婚約解消からの慌ただしい出奔(5)
シェリーが眠りに落ちたころ。
大広間でシェリーの入隊試験なる手合わせを見ていた面々は、やいやいと興奮していた。相手になったエドガーもその気持ちはわかる。玉座に座るリトは難しそうな顔をし、ローディは楽しげだ。
「あの子強くね!? 今の人間ってあれくらいが普通になったの!?」
「そんなわけないだろ。たぶんあの子が特別だよ」
「凛々しくて綺麗な子だったよな」
「細腕でしかもレイピアなのに、エドガー様の剣受け止めてたもんな。風魔法の申し子って感じ」
などなど、かなりの高評価である。皆、彼女の手紙の内容は知っていて、興味本位で集まっていたのだ。間諜か、冷やかしか、思い上がりか――など言っていたのに、蓋を開けてみればこれである。それほど彼女は自分の力量を示したし、その佇まいも凛として美しく、まっすぐだった。
「なぁなぁリトぉ、シェリーちゃん入隊させちゃおうよ。面白いじゃん」
「ううーん……いや、ほんとに、実力だけ見たら、入隊レベルはクリアしているし……礼儀というかなんというか、いい感じだったけどな……」
そうだろうと思っていたが、ローディは乗り気である。
リトは一応国主であるので、判断には迷うだろう。
「魔法陣踏ませている間に、間諜じゃないかどうか訊くの忘れてた……」
「あんなん間諜じゃないって。すげぇ馬鹿正直そうだったじゃん」
「だよなぁ」
それにシェリーは魔法陣を一瞥したとき、意味を理解していたようだった。そのうえであそこに跪いたのだ。
リトはシェリーについての報告書を眺めながらため息をついた。書いてあることはエドガーもわかっている。
「シェリー嬢が、アーサー王子の秘密の恋人であるマリアンヌに嫌がらせ等をしていたという噂――は、嘘でしょうね。彼女はそんなことしそうにないです」
「だろうなぁ。報告書にも、信じている者のほうが少ないと書いてあるし。婚約破棄された理由として考えられるのは、昔からの不仲説、優秀なシェリー嬢への嫉妬説、が濃厚だな」
リトはまた唸り、エドガーを見上げた。
「で、お前はどう?」
エドガーはにこりとした。笑っているのに笑っていない、とよく言われる作り笑顔である。
「俺はね、気に入りました」
「……えっ」
「うぉっ!?」
リトとローディが変な顔をして奇声をあげた。近くにいて聞こえていた部下たちも、驚いてこちらを見つめてくる。
「そ、そんなに良かったのか?」
リトが急におどおどと聞いてくる。
「はい」
手合わせする直前、目があったあの瞬間。曇りのない真っ直ぐな瞳はエドガーを射抜き、言葉ではなく直感で、通じ合った、と思った。
「初めての感覚でした」
「えええ……」
あの瞬間を思い出すと自然と頬が緩む。リトは顔を引きつらせているが、ローディはにやにやしている。
「じゃ、とりあえず、監視も兼ねてエドガーの雑用係に任命しちゃったら?」
ローディが面白がって言った。こいつもたまには名案を出すらしい。
「いいですよそれで」
「え、いいのか? なんかもう部下たちは面白がって盛り上がってるから、入隊させるにしてもどこに配属するよ……って思ってたんだが……お前の雑用係は案外名案かも」
「はい。書類仕事できる人材が早急に欲しかったので。彼女、学業も優秀だったのでしょう?」
エドガーは猫の手も借りたい状況だった。最近は戦闘訓練や魔獣退治よりも書類仕事に時間を割かれている。
「ああ……苦手な奴らが多いばかりに、できるお前に偏ってるもんなぁ……」
「他国に情報を漏らせないよう血の誓約をさせますか?」
「そのへんの匙加減はお前に任せる。ただ、ちゃんと説明しろよ」
「そこまで鬼畜じゃありません」
エドガーは憮然として言った。ごめんごめんと謝られる。
「シェリーちゃんの住むとこどうする? 新兵は一番下のランクから使っていく決まりだけど、差別とかじゃなくてさ、一応隣国のお嬢様だったじゃん? 好意的な奴らだけじゃないだろうから、若干の心配というか、配慮はいるよーな気がする」
ローディがまともなことを言った。「そう、そういうのが面倒なんだよな」とリトがぼやく。
「俺の小姓部屋を使ってはどうですか?」
エドガーがそう言うと、ローディとリトは怪訝に顔をしかめた。
「おまえ……」
「気に入った、ってそういう意味?」
