婚約解消からの慌ただしい出奔(3)
シェリーはまっすぐ西へ進んだ。
目指す魔ノ国ユートリアは国の周囲を広大な森が囲んでいる。濃厚な魔力の磁場が発生している特殊な森は『魔の森』だと言われており、遭難しやすく、危険な動植物も多く、さらには魔獣までいる。ユートリア国中心部まで整備された交通網はなく、鎖国しているわけではないが国家間のやり取りもない。魔の森は天然の要塞であり、国境線であった。
ユートリア国に住んでいるのは主に魔族たちだ。彼らは人間とは体の構造がやや違い、魔力を豊富に持つ少数民族である。人間たちが知るより古い時代からの血族とも、魔の森の中で生き変異していった種族とも、様々な説があった。
三日間馬車に揺られ、シェリーは国境近くの町まで来た。魔法を使わず地味に移動したのは、捜索者たちに魔力痕跡を探知されないためである。ここまで来て連れ戻されたら格好がつかないし、シェリーも不完全燃焼だ。
辺境伯の領地の中でも外れのほうにある町で一泊し、夜明けとともに宿を出た。
朝の清涼な風がシェリーの頬を撫でる。
眩く明るい朝日を背に、目の間にある魔の森は鬱蒼として、薄暗く、濃厚な魔力の気配を漂わせている。辺境の町からこの国境まで、かなりの距離をあけているのも頷ける。常にこの魔力にさらされると、体に異常をきたす人もいるだろう。
申し訳程度に作った木の柵を超え、シェリーは深くお辞儀をした。
「失礼、致します!」
ここから魔の森を抜け、ユートリア国内部に到達するまで人の足で二日かかるらしい。様々な国をまわっている行商人たちから聞いた話なので信憑性はあり、彼らが使っている道標のコンパスも言い値で買った。本来ならもっと安全な道があるはずだが、シェリーは商人でもないし、今はそこまで時間をかけられない。
シェリーはこの道程を、温存してきた魔力を存分に使って半日で済ませるつもりだ。
「我が名はシェリー・ハノーヴァ。貴国への入国を乞い願います」
大真面目に宣言したシェリーは準備にとりかかる。五感を研ぎ澄まし、周辺の異常や危機を察知できる探知魔法をかけ、短期間の身体能力向上に、かなり疲れるが瞬足の魔法をかけ、全身を風魔法で包む。
シェリーが独自に編み出した『まるで風になる』魔法である。鍛錬仲間の騎士たちと、お遊びで本気の鬼ごっこをしていたときに出来上がった。才能の無駄遣いだと言われたそれが、今真価を発揮する。
シェリーは駆け出した。草を踏みしめ土を蹴り、倒木を飛び越え、危険植物を切り裂いて走る。前方に魔獣を感知すれば樹上に上がって木々の間を飛び、難なく着地してまた駆け出す。
(楽しい……!)
貴族令嬢として、こんなところを見られれば眉をひそめられるだけでは済まなかった。
思い切り体を動かし、魔法を使っている今が楽しくてしょうがない。
うきうきしながら駆け続けていると、前方に人の気配がした。水の匂いもするので、ちょうど池か川が流れているところだろう。
シェリーの視界が急に開けた。丸い湖畔があり、陽の光が降り注いでいる。透き通った水はきらきらと光を反射し、周囲に咲いた白い花も相まって美しい場所だった。
そこにはシェリーを待ち構えていたように、四人の男がいた。三人は黒と茶色の簡素な軍服を着ていて、もう一人はその上に片側のマントを羽織っている。
シェリーは足を止め、四人と対峙した。
肌感覚でわかるが、マントを羽織った男は相当に強い。
「シェリー・ハノーヴァさんですか?」
「はい、そうです」
「とても足が疾いのですね。俺はエドガー・アスモドウランメタ。魔王の側近です」
マントを羽織った男はそう名乗った。
褐色みのある肌に、短い黒髪。切れ長の大きな瞳は理知的で、すっととおった鼻梁に形の良い唇、人間離れした美しい顔立ち。無骨で冷徹そうな雰囲気を、思慮深さと美貌で薄皮一枚分隠している感じである。
「魔王、ですか」
「人間たちはそう呼んでいると聞きましたが」
「人によります」
「ふっ。そうですか」
エドガーは薄っすら笑った。シェリーを威圧しているわけではないが、酷薄な雰囲気にぞっとする。
「先日はお手紙ありがとうございます。どうやって当国に来るのかと思っていましたが、まさかこう……獣道にもなっていない場所をまっすぐ突っ切ってこられるとは。面白いですね」
「すみません」
「いえ、別に構いません。お手紙をいただいた歓迎の証に、今から王城までひとっ飛びにご案内します」
