婚約解消からの慌ただしい出奔(4)
転移魔法特有の浮遊感のあと、トン……と硬い床に着いた。エドガーの手が離れ、前方には玉座と、そこに長い足を組んで座る麗しい黒髪の男がいた。
まさかいきなり王城内部の、大広間らしき場所に通されるとは。ところどころ銀が光る黒装束に身を包んだ彼は、おそらくリト・サタノディア国王陛下である。鋭い眼光で見下ろされ、シェリーはごくりと唾を飲む。
「そのまま五歩進んで止まってください」
エドガーにそう言われ、シェリーは言われたとおり五歩進んだ。すると床がボウッと光り、シェリーの足元に大きな魔法陣が現れる。複雑に描かれたそれを読み取り、自白魔法のそれだと気付いた。取り調べや尋問に使うものである。
「なるほど」
シェリーは納得の呟きを落とし、その場に片膝をついて跪いた。帽子も取って片腕で胸に抱き、頭を垂れる。
「シェリー・ハノーヴァと申します」
凛としたよく通る声が、大広間に響く。
「顔を上げろ。……シェリー殿、先日は手紙をどうも。俺がリト・サタノディアだ。ようこそ我が国へ」
威厳に満ちた声で呼びかけられ、シェリーは前を向く。言葉とは裏腹に、歓迎していない様子のリトの頭には二本の黒い角が生えていた。ユートリアの王族は竜の血を引いていると聞いたことがあるが、あの威圧感のある角を見る限り本当なのだろう。
玉座の後ろから、赤髪の男が現れて左側に立った。灰色の大きな耳と、ふさふさの尻尾がついていて、好戦的で無邪気そうな雰囲気の美男子である。
続いて右側には、ここまで連れてきてくれたエドガーが立った。がっちり筋肉のついた引き締まった体で、すらりと背が高く、感情が読めない無表情の美丈夫。
そして左右の壁際に、ぞろっと軍人らしき人たちが一列に並んでいる。女性も半分近くいて、皆誇り高そうな雰囲気だった。
「それでシェリー殿。エルランの王子に婚約破棄された貴殿は、我が国の軍隊に入りたいとか」
「はい」
「隣国の公爵令嬢である貴殿が、何故?」
「自分の力を試したいのです。自分の力を世に役立てたい。そしてユートリアの役に立つことは、巡り巡って祖国の役にも立つからです」
リトはシェリーの足元にある魔法陣に目線をやり、反応を待ったようだ。嘘を言えば、白く発光している魔法陣は別の色に変わるからだ。
もちろん、数秒待っても魔法陣の色は変わらない。
「自国で頑張ればよくないか? それとも婚約破棄されたから居辛いと?」
「仰るとおりです。しかし――我が国では、女性は魔法騎士になれません。政治の世界にも入れません。婚約破棄されて社交界に居辛いのは確かですが、それに関して自分自身はあまり気にしていません。ユートリアでは、男女関係なく実力主義で仕事ができると聞きました。――正直申しますと、もし私が予定通り王妃になった暁には、エルランも貴国と同じよう女性が社会進出できるよう、生涯かけて取り組む予定でしたが、それはもう叶いません」
「……ふむ」
数秒間、大広間は静寂に包まれた。魔法陣がポワポワと光り続けている。
「婚約破棄は気にしていないと?」
「気にしていない、と言い切るのは嘘になるかもしれません。ただ、数年前から予感はしていましたし、一年前からは準備もしてきました。ハノーヴァ公爵家除籍の書類も置いてきたので、父が提出すると私はもう公爵令嬢でもなくなります」
「……そんなものを置いてきたのか?」
「はい」
「我が国の入隊を……移住を認められない場合はどうするつもりだ?」
「ただちに出国します」
「……出国して、どうするんだ」
「変装して母国の辺境に行くか、また違う国に行ってみます。しばらくの蓄えはありますし、長年の教育のおかげで、何かの職にはありつけると思っています」
奇妙な沈黙が落ちた。
シェリーはまっすぐリトを見上げ、次の言葉を待つ。
「……ま、とりあえず入隊試験でもするか。簡単な手合わせだ。それでいいかシェリー嬢」
「はっ! そのような機会をいただき、光栄に存じます!」
リトが目配せし、ばさりとマントを脱いだエドガーが前に出てきた。すらりと剣を抜き、シェリーのほうに切っ先を向ける。
「相手は俺だ」
「はい!」
立ち上がったシェリーは帽子を床に置き、五歩下がって愛剣のレイピアを抜いた。準備完了です、とエドガーをまっすぐ見る。
「殺す気でかかってきて構いません」
無表情にエドガーが言うと、リトが「それじゃあ始め」と試験開始の合図を出した。その途端、エドガーの纏う空気が一転する。
(強い……これまで会った、誰よりも……!)
