新生活は小姓部屋から(1)
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。それだけでも驚きなのに、目の前に綺麗な男の人が座っていたらどうだろう。あやうくシェリーは大声をあげるところだった。
ソファの上で身を起こし、対面のソファで腕を組み目を瞑っているエドガーを見つめる。
こうやって見ると、剣を構えて相対していたときよりも体がかなり大きく感じる。今は少し前かがみになっている姿勢で、漆黒の髪が目元にかかっていた。睫毛が長い。鼻も、口元も綺麗だ。野性味があって美しい。
ぱち、とエドガーが瞼を上げた。灰色の瞳がシェリーを認め、ほんの少し目を細める。
「起きられましたか」
「すみません!」
まだ靴も履かずソファの上に座っていたことに気づき、シェリーは慌てて居住まいを正した。靴を履こうとして、エドガーがそれを止める。
「そのまま休んでいてください。かなりお疲れだと思います」
はい、と靴を拾おうとした手を膝に置いた。
「シェリー・ハノーヴァ殿。単刀直入に言いますね。ようこそユートリア国へ。俺の雑用係に採用です」
「…………ッ、ありがとうございます!」
がばりと勢いよく頭を下げた。本気で出奔するつもりで来たものの、まさか合格するとは思っていなかったのだ。
「俺の雑用係ですが、よろしいですか?」
「もちろんです」
「一応、軍属になります。新兵の部屋は決まっているのですが、シェリー殿はエルラン国から来たばかりですし、俺の小姓部屋を使ってもらおうと思います」
はい、と頷きながら、それを意味するところを考えた。
(監視だ。まだまだ間諜の場合もあるし、当然かも。疑われて泳がされてる可能性もある)
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
「部屋は今日中に整理しておきますので、本日はこちらにお泊まりください。軍服も支給します。サイズですが――メイドのルルリを呼びましょう」
エドガーはベルを鳴らした。ちりりりりん、と小さい音が鳴り、ぽわりと魔法陣が浮き出て消えた。
「小姓部屋とはどんなところか、お聞きにならないので?」
明日行ったらわかるだろう、と思い、シェリーには訊ねる発想がなかった。無表情でこちらを見るエドガーに、素直に従う。
「お教えくださいますか?」
「まず、役職によって、与えられる部屋の区画や階層が違います。新兵は一番下のランクからスタート。一番上は王、その次に良い部屋、のランクに俺は入っています。続き部屋になっている小部屋がついていて、世話係や子どもを住まわせていたりします。それを小姓部屋と呼んでいます」
「新兵の私が、使わせてもらってもよいのでしょうか」
「気になるところはそこですか? 部屋自体は、新兵の使う部屋とそう変わりません。シェリー殿はエルラン国の貴族出身ですので、新兵区画に混じるよりも別のところのほうが、俺たちにとっても都合がいいという判断です。俺の部屋に続く扉には鍵をつけますし、ちゃんと廊下側から入れる扉はあります。……そういうところを心配してほしかったのですが」
「お気遣いありがとうございます」
新兵と同等ランクの部屋だとわかり、シェリーは安心した。部屋まで特別扱いになってしまったら罪悪感が生まれそうだった。
「書類仕事をね、手伝ってほしいんですよ」
「……それは、機密保持の観点から、私がしても大丈夫なのでしょうか」
「猫の手も借りたい具合なんです。なので、念のため血の誓約をしてもらいたいのですが――嫌なら今、断ってください。それなりの仕事をふります」
血の誓約とは、契約する両者の魔力と血を使い、同意を持って行う魔法契約である。かなり拘束力が強く、契約によっては死すらある。
「内容は確認したいですが、大丈夫です」
パチ……と大きく開いた瞳でエドガーに見つめられ、シェリーも真っ直ぐ見つめ返した。
「でしたら明日までに用意します。知り得た我が国の機密情報を、他国で口に出せない、筆記できない、問われても反応できない、といった内容になると思います」
「はい」
口に出したら死ぬ――といった契約を想像していたため、拍子抜けするくらい優しかった。
「シェリー殿は軍人としての鍛錬も出たいですか?」
「はい勿論」
「そうですよね。紛争や戦争を想定した訓練と、魔ノ森に発生する魔獣討伐訓練、大きく分けてこの二種類です。午前中に少し訓練に出て、昼からは事務仕事及び俺の雑用、にしましょう。明日はまだ訓練はできませんが、近いうちにできるようにしますね」