シェリーはぱちぱちと目を瞬いた。
まさかこうなるとは思ってもいなかった。
「お荷物も預かります」
背中にくくりつけてある鞄のことである。
(ああ……抜き打ちの手荷物検査のためだ)
なるほど、と出迎えの待遇を理解した。間諜かもしれないと疑うのは当たり前のことだし、その可能性はもちろん考えていた。
シェリーはすぐ鞄を下ろすと、相手に渡す。
あまりにすぐ渡すものだからか、エドガーは少し驚いたようだった。
「……中の物は、絶対に盗ったりはいたしませんので、ご安心ください」
「はい。よろしくお願いします」
エドガーが付き添いの者に鞄を預けると、シェリーに手を差し出した。
「それではシェリーさん、お手をどうぞ」
ダンスに誘われるように出された手に、シェリーをそっと手を重ねた。エドガーは無表情のまま、ぎゅっと手を握りしめ、周囲に魔法陣が展開する。まばゆい光が炸裂し、ふわりとした浮遊感に包まれた。
◯
――時は二日目に遡る。
シェリー・ハノーヴァについて、エルラン国にいる間諜から届いた情報を前に、リトやエドガーたちはどう処理したものか頭を悩ませていた。
「長年の王太子妃候補……先日、王子の浮気が原因で婚約破棄され、そのときに出奔宣言をして行方をくらましている……」
「賢く、かなり強いはず。本当の実力はわからないが小隊の隊長クラスは超えていると思われる――か。それが本当なら、実力不足という理由で追い返しにくいですね」
眉を寄せるリトと、無表情で淡々と言うエドガー。
「へぇー、オレ戦ってみたいかも。手合わせエドガーじゃなくってオレでもいいでしょ、リト!」
無邪気に言う赤髪の男はローディ。エドガーと双璧を成す魔王の右腕で、軍の幹部の一人である。狼の属性を持つ獣人族で、かなり好戦的な性格をしている。
「お前は楽しくなっちゃって加減を忘れるから駄目だ。最悪殺してしまう」
「ちぇー。でもエドガーよりオレのほうがマシだと思うんだけどな」
「エドガーは性悪だが理性がある」
好き勝手言っている二人を、エドガーは無表情で睨んだ。途端、二人は黙る。
「婚約破棄されたその場で出奔宣言。王家もすぐ捜索をかけたみたいですが行方は全く掴めず。狡猾なのか、計画的なのか」
「当てつけで出奔してんのかね〜。それで俺らの国に来られてもなぁ。どうせ貴族のお嬢様は馴染めないだろうよ」
エドガーとローディは自分たちの王を仰ぐ。
リトは勢いよく背もたれにもたれ、足を組んだ。いくら強いと言っても、実戦経験もなければ、公爵家や王家で過ごしてきた令嬢が、ましてや入隊生活をやっていけるわけがない。
「間諜の可能性は薄くなったが、嘘を暴く探知魔法は続行。念の為荷物検査もしよう。エルラン国から国境線を超えた人間に対してしばらくの間注視して、それがシェリー・ハノーヴァらしき人物であればお迎えにあがる。そのときに荷物を預かり、尋問している間に不審物がないか検査。一度手合わせしてやって、検討するとでも言って一旦王城の空き部屋に移動してもらう。詳しくは本人を見てから決めよう。どうだ?」
リトが言うと、エドガーもローディも異論なしと頷いた。
「監禁部屋……じゃなくて、空き部屋は宿泊の可能性も考えて用意しておきます」
エドガーが言うと、リトもローディも胡乱な目で彼を見た。
「お前……さらっと監禁とか言った……」
「二人も危険人物だと思ってますよね? だからこその個室なんでしょう。それとも投獄って言ったほうがいいですか」
「はいすみません」
リトはたまにどちらが上司なのかわからなくなる。古代竜族の血を引くリトの一族が代々ここら一帯の君主を務めてきて数百年、周辺の人間の国に対抗するために、いつからか国として形作ってきたが、そもそも人口も少ないので国王と言うよりも領主と言ったほうが感覚は正しい。
エドガーは見た目からもわかるように淫魔族の中では異端の存在で、戦闘においてかなり強い。リトは膨大な魔力を持ち、丈夫な体にも恵まれているが、いざ彼と戦うとなれば負ける可能性もある。
「エドガーさぁ、魔王やりたくない?」
頭脳明晰でもあるので、資質は十分にあった。リトはたまに彼を勧誘している。
「嫌ですよ。押し付けないでください」
「そーだよ王様はリトがいいよ」
エドガーにはいつも断られ、ローディには応援され、リトは魔王をやっている。
「シェリー・ハノーヴァ……面倒なことにならなければいいが」
ハァーーーッ、とリトは天井を見上げて呻いた。




