新生活は小姓部屋から(2)
翌日、まず向かったのはエドガーの執務室だった。昨夜泊まった部屋から移動する間に渡り廊下を通ったので、王城の別棟にあたるのだろう。
部屋に入ると正面奥に窓があり、その手前に大きな執務机が置かれている。左右の壁には棚が置かれ、出入り口側には大きな長机と三人ずつ対面に座る椅子がある。その長机の上には書類の山がいくつも積まれていた。
「お待ちしていましたシェリー殿」
陽が昇りつつある窓を背に、書類を片付けていたエドガーが立ち上がった。黒いシャツにズボンという出で立ちで、上着は椅子にかけてある。
「よく眠れましたか? 軍服もお似合いですね」
シェリーは早速、ユートリアの軍服を着ていた。黒と茶色のバイカラーでデザインされた、立ち襟のオフィサー・カラーのジャケットである。髪はうなじの上でちょこんと一つに結った。
「はい。身に余るお部屋をありがとうございました。ゆっくり体を回復できました」
「それは何よりです。ではまず――昨日説明した、血の誓約を済ませてしまいましょうか」
エドガーが取り出したのは黄土色の分厚い紙で、そこに緻密な魔法陣が描かれていた。「確認を」と渡されたのでシェリーは両手で恭しく受け取り、見分する。美しい魔法陣である。書いてある文面も偽りはなく、シェリーはサインを書き、魔力印を込めて返した。
「綺麗な魔力印ですよね。手紙を拝見したときに思いました」
エドガーは優しくそう言って、同じくサインをして魔力印を込めた。
「先に使いますか?」と渡されたのは小型のナイフである。シェリーは親指に少し傷をつけ、魔法陣の上に血を垂らした。エドガーも同じナイフを使って血を垂らす。ポワ……と黄色い光が生まれ、魔法陣や文字の全てが一度赤く光った。誓約は完了である。
「早速ですけど、仕事を頼みます。察していると思いますが、この紙の束、と言うか山は未処理のものです」
「……これ、アスモドウランメタ閣下が一人で処理してるのですか?」
シェリーが言うと、エドガーは動きを止めた。無表情の顔が、少し驚いたものに変わる。
「……一度しか名乗っていないのに、よく覚えておいでですね。しかもあの状況で」
シェリーはぱちぱちと瞬きする。確かに聞き慣れない名前だったが、相手の名前を覚えるのは社交として当たり前のことである。長年の王太子妃教育の賜物だろう。
「エドガーとお呼びください。誰もそんな長ったらしい名前で呼びません」
「エドガー閣下。……様、のほうがいいですか?」
「そうですね。閣下、はなんだかむず痒いです」
苦笑するエドガーに、シェリーは微笑んだ。「ではエドガー様、と呼ばせていただきます」
「軍部にいる面々はですね、こういう事務仕事は嫌いな人が多く……提出するにしても溜め込んで出す輩が多いんです。加えて、書類の種類も全部ごちゃ混ぜでまとめて出してくるんですよ……これ、未分類なんです。嫌になるでしょ」
シェリーはざっと書類の束を見やり、ぞっとした。そんなことが横行しているのか、という気持ちである。
「そもそもね、人手不足なんです。こういうのが得意な人は政務のほうにいってますしね……今はあちらのほうが大変なんで、致し方ないと思って我慢しています。でもそろそろ、俺も疲れました」
ふぅ、とエドガーはわざとらしくため息をつく。その様が妙に色っぽく、恐ろしい人だなと思うシェリーである。
「ということでシェリー殿。期待しています。まずは同じ書式のものの仕分けからお願いします」
「わかりました」
――シェリー、仕事始めである。
○
その日の夕方、業務時間が終わる一時間前。
エドガーはシェリーを執務室に残し、政務部のほうへ向かった。彼女は黙々と作業をしてくれている。彼女を一人残しても見られて困るような書類はないし、最早エドガーはシェリーをユートリア国から出さない気持ちでいた。
そう。絶対にエルラン国には帰さない。
無駄に広い城内を早足で歩き、目当ての部屋に入ると、既にリトとローディがいた。ソファに座って茶菓子をつまみ、ひととき休憩している。
「どうだった、シェリー殿は?」
エドガーを認めたリトが、用意してくれていたらしい珈琲を指さしながら訊いてくる。
「俺のものにします」
「は」
「えっ」
「ああ、語弊のある言い方をしてしまいました。俺専属の事務官にします。誰にも渡しません」
どすん、とソファに座ったエドガーは、ごくごくと珈琲を喉に流し込んだ。味わってなどいない、ただカフェインを摂取する行為である。
「えーと、良かったんだな?」
「はい。期待以上です。エルランには帰しませんよ」
エドガーが言い切ると、ローディーも間の抜けた顔をして「へぇー」と相づちをうった。
「理解力も要領も花丸です。実戦の実力も知っていますし――」
まず頼んだ仕分け。書類を見比べ、どのようなものがあるのか何となく頭に入れてもらえれば、という意図もあった。単純に仕分けするのが手早く、魔獣討伐報告書などは同時に地域別に振り分けてもいた。
書類を仕分けた後は、備品管理の集計から始めていた。計算が、早い。まとめた表も見やすい。
始末書などはざっと目を通し、再提出が必要そうなものと別によけてエドガーに揃えて提出。
