵はこちらに。両側からそれぞれ別の鍵穴があります」
小ぶりの金色の鍵を二つ、シェリーに渡す。彼女は平然とした様子で頷いた。
「はい。エドガー様側の扉の鍵とは別、ということですね」
「そうです。それと相談が一つありまして……浴室の件なんです。今日、大浴場に行かれますか? よければ俺の部屋にあるシャワー室を使っていただき、環境に慣れてから大浴場を使われてはどうかなと」
気持ち悪い、と思われても仕方ない提案なのは自覚している。変に聞こえないよう、エドガーは慎重に発音した。
深く青い瞳が、エドガーを下からじっと見上げてくる。
「なるほど、お気遣いありがとうございます。ではしばらくの間そうさせていただきます。エドガー様はそれでよろしいのですか?」
シェリーの言葉には裏がないようで、エドガーはひとしれずほっとする。
「シェリー殿が大丈夫であれば。あと安心してください、俺は大浴場を使うので」
えっ、とシェリーが驚いた顔をした。一拍おいて、エドガーに気を遣わせたのではという心配からくるものだと気付く。
「ほぼ毎日、大浴場を使っているのでお気になさらず。浴槽に浸かるのが好きなんです」
エドガーがそう言うと、シェリーはほっとしたように笑った。そうやって笑うと、ただの可愛らしい女の子のように見える。
「お風呂、いいですよね」
「ええ。タイミングもよさそうですし、先に入浴時間としますか? 俺の部屋の案内もしましょう。三十分後に夕食を持って帰ってきますね。時間は足りますか?」
「はい。至れり尽くせり、ありがとうございます」
シェリーは深々と頭を下げる。彼女のお辞儀はいつも美しい。
エドガーは自分の部屋を案内し、シャワー室の使い方や、なんとなく部屋の紹介――殺風景なのはここが自宅ではないからだとか、一口コンロの小さなキッチンがあるのでお茶くらいならいつでも淹れられるとか、読みたい本があれば何でも持っていっていいだとか――をしてしまった。
着替えを抱えたところで、シェリーがいるので大判の布らしきもので包み直した。下着でも落としてしまったら彼女に申し訳ないからである。平然とした顔で『落としましたよ』と渡してくれそうでもあるが。
隣の部屋に続く扉をコンコンと叩き、「今から部屋を出ますね」と声をかけた。部屋にはきちんと施錠する。フゥ、と軽く息を吐いて大浴場へ向かった。
「エドガーさんが大浴場使うの珍しいですね!」
「……そうですか?」
部下から屈託無い笑顔で言われ、エドガーは微笑した。エドガーの行動を読んでいたのか、ローディはもう湯に浸かっており、こちらを見てニヤニヤしている。
「なー? いつも面倒だとか時間がないとか、部屋のシャワーで済ませてるもんなぁ」
ローディをザラッと睨む。手早く全身を洗い、湯に浸かっている彼の隣に移動した。
「それ、シェリー殿には言わないように。気を遣わせますので」
「そーなの? わかった。ってかエドガーさ、シェリーちゃんのことよく考えてるよね」
「直属の部下になりますしね」
「ふうん? ま、エドガーが楽しそうで良かったよ」
楽しそう? 自分が?
疑問が顔に出ていたのか、ローディがまたニヤニヤと笑う。
面倒なのでとりあえず無視して、目を瞑った。
久しぶりに湯に浸かってみると、なかなか良いものだった。約束の時間が過ぎたのを確認して大浴場を出て、食堂に寄り頼んでおいた夕食を大きなバスケットごともらう。汁物も容器に入れてくれているらしい。
部屋に戻って荷物を整理し、続き扉をノックする。
「シェリー殿、今よろしいでしょうか? 夕食をもらってきましたので、よければ取りに来てくださいね」
そう声をかければ向こうから「ありがとうございます!」と返事があった。
湯上がりですぐは出てこないだろうと思っていたが、トタトタと軽い足音がして扉がノックされ、解錠音なしにカチャリと開かれる。
シェリーは藍白色の寝間着姿で堂々と現れた。ふんわりした長袖チュニックと長ズボンで、襟ぐりは広くあいていて心許ない。
肩にかかるくらいの長さの髪は下ろされており、魔法で乾かしたところなのか象牙色の髪は艶々と光を纏う。オフモードに入ったのか、顔つきはあどけなく、ゆるんだ微笑みを浮かべていた。
「なんという格好で……」
エドガーは頭痛がしてきた。