「ありがとうございます」
うん、とエドガーが頷いて、会話が終わった。しん、と沈黙が落ちる中、お互い視線をそらさずにいたので、そのまま見つめ合うことになった。
エドガーは無表情のまま、観察するでも睨んでいるわけでもない、まるで景色を眺めているかのように見つめてくる。シェリーは彼の圧にたじろかず、ただ美しい瞳を見つめ返していた。
(本当に見目の良い人だな……)
あまり出会ったことのないタイプの男性である。体が震えるほどの威圧感の持ち主で、冷静で控えめな物腰。あまり表情が変わらない顔は何を考えているのか全然わからないが、不思議と嫌ではない。
どれほどの時間が経っただろうか。コンコンコンと扉がノックされ、メイドが入ってきた。シェリーを案内してくれた彼女である。
「失礼いたします。……シェリー様、お目覚めになられたのですね。お食事をお持ちしましょうか。お好きなものはありますか?」
メイドはエドガーをちらりと見ただけで、あとは上司を一切無視するような姿勢でシェリーを向いた。
「ありがとうございます。あの、その、ええと……」
彼女を呼んだのはエドガーなのである。どういう状況なのか、シェリーはまごついた。
「……私は、乙女の寝顔を勝手に見るものではないと忠言したのです。さぞ、ご不快に思われたでしょう」
メイドはエドガーを冷たい目で見た。シェリーの代わりに怒ってくれていたのだとわかり、胸がきゅんとした。
「確かにびっくりはしましたが、私はエルラン出身の身なので監視は致し方ないです。お気遣いありがとうございます。嬉しいです」
「おそらく監視の意ではなかったと……」
それまで黙って成り行きを見守っていたエドガーが頷いた。何の頷きだろうと思ったが、無表情なので突っ込んで聞けない。
「ルルリを呼んだのはシェリー殿の軍服の用意をしていただきたく。採寸をお願いします」
「かしこまりました」
エドガーに頷いたルルリは、シェリーに向き直って眉を寄せた。
「一つ、申し上げにくいのですが……シェリー様のその御髪は、どうされたのでしょうか」
そう問われて自身の髪を掴み、ザックリばらばらと切られた毛先にはっとする。お恥ずかしい、とシェリーは苦笑した。
「私の髪、長いままだと目立つので、国を出るときにざっくり切り落としたんです。剣で適当にやったので、毛先がバラバラですよね」
「まさか、そのレイピアで……?」
引き攣った表情のルルリに聞かれ、「こんな感じです」と髪を後ろに束ねて剣で切り落とす仕草をした。エドガーですら少し目を剥いた。
「せ、せっかくの、美しい髪が……!」
「ありがとうございます。でも私としては、こちらのほうが身軽で動きやすいです。ドレスに合わせるため伸ばしていたようなものですし」
「……毛先を整えさせていただいても?」
「よろしいのですか? ありがたいです」
シェリーがにっこり笑うと、ルルリはほっとしたように笑った。
「それでは、あとのことはお任せくださいエドガー様」
シェリーとルルリのやり取りをじっと眺めていたエドガーは、「もう少しここにいたかったのに」と言いながら立ち上がった。
「追い出しているのです。お仕事にお戻りください。シェリー様のお部屋もきちんとご用意してくださいね、あなたの小姓部屋を使うのだと聞いてどれほど驚いたか」
ルルリは小言のようにつらつらと宣い、エドガーは逃げるように部屋の出入り口へ向かう。
「シェリー殿、明日からよろしくお願いしますね」
最後にそう言って、シェリーの返事を待たずに部屋を出ていった。
少しだけ見せた微笑みが目に焼き付く。シェリーもルルリも、数秒間エドガーが出ていったほうを眺めていた。
「……なんだがご機嫌ですね」
ルルリが低い声で呟いた。
「そうなのですか?」
「はい。理由はあまり考えたくないですが。改めましてシェリー様、王城でメイドをしておりますルルリと申します。これからよろしくお願いいたします」
スカートをつまみ、ちょこんと礼をしてくれるルルリがとても可愛かった。シェリーは慌てて立ち上がり、胸に手をあてて一礼する。
「ルルリ殿、こちらこそよろしくお願いいたします」
顔をあげると、ルルリはぼうっとした様子でシェリーを見つめていた。シェリーがぱちぱちと目を瞬くと、恥じらいの混じる笑みを浮かべる。
シェリーはルルリに服の採寸や散髪をしてもらい、そのあとはユートリア国についての話を聞いた。食文化や気候、流行りの服装や遊びなどである。
ルルリが去り、部屋に一人になってからは筋トレをして、早めに就寝した。
未だ、ユートリア国に受け入れられたことが信じられなかった。