魔獣討伐報告書は、魔獣の出現・攻撃パターンの分析や、そのとき隊員が対処した方法及び結果のまとめをしてもいいでしょうか、と提案してくれたので、是非にと頼んだ。ある地域のものを早速確認してきたが、なかなか素晴らしい。
尚、報告書については書き手の国語力によって中身が大きく左右されるため、シェリーは新しい書式を提案してきた。大枠は同じ形式で、記入欄が少し違う。『いつ』『何処で』『何が』『何をした』『どう対処した』といった、とても基本的な記入欄が並ぶ。何より、頻出する単語についてはチェックボックス欄を作っていた。これでいちいち書かなくても済む。書式を改訂するべきだとは思っていたが、手が回らなかったのだ。
『報告書を書くのが苦手な人は、こういった書式を使ってもいいということにしては如何でしょうか』と言われ、そうしたかったんだよな……と思ったのである。下手につらつら文章を書かれるよりも、こうやって道筋立ててやった箇条書きのほうがいい。
さらに驚いたのは、『よければ、すぐ複製できます』という言葉である。
「シェリー殿ね……戦闘魔法だけじゃなくて、生活魔法や、錬成魔法までできるんですよ……! それも器用に!」
シェリーは廃棄用紙を使って、提案した書式を数枚複製して見せた。紙自体はやや彩度が下がってしまうが、『オオモミシロタマやシロイロススキなどの植物があれば、白さは回復できます』と言っていた。訊ねたところ、合成するのが五種類までなら大抵は錬成できるという。錬成士か。あなたは軍人では……いや、王太子妃予定のご令嬢でなかったかとツッコミたい。
『廃棄処分になった紙類は、燃やすのもいいですがこうしたほうが便利で早いだろうと、教えてもらいました』と、王太子妃教育の一環だったらしい。王太子妃教育とは。シェリーが何でも吸収してできるようになるから、どんどん詰め込まれていったのではないか。
「――とまぁ、逃したくない人材です。しかもまだ十九歳、伸びしろもまだまだあるような感じがします」
ばりん、とエドガーは煎餅を囓った。かつて、極東からの移民の一人が持ってきた菓子である。固い噛み応えが好ましい。
「機嫌いいなエドガー……えーと、良かったな」
「彼女、錬成魔法までできるの? 器用だね」
これは、実際シェリーがどのような感じだったかの報告会である。放浪の末ユートリア国に流れ着いたり、望んでやって来る人間もいないことはないが、貴族階級の人間――しかも元王太子妃予定で軍属希望――は初めてだったので、取り扱いを慎重にしている故であった。
やはりまだ一抹の危険はあるが、優秀な人材は喉から手が出るほどほしい。
ユートリアの最大の弱点は人口の少なさだ。長命種の定めなのか、魔族同士だとどうしても出生率が下がるのだ。ヒト族とは比べものにならないほどに。
「待て、まだ十九だろ? それであの実戦における実力、様々な魔法に長け、事務能力も高い。おそらく礼儀作法も仕込まれている。……王子との婚約を外すにしても、よく出国を許したな」
リトがそう言ったのを、エドガーは鼻で笑った。
「だから彼女は出奔したのでしょう。おそらく勝手に、そして用意周到に」
「そうだったな」
「あっちにいる間諜君の情報によると、どうやら別の相手との婚約を取り付けさせる予定だったらしいじゃん。なんとなく勘づいてたんじゃないの? だからうちに来たんだろーね」
王子が駄目だから次はこっち。虫唾が走るような内容である。
「ぜっっっっったい渡しません」
「え、なに。エドガー好きになっちゃったの?」
ニヤニヤしたローディに言われ、いつも恋愛脳の彼に辟易する。次に言われる台詞は想像がつく。
「サクッと魅了して一線越えて、自分のものにしちゃえば?」
エドガーはローディをぎろりと睨み、彼の座る椅子をガツンと蹴った。
リトが眉をしかめる。
「おいやめろ、椅子が壊れる」
「あははははエドガーこわーい。なんでいっつも怒るのさ。エドガーにはそれができるし、女の子の方も幸せじゃん。たぶん」
「ほんとーに、そう思ってんのかな、アンタは」
チッと舌打ちするエドガーに、リトが苦笑した。
エドガーの魔族属性は淫魔。相手を惑わし、溺れさせる。
エドガーは自分の属性が嫌だった。そもそも、自分の本能と乖離しているようでしっくりこない。その現れか、外見的特徴も他の淫魔とは違い、やや褐色の肌に黒髪だ。淫魔は皆、白い肌に銀か金の髪を持つ。エドガーは異端である。
エドガーの丁寧語が外れるときは、本気で怒っている場合でもあるので、ローディはごめんごめんと両掌をあげた。
「でも正直、何かあったときはお前に魅了してもらおうと思っている節はある」
リトが真面目に言うと、エドガーはソファに深く沈んで瞼を伏せる。
「それはわかっています。まぁたぶん、ないと思いますよ」
それに、彼女に魅了をかけても弾き返されそうな気がしている。魔力量が多く、精神力も強い者には効かないのだ。
「――ところで相談なんですが。彼女の浴室、どうすればいいですか? まだ知り合いもいないですし、何があるかわらかない大浴場はまだ難しい気がして」
小姓部屋には浴室がないのである。そのことに気がついたのは昼を過ぎてからだった。
今気付いたのだろう、リトとローディも「あっ……」という顔をした。