小姓部屋というのは、エドガークラスの役付きの者が使う部屋にある続き部屋である。自分の身の回りを世話させる者を住まわせたり、親子で城にいた場合は子供部屋に使っていたりした。夫婦の寝室と私室に似ているが、小姓部屋は明らかに小さい部屋なのでそう呼び分けている。
「別に俺の世話をさせるわけではないですよ。俺が隣の部屋にいるのだから安全地帯ですし、監視という名目も立つでしょう。もちろん、厳重な鍵を付けます」
エドガーたちが住む階層は役職が上なので、軽率なことをする者もいない。ただ、部屋は全て広く、シェリーにそこの一部屋を与えたら特別扱いになってしまう。
そこで小姓部屋だ。使用人用であり小さく、設備も新兵の部屋と大差ないのだ。
「んー……確かにそうか。エドガーがいいのなら」
リトは納得したが、ローディは少し不服そうである。
「うーん。シェリーちゃんが気の毒のような気も……考えすぎかな」
「本音を言えば、今あてがっている貴賓室でいいと思ってますけどね」
「俺も」
「オレもぉ」
そんなわけで、シェリーはエドガーの雑用係に採用し、エドガーの小姓部屋に住まわせることが決まった。
シェリーを正式に迎え入れることにする、とリトが宣言すると、大広間は好意的に湧いた。皆、新しい刺激が欲しかったのである。しばらくの間はエドガーが監視役を務めると言うと、皆はほんの一瞬押し黙った。同情のような恐れのような、絶妙な雰囲気の間だった。
シェリーには、本日は貴賓室に泊まってもらうことにした。ほぼ空き部屋の状態だが、小姓部屋を掃除しておく必要があるのだ。
そういった諸々を彼女に伝えるため、エドガーは貴賓室に向かった。彼女を案内したメイドを呼び、一緒に来てもらう。
「シェリー・ハノーヴァ様。よろしいでしょうか」
メイドが扉を叩いて呼びかけるも、中から返事はない。メイドは困った様子でエドガーを見上げた。
「……入ってもよろしいでしょうか」
エドガーは頷き、「失礼します」と入っていくメイドの後に続く。
「……寝ていらっしゃいますね」
シェリーは体を丸くしてソファで眠っていた。着替えたのだろう、白いシャツに茶色の長ズボン、黒いカーディガンを羽織っている。令嬢は決して着ないような、庶民の男が着るような服だ。
後ろで一つ結びしていた髪もほどいており、いかにも刃物で切り落としたというようなざんばらな切り口である。
寝顔はあどけなく、美しく、可愛らしく、疲れていた。
先ほどまでの凛々しさや大立ち回りからは想像がつかない、ただの少女のようである。
「かなり疲れていたのでしょうね」
「はい。相当気も張っていたのではないでしょうか。その上、エドガー様とあんな手合わせです」
メイドは棚からブランケットを取り出して、シェリーの体にそっとかけた。このまま寝かせてあげましょう、という意思表示である。エドガーも異論はない。
「彼女が起きたら、エドガー様にご連絡さしあげましょうか」
「いや……」
エドガーはシェリーが眠るソファの、その対面にあるソファに座った。
「ここで待ちます」
メイドは胡乱げな目線を隠しもしなかった。
「乙女の寝顔を、恋人でもない男が勝手に眺めるのは、悪趣味がすぎると思いますが」
「晴れて監視役になりました」
「……」
「俺もたまには休憩したい。ローディが俺の半分でも書類仕事をしてくれたら助かるんですが」
「……それはそうですね」
このメイドはローディと血縁関係にある。エドガーが仕事を抱えさせられていることはわかっているので、これ以上言い募るのはやめたらしい。はぁ、と諦めのため息をつかれた。
「何かありましたらお呼びください」
「ええ」
メイドが静かに扉を閉めていく。
室内には、すぅすぅと小さな寝息が聞こえてきた。
つい先日まで、隣国の王太子妃になる予定だった娘である。手合わせでわかったが、生来の抜群のセンスを磨くため、かなり厳しく鍛錬してきたのだろう。普通、蝶よ花よと育てられるのではないのか。
擦れたところが全く無い、まっすぐで強いあの眼差しが頭から離れない。
剣を持たずに素面で向き合えば、この正体がわかるだろうか。体の奥に火を灯されたような感覚を。
「とても、面白いですね」
無表情な顔に、口元が勝手に笑みを作る。
エドガーは腕を組み、シェリーを眺めた。
疲れていたのだろう。そのうち、自身の瞼もまどろみの中に落ちていった。