エドガーから強風が吹いているかの如く、肌にビリビリと突き刺すような威圧感を受ける。シェリーの全身にゾクッと悪寒が走り、レイピアを固く握りしめた。
(落ち着け……これは試験。勝利ではなく、私の実力を見せるべき)
シェリーは軽く息を吐き、意図的に力を抜く。いつも通りレイピアを構え、エドガーを見た。
ばちりと目が合い、数秒間見つめ合う。
(……これは)
よくわからない。わからないが――今、目の前の男と、通じ合った気がした。
シェリーの口元には自然と笑みが浮かぶ。
(胸を借りるつもりでいきます)
シェリーは全身に風魔法を纏った。
構え、踏み込んで――一足でエドガーの眼前に飛び、突きを繰り出す。
「疾い!」
見守る者たちから驚愕の声があがる。シェリーの持ち味は、得意の風魔法を使うことによる常軌を逸した素早さだ。
エドガーは後方の空中に飛んで避けていた。シェリーは着地の一歩でまた追撃する。エドガーは背後の壁を蹴ってシェリーへ反撃に出ており、空中でその剣を受け止めた。ガギン! とひどく重い音が響き、シェリーは受け止めた衝撃で後方へ飛んでいくも、くるりと着地する。
「………………」
すたん、と床に着地したエドガーが、愉快そうに口元に笑みを浮かべた。
シェリーが受け止めた剣は、かなり重いものだった。普通のレイピアでは受け止められるものではない。ただ、シェリーは剣にも魔法を纏わせており、見た目はレイピアでも相手は大剣のような重量感を味わうことになる。母国ではもはや重力魔法と呼ばれていた。
エドガーが踏み込んできた。素早い剣戟を、シェリーは受け止め、躱し続けていく。ガキン!ガキン!と鳴り響く音だけで凄まじさがわかる。防戦一方になりながら、シェリーはなんとかついていった。
おそらくエドガーが故意的に作ってくれた隙を逃さず反撃に出る。どれも難なく受け止められるが、シェリーは必死に隙を探し、攻めた。
しかし力量差は圧倒的で、何度も何度も剣戟を受けることで、剣を持つことさえやっとになってくる。
キン! とシェリーのレイピアが空中を舞った。
喉元にエドガーの剣を突きつけられ、「参りました」と息も絶え絶えに言った。
エドガーは剣を鞘に収め、シェリーの横をすっと通っていく。後方に飛んでいったレイピアを拾い、シェリーに差し出してくれた。
「お見事でした」
「あ、ありがとうございます……?」
無表情に見えるが、瞳の奥は確かにシェリーを称賛してくれているような熱があった。
レイピアを両手で受け取って、鞘に収める。エドガーは自分の持ち場へ戻っていっており、シェリーは玉座を振り仰いだ。
玉座に座るリトは、勘違いでなければポカンとしていた。左隣にいる赤毛の男も顕著である。
シェリーの目線に気づくと、リトはコホンと咳をした。
「シェリー殿、ご苦労。貴殿の処遇については少々考えたいので、とりあえず用意した部屋で休まれることを勧める。メイドが案内するのでついていきなさい」
「はい! お気遣いいただき、心より感謝いたします」
「疲れているだろうから、ゆっくり休め」
シェリーは右手を左胸にあて、ぴしりと美しい姿勢で礼をする。顔を上げると、白いエプロンドレス姿のメイドが音もなく立っていた。茶色の尖った獣耳を持つ、大きな瞳の娘である。
「お客様、ご案内いたします」
「はい! よろしくお願いいたします」
小柄な彼女の後ろについていく。大広間を出るまでずっと、左右後方からびしびしと視線を感じた。
廊下は赤い絨毯が敷かれ、幅は広く、天井も高かった。いくら歩いても絵画や花瓶が飾られていることもなく、すっきりとしている。
「お客様はとてもお強いのですね」
メイドが突然言うのでシェリーは驚いた。声には何の抑揚もない。
「ありがとうございます」
「お部屋はこちらになります。入り用のものがありましたら、こちらのベルをお使いください」
メイドが開けてくれた部屋は広く、ベッドと椅子くらいしか入らない小部屋を想定していたシェリーは「本当にここでしょうか」と言いかけた。
「素敵なお部屋ですね。感謝いたします」
天蓋付きの広いベッドと、三人は並んで座れるソファ、ドレッサーなどが備えられ、それでも広々としている。明るい木調と白色で整えられた客間だった。
「お預かりしておりましたお荷物はこちらに。お風呂も備え付けてありますのでご自由にどうぞ。またお伺いに参りますので、それまでお寛ぎください」
ぺこりと頭を下げたメイドが出ていく。ぱたんと扉が閉じられ、魔法の気配を探るも何も起きなかった。
(施錠魔法を使われると思ったんだけど……)
処遇が決まるまで軟禁されるものかと思っていた。
それでも、この部屋からは出ないほうがいいだろう。幸い、鞄の中には携帯補助食品もあるし、部屋は高級な宿のようだ。
シェリーはまず汚れた服を脱ぎ、鍛錬でよく使う軽装に着替えた。服は浴室で洗濯し、乾かす。
時間はまだ正午にもなっていない。
無事にユートリア国へ出奔できたこと、入隊試験を受けさせてもらえたことで、これまでずっと張り詰めていた緊張の糸が切れた。
ふう、とソファに座る。金糸の模様入の座面はほどよい柔らかさで、かなり奥行きがあった。吸い込まれるように横になり、いけないと思いながらも靴を脱いでしまう。
(エドガー殿は……凄まじく強かったな)
かなり手加減してくれていたと思う。シェリーが何とかできるギリギリを攻めてくれていた。
(この国には、あんなに強い人たちがいるのか)
それと、類稀なる美貌を持った者たちの多いこと。母国の社交場に出れば、失神する令嬢が続出しそうである。
(私の処遇は、どうなるかな……)
入隊したいと言ったものの、限りなく無謀なお願いなのはわかっていた。
ただ、これはシェリーのやりたいこと、であった。
ユートリア国の方たちには迷惑をかけているが、後悔はなかった。実のところ達成感がある。何か別の思惑があるとしても、試験を実施してくれた度量の大きさに感動する。
(ありがたいな……)
そう思ったところで、シェリーの意識は眠りに落ちた。




